飼育員系女子

□曖昧にわたしを侵食
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何かが可笑しい。

そう思った時には、同居人は既に自室に篭もりっきり。その扉が開く気配は一向にない。
お昼ご飯を予定より一人分多めに作りながら、何かあったのだろうかとそわそわ心配してしまう。思春期の息子を持つ母親の心境はこんな感じなのだろうか。

朝には仕事だと意気込んで家を出ていった筈なのに、ものの2時間ほどで帰ってきた。その事実を不思議に思いながらしばらく。
ふぅ、と出来上がった料理をリビングの机に並べて、彼の扉の前で息を吐いてから意を決してゆっくりとノックしてみる。

コンコンコン、と三つの音の後に、ゆっくりとだけどドアノブが回される音。
そうっと現れた彼はスーツのジャケットも脱がないままだったようで、朝出ていった時と帰ってきた時と今日二度見た姿と同じだった。


「お昼ご飯、出来たよ。食べるでしょ?」

「…鈴菜、」


何か言いたそうに眉をひそめて、まるで今にも泣きそうにこちらを見下ろしてくる同居人は一匹狼なんてものじゃなく、捨てられた子犬のよう。
私は、ん?といつものように小首をかしげてみるが彼が何かを発することはない。「いや、」と言葉を一度止めてから、なんでもないと首を振る。
どうやら、随分滅入ってるように見える。なにか、思い悩んでいるような。



「そうだ、こないだバイト先の後輩がね、」

いつものように、私の最近の話をしながら様子を伺うも、やっぱり顔色は優れない。体調が悪いのなら一番最初に彼自身が気づくはずだ。医者なんだから。
「ごちそうさま」と口にした彼に「お粗末さまでした」といつものように返す。



「何か、あったんでしょ?」


そろそろ、私から切り出してあげよう。
どうやら、自分からは話せない内容のようだし。かちゃかちゃと食器をまとめる手は止めぬままに言葉を落とせば一瞬だけこちらを見て、また視線を落とす。あーあ、大分落ちてるな、これは。珍しいほど。
食器をキッチンの流しへ置いて洗い物は後回しに戻ってくると、彼は消え入りそうな声で私に真実を告げた。



「政和、大学病院だ」


あぁ。成程。
しばらく前に、彼が打ち明けてくれた彼の歴史。
どんな仕打ちを、どんな経緯で受けてきたのか。それによって、彼は人と付き合うことをやめてしまったこと。
その根源が『政和大学病院』。

私は心底優しい瞳で、心底優しく口元を柔らかくして、それでもはっきりと告げた。


「で?」


間抜け面。
最初から情けない顔をしていたけど、今度はアホみたいな顔だ。
こんなことを言われるのは予想外だっただろうか。


「事件なんでしょ?赤城左門の出番なんじゃないの?」

「その、でも……」

言いよどむ彼に、ふふふ、と笑みをこぼしてしまう。面白い。本当に。
彼は、訳がわからないと言ったような顔で私に視線を向けるけど、それと私の目線を絡めて淡々と言葉を吐き出す。


「なっさけないなぁ!」

「鈴菜、俺は……」

「分が悪いから逃げ出す?都合が悪いから知らんぷり?
あ、もしかして一匹狼さんからしたら、誰が死んだって関係ないしどうでもいいのかな?」

「そうじゃない…!」

「そうじゃない。あ、そう?なら何が正しいの?何が正しくて何が間違い?
左門さんには、何が出来る?
こんなとこで縮こまってる暇あったら、散歩でもしながら考えてくればいいんじゃないかな。引きこもりも治ったことだし」


一気にまくし立てて、彼を玄関まで追いやる。
ここの家主は左門さんだとか、一応年上だとか、そんなくだらないことは今はどうでも良くて、必死に次の言葉を探した。


「じゃあ、行ってらっしゃーい」


ひらひらと手を振りながら、反対の手で扉を閉めた。
私の手には、先程押し出してる間にスーツのポケットから抜き出した鍵が握られてて。つまり彼は家にはもう入れなくて。
こんなこと、きっと後にも先にも初めてじゃないだろうか。



「……頑張れ、左門さん…」

ぎゅっと、胸の前で鍵を握り締めて壁にもたれかかる。
ただ、彼の道を、切り開きたいだけなのだ。彼が歩く道が、明るく照らされていればいい、それだけでいい。
多くは望まないから。

だって、私は、もう分かってるんだ。
『彼を見送る』だけが仕事だって。



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