『大奥恋愛絵巻』

□女将軍の誕生
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 時は江戸――

 戦の時代が終わり、それなりに平和となった世の中――


 この江戸幕府を築き上げ、世を納めるのは、室町時代から続く大名家、大川家――


 代々男児が将軍を務め上げてきたそのしきたりが、変わろうとしていた―――






『…お爺様、今、何と…?』



「なんじゃ、聞こえんかったのか?


 じゃからのう、次の将軍には雫、お主を任命する!!」




『………………はい!?』




 目の前に座る老人…大川家初代将軍である大川平次渦正は、笑顔でとんでもないことを口にした。


 それに驚くのは、鮮やかな着物を纏った黒髪の美しい少女…初代将軍の孫にあたる、雫姫である。



 祖父の離れの部屋に来るように言われ、お茶が出されてすぐに言われた言葉がこれだ。誰だって驚くに違いない。


 雫は祖父の言葉に軽く目眩を覚えた。
 日頃から突然の思いつきよって周りを巻き込み、振り回している祖父。
 しかし今回ばかりは冗談が過ぎる。




『お爺様…ご冗談はよしてくださいませ。流石に度が過ぎます。』



「冗談ではないわい!!わしは本気じゃ!!
 お主を四代将軍に任命する!!」



『何をおっしゃるんですか…
 将軍なら数馬兄……数馬殿が立派に務め上げているではありませんか。

 例え冗談でも、現将軍様を蔑ろにするような発言は許されませんよ?』




「失礼ながら姫様、それが…冗談ではないのです。」



 そう雫に言うのは、初代将軍の側に控えている相談役、山田伝蔵である。
 元幕府大老であり、真面目な山田がこのような冗談を言うとは考えにくい。



『山田殿まで…
 お爺様、ご自分の冗談に山田殿まで巻き込まないでください。』



 雫はそう言って祖父を嗜めるが、祖父は「冗談ではない。」の一点張りだ。




「失礼いたします。」



 突然部屋の襖が開く。そこには藤色の長い髪を結い上げた若い青年が正座をし、面を伏せている。その後ろには数人の女中と、三十路くらいの茶髪の男が、同じように面を伏せていた。




「おお、上様に半助。よう来たのぅ。入りなさい。」



「はい。…君たちは下がっていいよ。」



 初代将軍の言葉に、藤色の髪の青年は女中たちに下がるように言うと、女中たちは恭しく頭を下げ、その場を後にした。


 藤色の髪の青年は一礼すると、ゆっくり部屋に入る。その見に纏う豪華な白い衣装はかなり上質な生地で、しゃんとした姿勢と相まって、凛とした雰囲気を感じられる。
 


 後に続いて部屋に入る茶髪の青年は、顔を見ると童顔で、実年齢より若く見える。
 その表情は真剣だが、どこか疲れている様子だ。


 二人が座ると、初代将軍は話し出す。



「久しいのぅ、上。
 …いや、数馬よ。体調はもう良いのか?」


「はい、ご隠居様。
 …いえ、お爺様。」



 藤色の髪の青年…数馬は、祖父から名前を呼ばれるとふっと肩の力を抜いた。そこには先ほどの凛とした雰囲気はなく、柔らかい空気を纏い、笑みを浮かべて祖父の初代将軍を見つめた。


 
 柔和な笑みを浮かべるこの藤色の髪の青年こそ、世を納める上様であり、現三代将軍、大川数馬である。


 普段は凛々しい雰囲気の上様だが、実際の彼はお人好しというくらい優しくて、衣装を脱ぐと信じられないくらい影が薄くて、そしてとてつもなく不運なのである。


 彼もまた初代将軍大川平次渦正の孫であり、雫の異母兄にあたる人物である。




『お久しぶりでございます、上様…』



 雫は数馬に頭を垂れる。
 しばらく体調が悪く休んでいた数馬と顔を合わせるのは数日ぶりであった。



「雫、面を上げて?
 久しぶりだね。元気かい?」


『はい。上様、もうお身体は大丈夫なのですか?』



「うん、もう大丈夫。心配かけたね。
 それより…上様はよしてよ。今は別にいつもの呼び方で構わないよ。」


『え、ですが…』


「僕がそう呼んでほしいんだ。ね?」



『…はい、兄上。』


「じゃなくて…」


『…数馬兄様…』



「うん、ありがとう。」



 やっと呼び方に満足した数馬はニコリと微笑む。雫もつられて微笑んだ。

 その様子に咳払いをするのは茶髪の男。…大老の土井半助である。



「上様、雫姫様…仲が良いのは結構ですが、そろそろ本題に入りましょう。
 よろしいでしょうか?ご隠居様。」



「うむ、すまんのぅ半助。」



 初代将軍…ご隠居は咳払いを一つすると、真剣な顔で話始める。




「雫よ、数馬が幼少の頃から身体が弱いのは知っておるな?」


『はい。』


「数馬が将軍に就任してどのくらいの月日が経ったかのぅ?」


『二年ほどかと思われます。』



「そうじゃな…
 時に雫よ、将軍の務めとして最も優先することは何か知っておるか?」


『…政務…でしょうか。』


「うむ、確かに政務も大事な将軍の務めじゃ。しかし、それよりも優先することがあるのじゃ。」



 その言葉に雫は首を傾げて思案する。
 民のことを考え、政務に集中することよりも大切なこととは一体何なのか。



「将軍が最も優先するべきこと。
 …それは大川家を存続させていくことじゃ。
 …どういう意味か、分かるじゃろう?」


『!…大川家の血を残すこと…
 大奥の女性たちに、世継ぎを生ませること…』



「その通りじゃ。
 わしや息子の代では、正室と数人の側室だけで、大奥というものは存在しなかった。数馬の代になって、初めて大奥ができたのじゃ。

 先ほど数馬が将軍になって二年経ったと言ったが、雫よ、お主はこの二年の間、数馬のやや(赤子)ができたという話を聞いたことがあるか?」


『い、いいえ…ございません。』



 実は前々から気になっていたのだ。

 代々将軍は正室や側室と契り、世継ぎを作る。
 亡き母の話では、将軍就任から半年も経たないうちに、奥医師たちの診察で、正室か側室の誰か一人くらいは懐妊するのだという話だった。


 しかし現将軍である数馬は、就任から一年経っても、ややができたという報告を聞くことはなかった。

 噂では正室と数人の側室は半年経っても誰も懐妊せず、なんとか世継ぎを生ませねばと、外から女性を次々と数馬の元へ送り込んだという話だ。
 そのため女性が増え続け、それが大奥ができたきっかけだということである。


 しかし二年経った今でも、数馬のややはいっこうにできなかった。

 数馬自身もそのことで悩んでいたのだが、元々身体が弱い彼。体調を崩すこともあり、夜伽だってそう何度もできるわけでもなく、子ができないという事実による精神的疲労も集って、ついに先日倒れてしまったのだ。


 しかしながら、何故数馬の子はできないのか。




「実はの、先日奥医師にも相談したんじゃが、あれほど多くの女たちと契りながら、二年経った今だに世継ぎができんというのは、数馬の身体に問題があるのではないかという話になったのじゃ。」


『数馬兄様の…?』



「うむ。奥医師の善法寺に数馬を診察してもらったんじゃが…」


「お爺様、そこから先は僕が話します。」



 そう言ってご隠居の言葉を遮ったのは、話題に挙がっている数馬自身であった。
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