『大奥恋愛絵巻』
□護衛の者
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『はぁ…』
「お疲れでございますね、姫様。」
「将軍となると、姫の頃とはまた違った立ち振舞いになります、気を張らねばなりませんものね…お疲れになるのも当然でしょうね…大丈夫ですか?」
『ええ、大丈夫よ。
ありがとう、お宮、お梛(なぎ)。』
ここは将軍の自室。
先ほどまで城の者たちに挨拶周りをしていた雫はぐったりした様子で座り込んでいた。
その様子に心配そうに声をかけるのは、姫だった頃から仕えてくれている腰元、お宮とお梛だ。
年は二人共21。二人は五年ほど前から雫に仕えている。
お宮は明るく噂話が好きで、お梛はお宮と比べれば、しっかり者で世話焼きである。
雫の思慮深く飾らない性格から、二人は雫を妹のように大切に思っている。
また彼女も二人のことは姉のような存在だと思っており、その信頼は厚い。
「本当ですか?無理してないですか?」
『ええ、大丈夫よ、お宮。
ここでは堅苦しい話し方をする必要もないわ。とても気が楽よ。』
「ならば良いのですが…
ここには私どもしかおりませぬ、どうぞくつろいでくださいな。」
『ありがとうお梛。二人の前では、私も自然でいられるわ…本当に二人には感謝しきれないわ。』
「姫様…勿体ないお言葉…!」
雫の母は既にいない。雫が11才の時に病で他界してしまった。
それからしばらくして仕えてくれるようになったのが、お宮とお梛の二人だった。
母が亡くなっても、亡き将軍であった父や祖父、異母兄の数馬や異母妹のおシゲはいたため、一人ではなかった。
それでも母という存在は大きかった。年上の女といえば数馬の母、光彰院がいたが、彼女は雫を毛嫌いしていた。
年上の同性で甘えられる存在、そうなったのがお宮とお梛だ。
二人は四つ下の雫を、妹のように可愛がってくれた。
母が恋しくて泣いた時にも、一番に慰めてくれたのは二人だった。
そんな本音を吐き出せるような関係だからこそ、二人とは今も良好な関係でいられているのだ。
「そういえば姫様、本日はこの後、不破三郎様の指導があるでは?」
『ええ、大役の人たちとの食事会の席での作法を指導してくださる予定よ。』
「不破様…私はあの方、なんとなく苦手ですわ…」
と、お梛が呟くと、
「同感だな、お梛。」
急に天井から声がして三人共驚く。
『もう…驚かせないでちょうだい、きり丸…』
「わりーわりー」
その声と同時に部屋に降り立ったのは、長い黒髪を結い上げた綺麗な男だった。
年は17、8くらいか。サラサラの髪に、つり目がちな瞳が印象的だ。服装は黒い装束…そう、まるで忍者のような…
「きり丸殿…姫様…いえ、上様に向かってその口の利き方は…」
「かてーこと言うなよ、お宮、今更だろ?」
「今更でも何度でも言いますわ!
姫様はいまや将軍、いくら幼馴染とはいえ、もう少し口の利き方を気をつけなさいな!」
「おー、お梛も相変わらず口うるせぇな。雫が何も言わねぇなら別にいいだろ。」
この天井から降りてきた男の名はきり丸。雫の護衛を務める忍である。
雫ときり丸が出会ったのは七年前。当時、江戸の町では火事が相次いでいた。その中でも一番の大火が起こった際、多くの人々が犠牲になった。
きり丸もその犠牲者の一人だ。
炎が鎮火した頃、当時の将軍であった雫の父が、実際に町へ足を運んだ。雫も父や家臣たちの制止を振り切り、着いていった。
町は多くの建物が焼け崩れ、炎に巻き込まれた人々が運び出されていた。雫も幼いながらも、その惨状に心を痛めていた。
そんな時にふと目が止まったのは、一軒の燃え崩れた家の前で泣き崩れている少年だった。年は同じくらいであろう、その少年を放っておけなくて雫は声をかけた。
その少年こそきり丸であった。彼の両親は逃げ遅れ、火事の炎に巻かれた。
きり丸は寺子屋に行っていたため、彼だけが助かったのだ。
火事に巻き込まれた亡骸が運び出される中、彼の両親は崩れた家の中にまだ埋まったままだという。人手が足りないため、なかなか二人を外に出せないそうだ。
それを聞いた雫はすぐに将軍である父にその話をした。哀れに思った父はすぐに家臣たちに命じ、きり丸の両親の亡骸を外へ出すべく、人員を回した。
雫と父も、周りが止める中自らの手でその救出に参加した。
しばらくして、二人の亡骸は外に運び出された。きり丸は泣き続けながらも、雫や将軍に「ありがとう」を言い続けた。
その後、行く宛のないきり丸を、将軍は城へ引き取った。初めは下働きとして働き、後に元忍であった土井の下で忍術を学び、数年前から雫の護衛の忍となったのだ。
同い年で幼馴染である二人は、兄妹のような関係だった。