st.dream...

□逆さまのせかい
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もういやだ。と嘆きたくなったことがなかったわけじゃない。
でも私は「頑張るなまえちゃん」と呼ばれることに少なからず快感も抱いてしまっていた。いやだ、ということで自分の価値が下がることを恐れたのだ。




上司は「昔は良かった」と押し付けてくる。「今の若者はだめだ」と決めつけてくる。
懐古して、賛美して、何が生まれるのいうのか。
嫌なことなど、瞳を開けば、耳をすませばどこにだって溢れている。いやだ。見たくない、聞きたくない。そんな願いはぽいと捨てられるように私は社会からきっと捨てられる。いや、最初から拾われてなどいなかったのだろう。
「夢を見ろ」「夢はないのか」問われて笑顔で答えることの出来る世界ではきっとなかった。だからこそ、「夢」を口にすれば絶望のどん底へ突き落とされるように誰も拾ってはくれないし、自分ひとりでは飛べずにポトリと地に落ちる。


だからきっと、こんなところからひょいと身体を投げたところで誰も拾ってはくれないだろうし、地に落ちるだけだろう。猫のように手足で着地ができるわけでも、鳥のように飛べるわけでもない薄汚い人間はべちゃりと薄汚く地面に張り付いてきっと滑稽なその姿を周知に知られるのだろう。




もともと見えない未来が、閉ざされて見えなくなったのはいつからだろう。
未来が、訪れなくなったのはいつからだろう。
未来が、きっと私たち全員のためには足りていないのだろう。
心が稼働しない。私たちが必要とすると思って、一生懸命巻いてきた心のぜんまいはきっと必要とされないままに錆びてガコガコと砕けていくだけなのだろう。

だったら、終わらせてしまっても。


























「っ危ない!!!」









ふわり、と身体が浮いた。

その為に地面を蹴るはずだったのだけど、蹴る前に、身体が浮いた。
次に衝撃。来るはずだった衝撃より酷く弱く、ひどく痛い。






「ったたた……っ、て!キミ!大丈夫!?」


「……え、あ、はい、おかげさまで」


「……良かったぁ」



ふわり、と笑ったのは気の弱そうな細身の男性で。
けれど抱きとめられた腕は、見た目よりも筋肉質だった。ぎゅう、と抱えられた私の身体は彼に後ろから抱き抱えられて、体温をゆっくりと取り戻していく。
今、私は、確かにあの窓から飛び降りようと。






「あんなに窓に近付いちゃ危ないよ。考え事でもしてたの?」


「……や、その、ちょっと…」




嫌なことがあって。


小さな声で呟くと、彼は目を丸くした後に「わかるっ!!」と頷いた。




「っへ?」


「さんざん振り回されると何にも考えたくなくなるよね!わかる!」


「え、あ、」


「でも俺なんかはうがぁー!って叫んでやりたくもなっちゃってさ!どうも出来ないのに」



目を丸くしていると私を抱き抱える男性は「上司は喧しいし、ぜーんぶ仕事押し付けてくるし、部下は使えないし、仕事舐めてるし、とばっちりは来るし?」「同期は出世するし、俺は左遷だし」

もうまじやってらんないよ!と笑った彼はどこか照れたように「それでもさ」と続ける。








「君のこと救える立場なんかじゃないけど、でも一緒にこうやって愚痴り合うくらいは出来るから」





────それじゃ、駄目かな?









照れたように。けど真剣そうに告げたその不自然にアンバラスな視線に、私は「だめじゃ、ないです」と小さく頷くのは決して難しいことではなかった。



少なくとも、窓から飛び降りるよりも酷く簡単な話。









何かが変わるとも思えないけど、支えあって、寄り添うくらいなら。
彼となら。できるのかもしれない。











「みょうじさん、よろしくね」


「なまえでいいですよ。坂間先輩」








それは隣の部署の上司との初めての会話だ。








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