かきもの

□きみのなまえ
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穏やかな冬と春の境の日。

その日、ザックはいつものように家事に精を出していた。

ザックが一度銀の諸島に戻り、腹の傷を抱えて戻ってから。
傷を癒しながら幾何かの時間が過ぎた。



リアムはいない。

飛行島から離れたとある島での紛争を鎮圧するための傭兵団として派遣されていたからだ。

先の見えない、連邦と帝国の戦争は確実に動き始めていた。

島にはザックの仲間の革命軍の戦士も潜り込み、小さな島の動きを人間達は窺っていた。



島の戦争の真相は深い所に沈められた。
激化した戦争の最中、島の中心より噴き出したおぞましい闇を討つために一度連邦と帝国は共闘の姿勢を取り、それを倒した。

闇を討つために人間達は疲弊し、連邦と帝国の軍は島から手を引いた。

リアム達傭兵団は未だに混乱したままの島の紛争を抑えるべく島に残り戦いに身を投じている。

革命軍の仲間から届く近況を報告する手紙にはリアムと知り合いになった事が結びに記されていた。





だからザックは何の不安も感じてはいなかった。

数日に一度ではあったが、リアムは伝声のルーンを使ってザックに連絡を取ってくれたから。
次は今日の夜に連絡すると、前回の会話でリアムは約束してくれた。

それにリアムは強い。

星波の島とアオイの島で育んだ二人のリアムの絆は確実にリアムを更なる高みへと押し上げていた。

それにリアムの傭兵団の仲間達もザックは信用している。
一癖も二癖もある荒くれ者達だけど。
安心してリアムを任せられる人達だ。



ザックは朝は茶熊学園に通い、夕方家事をこなして毎日を過ごし、リアムの無事を祈り続けた。





・・・・・・・・・・・・
・・・・・・

夜。

大きめに切り分けた野菜とウインナーのポトフにパンとチーズの夕飯を済ませてリビングで風呂の沸き上がりを待っていたザックは、ゆっくりと起動した伝声のルーンに飛び付いた。

「もっ、もしもしっ!」

伝声のルーンを耳に押し当て、ザックは声をかける。

相手はザックの行動を読んでいたのか、フッ、と伝声のルーンに息を吹きかけた。

それが耳に吐息を当てられたようにザックの耳に響いて。

「ひゃっ!・・・な、何するんだよ!」

恥ずかしい声を出してしまい、ザックはムキになって叫んだ。



ククッ、と笑う声。

「愛してるよ」

「ばか!切る!」

「まあ待ちなハニー」

思い切り格好良いトーンを意識したリアムの声に、ザックは思わず通信を終わらせそうになった。

「も、もう!他に誰か聞いていたらどうすんだよ!?」

「構わないさ。俺はザックを愛してるし、飛行島の連中はそれをよぅく良くわかってる。心配無いだろ?」

リアムがやけにテンション高い調子で、ザックはわからない様にため息をついた。

「ハニー」

「なんだよ」

つっけんどんなザックの態度でも、リアムには通じない。

「愛してるよ」

リアムの低い声に、ザックは赤面した。

「!、一度言えばわかるよ!」

「ハニーは?」

「ぁ、あ、い、してる」

ボソボソ歯切れの細かすぎるザックの告白に、リアムは唇を持ち上げた。
ザックが伝声のルーンの向こうで真っ赤になっているのが容易に思い浮かぶ。

「んー?聞こえねぇなぁ?」

「あ、あ!バカ!リアムのバカ!愛してる!」

ザックの声がキーンと耳を突くのも。バカ呼ばわりも。
愛おしい。

「サンキュ。可愛いマイハニー、キスしてやんよ」

リアムは伝声のルーンに唇を押し当てリップ音を響かせると、続けた。

「ん・・・俺も・・・大好き・・・」

ちゅ、と耳に触れる音が気持ちいい。ザックの声からトゲが外れる。

「ちゃんと勉強してるか?」

リアムの声はとても優しくて。
ともすれば、ザックは彼が今まだ戦火の燻る戦場にいるのだと忘れそうになる。

「うん。今日の座学のテスト、追試じゃなかった。リアムがこないだ教えてくれた所が出たから」

大丈夫だって信じていても。
隣にいないのは、寂しくて、苦しくて、切なくて。
ザックは声が震えそうになるのを堪えて続ける。

「ビックリしたよ。リアムが出した仮問そのままだったから。リアムはすごいや」

「そうだろ?ザック、ちゃんと宿題はやるんだぜ?」

「心配しなくても帰ってすぐにやったから大丈夫」

宿題を後回しにして、リアムと話す時間を割きたくなかったから。
ザックは夕飯の手間を惜しんで宿題を済ませた。

「偉いぞ。帰ったらご奉仕してやるからな?」

リアムはキスする仕草をして続ける。

「も、もう・・・やめろよ」

また、チュッと耳にリアムがキスする音が届いて、ザックは再び赤面した。

「まあいいじゃねぇか。大方、ケリがついてきてな。山賊盗賊も蹴散らしたし、魔物もそれなりに数を討ってる。遅くても月末には戻るぜ」

「そうなの?うん。わかった。リンゴとニシン用意して待ってる」

「あぁ。後十日もかからないよ。待っててくれ、ハニー?・・・っ」

ゴホゴホとリアムは咳こんだ。

「リアム?大丈夫?」

ザックは咳を出すリアムの体調が落ち着くまで待った。

「また、紋章の・・・?」

咳のゴロゴロした音が、以前にリアムが紋章の痛みに苛まれていた時の物と同じで。
ザックは違うとわかっていても、問いかけずにはいられなかった。

「いや。大丈夫だ」

リアムはすぐに否定した。

「リアム・・・」

「大丈夫。ちびを信じてくれ」

前回ザックと伝声のルーンで話した翌日位から。
リアムは理由のわからない咳に悩まされていた。

自分でソウルを作れないリアムのソウルを補填するために、ザックはたくさんのソウルの結晶を用意してくれた。
それはまだ余るほどだし、最近は戦闘でもソウルを使うことは余り無い。

リアムの身体に無双の力を与え、同時に蝕む背中の紋章が飢餓に苦しむ事は無いはずだった。

勿論体調が悪くて風邪を引いた訳でもない。

風土病の類で無いことも、リアムの傭兵団の荒くれ者が誰一人体調を崩したりせず咳をしていないことから理解している。

「無理はしないで。咳止めのお薬、救急箱に入れておいたから。茶色の飴玉」

「ありがとう。心配かけてすまないな」

ザックの声がしんみりして、リアムは唸った。

「ハニー、風呂は入ったか?」

「これからだよ」

時間通りに沸き上がりを報せるお風呂の音声が、リアムの耳にも伝声のルーン越しに聞こえた。

「入っておいで。冷めちゃうだろ?」

「もう少し、リアムと話してたい・・・」

ザックは唇を尖らせた。

「ザック・・・」

「もっと、リアムの声が聞きたいよ・・・」

ザックの甘える声に、リアムは目を細めた。こんなに甘えてくれるなんてめったに無い。

さっき咳こんでしまった事をザックなりに気にしているのだろうか。

「後でちゃんと入るから・・・」

「約束だぜ?」

リアムはザックにわからないよう、喉に絡んだ痰を吐き捨てた。

「飛行島は春の気候の地方に向かっているんだって?」

「うん。昨日から暖かくて過ごしやすいよ」

リアムの家の庭に植えた桜もだいぶ庭の土に慣れてきたのか。
去年よりも蕾の数も増えた。

「毎日良い天気だし、つぼみも大分膨らんできて、そろそろ咲きそうなんだ」

春の日差しの中で庭の芝生の上に転がるのが気持ちがいい。
芝生が居心地良いのか、飛行島に住み着く野良猫達の集会場にもなっている。

ザックは窓の外に目を向けた。

明日も暖かい日になりそうだ。

「花見、やろうな」

「うん。リアムが戻ってから最初の昼は庭で食べよう?」

「ああ。楽しみにしてるぜ」

リアムは頷くと、腕時計に目を落とした。

「時間だ。巡回してくるよ。ハニーもお風呂に入っておいで」

夜営を守る篝火の点検をしなくてはならない。
リアムは立ち上がる。

「リアム・・・」

グス、とザックは鼻を鳴らした。

「淋しい?」

「さみしい」

「仕方ねえな」

リアムは微笑んだ。帰ったら、うんと可愛がってやろう。

「ハニーがお風呂に入って寝る準備を済ませたら、連絡しな。その頃には俺も夜営から上がってるから」

「うん、わかった」

「ちゃんと温まって来いよ?」

「リアム」

ザックは、ん?と問い返す伝声のルーンに、ぎこちなく唇を押し付けた。

「だ、大好き。き、気を付けてね!」

「また後でな」

リアムは伝声のルーンの通信を切ると、懐に戻した。

ザックのぶちゅ、とぎこちないキスの仕草が愛おしい。
夜は冷えるけど、心はとても暖かい。

「ハニー・・・」

ザックがいてくれたから、戦える。
それはザックから命を分けてもらうから、ではなくて。
ザックの想いが、リアムを支えてくれているから。

リアムは遥か遠く飛行島で帰りを待つザックを想った。

(ハニー、愛してる。待っていてくれ)

ザックと二人、一緒に生きる。いつまでも、命尽きるその日まで。





それがリアムのすべて。

・・・・・・・・・・・・
・・・・・・

リアムは夜営地の巡回を始めた。

また、喉の奥に痰が絡んで、吐き出す。

「チッ」

肺に水が溜まった様な不快感が消えない。
たまらず強く咳き込むと、嫌な臭いのする赤黒い体液が地面に飛び散ったのが見えて、リアムは鼻白んだ。

「まさか・・・」

リアムは首を横に振った。

もう一人の自分。
リアムの背中に宿る服従の紋章に心が宿った存在。
彼はリアムを蝕むような事はしないと約束してくれた。

それとも。

『時間がない』のだろうか。

(冗談じゃねぇ・・・)

いや、折れてたまるか。
生きると誓った。願った。

もう一人の自分と二人で、ザックを幸せにすると誓った。

生きなければならない。

リアムは口元を拭うと、夜営地のあちこちに設置した篝火と松明の火の確認をしていく。

今日の天気は晴れ。雨の様子も心配もない。

夜警の前に魔物の巣を叩いて頭数を減らしておいたから、恐らく今夜には襲撃はしてこないはずだ。

定刻通りに交替して大丈夫だろう。

リアムは篝火に薪を補充すると、松明を交換した。炎は朝まで持つだろう。

「隊長、お疲れ様っす」

夜営地の村の入り口の門の様子を調べていたら、傭兵団の一員の狼獣人のチャックがリアムの元へ歩いてきた。
今日の夜警の当番で、リアムと交替するのはチャックだが。

「どうしたチャック。まだ入れ換えには早いぜ?」

交替まで三十分は残っている。

「早くに目が冴えちゃって」

「だったら、詰所で休んでりゃ良かったろ?」

「うーん・・・なんか隊長調子悪そうだし、休んでて欲しいっす」

チャックの察する嗅覚には恐れ入るとリアムは少しだけ眉を寄せた。

「何時も中番ばかりじゃ身体が休まらないっすよ。たまには俺たちを使っていいンス」

「そうか。わかった。それなら甘えさせてもらうぜ?」

リアムはポンとチャックの右肩を叩く。
交替の符丁だ。

「松明の入れ換えと篝火の薪は足しておいた。天気が崩れなきゃ朝まで持つ。頼むぜ」

「お疲れさまっす!」

チャックがウロウロと巡回を始めたのを横目に、リアムは詰め所のテントに戻った。

夜営の当番は夜八時から朝の六時までの三交替だ。
リアムはその間の十二時から三時までの過酷な時間を自ら引き受けていた。
それが傭兵団の隊長として、団の最年少の戦士としての示しだと思っていたが。
心配をかけてしまったようだ。



リアムはあてがわれた個室に戻った。
個室は隊長の特権だ。
鎧を脱ぎ、汗を拭うと伝声のルーンを懐から取り出した。

ザックも最近は長風呂だ。ザックの弟のように二時間とはいかないまでも。
カラスの行水を嗜めたからかもしれない。

風呂に入りたい。

夜営地の村の詰め所には風呂は無い。

朝になってから開く、村唯一の銭湯を利用させてもらっている。

リアムはベッドに横になった。

「フゥ・・・」

何だか酷く疲れた。

急速に睡魔に襲われて寝落ちしそうになって、リアムは慌てて身体を起こした。

ザックにもう一度話をしようと誘ったのだから、何も言わずに寝るわけにはいかない。

・・・・・・・・・・・・
・・・・・・

しばらくして。

「リアム、起きてる?」

ためらいがちなザックの声が伝声のルーンから聞こえた。

「起きてるよ、ザック。温まってきたかい?」

「う、うん・・・あ、あったまったよ」

ザックの声がちょっとだけどもった。

「そうかそうか。久々の俺の張型の味はどうだった?」

これは抜いたに違いないとアタリを付け、リアムはザックに言葉攻めを始める。

「な・・・!」

ザックが絶句して、息を飲んだのがわかった。

「ヌイたのか」

(嗚呼、素直でいい子だな・・・)

「嘘はつくなよ?」

リアムは楽しくなって喉を鳴らすようにくつくつ笑った。

「だ、だって・・・」

ザックの声がおろおろしている。
見破られるにしてもザックが考えていたより早かったのか。

「リアムの声聞いてたら・・・ドキドキして・・・」

「ムラムラしたか。本物が待てなかったのかい?」

「ごめんなさい・・・」

「責めちゃいないさ。可愛いよ」

本当に調教のしがいがある忠犬だ、とリアムは笑みを浮かべる。

「もうしないのか?」

「す、するわけないだろ!ばか!」

「帰ったら満足して気絶するまでハメてやんよ。嬉しいか?」

「・・・」

ザックが無言で息を吸い込む音がやけに大きく聞こえた。

「うん。嬉しい・・・」

モジモジしたザックの小さな声はズドン、とリアムの胸を撃ち抜いた。

駄目だ。本気でメロメロしてるザックには敵いそうにない。

「リアム、今日はお仕事お疲れさま。明日も・・・頑張ってね?」

ザックの優しい励ましに、リアムの心は暖かく、切なく疼いた。

「ハニー・・・」

帰りたい。
ザックを抱き締めて、泣きじゃくる彼をあやしてあげながら。
ひとつに繋がり快楽を与え、与えられたい。





「リアム・・・」

ザックは目を閉じると。
右手を自らの右胸に触れさせた。

意識を、胸に抱いた支配の紋章へと向ける。
リアムと繋げた命の証。

いくらだって、自分の命は捧げられる。

このザック・レヴィンの命はリアムのものだから。

「受け入れて・・・」


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