とうらぶ -蓬日和-

□蓬日和 10
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――……気がついた時、周囲には誰もおらず。薄暗い部屋を照らす、優しい行燈の明かり。手元の鏡は真っ黒で。
魅入られたのだと、直感した。

『(……なんだろう、焦りがない)』

魅入られる感覚について聞いたことはないし、まして経験するような場面に遭遇したこともない。
すると、ふすまが開かれ、中に小狐丸が1人だけ入ってきた。

「内側に入られるとは、また珍しい体験ができたものです」

『あ……えっと……』

「初めまして。私は殺された審神者の近侍をしていた小狐丸です。
……尤も、もう片方は殆ど自我がありませんから、私が出るしかなかったのですけどね」

穏やかな表情と口調で語りかけられた。言葉を紡ごうとすると、ちょん、と唇に指を置かれた。

「言葉を交わしてはいけません。ここは鏡の内部です。言うなれば反転世界……常世。
生者が入ることのできる限界領域です。取り込まれれば“最期”。魅入られますよ」

脳裏に映る、数々の鏡の伝承。
“魅入られる”とは、現世に帰ることができなくなる、という意味なのだと察した。
今も“魅入られている”状態なのだが、本当に“魅入られては”いけない。生者の存在を気付かれてはいけない。
私が感づいたのを察してか、小狐丸は指をどかした。

「さて、私ともう一つを見分けに来られたのでしょうから、手早くお話ししましょう。
私の刀は、刃に錆があります。……手入れを怠ったわけではありませんよ?わざとです」

首を傾げたためか、慌てて弁明が始まった。

「私のぬしさまが、死んだ後に災いが降りかからないようにと、己の血で術を施されたのです。
一滴の血の錆です。恐らくもう片方は、もう少し血に濡れていることでしょうから」

つまりどういうことか。どう見分ければ良いのか。疑問を口にできず、悩んでいることを身振り手振りで表す。

「刃を見られていないでしょう?いえ、見てはいけません。刃も鏡同様の物。より魅入られやすい。
使うべきは鼻と勘です。血の匂いの濃さや、血濡れで変形した刃の重みなどで、判別が――!!」

突如突き飛ばされ、部屋の隅へと追いやられる。痛みを感じないのは、ここが現実ではないからなのだろうか。
目を開いて状況を確認すると、話していた小狐丸が、――小狐丸と戦っていた。

「チィッ!!感づきおったか!!早く、現実に戻るのです!鏡を割れば戻れます!」

少し離れてしまった鏡に近づき、手に取ろうとした瞬間だった。それはスローモーションで知覚された。
私に向かって振り下ろされる刃。あらゆる防御が間に合わない。流れ込む、害意を向ける小狐丸の心情。
……ひたすらに、悲しみと悔しさ。ほんの少しの怒り。全ての負の感情が、“私”に向けられたものではなかった。
――気がついたとき、刃は振り下ろされていた。言葉を紡いだ小狐丸を一閃して。
彼が、私を抱え込む形で凶刃から守ってくれたのだ。私の顔に降り注ぐ赤は、つまり……。

「……彼女を傷つけはさせんぞ」

小狐丸が刀で心臓部を突く。“あちら”の小狐丸は、それを受けると霧散した。

『あ……あ……』

「……落ち着いてください。どうせ、私は消えているので――」

『そんなわけないでしょう!!』

「!!」

『魂があるから、まだ貴方は活きている!貴方の主の加護を、否定するのはいけない!まだ、手は打てる……!』

この世界に札は持ちこせない。代わりに、霊力の扱いはしやすいはずだ。小狐丸の体に、霊力をこめる。

「やめるのです。私の主ではない貴女にはとても負担が大きい」

『庇われて死なれるとか、そんなの耐えられない!』

「あれは、一時的に退けただけです。こんなことをしていれば――」

『じゃあ抵抗しないで!活きて!!』

嫌な気配が近付いているのは解っている。早く鏡を割らねば魅入られてしまうのだって、重々承知している。
だが、見捨てることはとてもできない。我が儘だろうと、自己満足だろうと、彼を破壊させたりしたくない!

「はっ……。小娘が無理をする……」

『!』

弱りのしかかっていた体が、少しだけ力を籠め、離れたかと思うと、喉を上へとなぞられ――。
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