中編夢

□体育の時間
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真戸教諭は厳しい一方でくだらない集団行動などに無頓着なので、高跳びの実技テストの最中、自分の順番が終わってからは何をしていても文句は言われない。
友人同士寄り集まって雑談したり、どこから持ち出したのかサッカーボールで遊んだりと各々自由にしている。
授業態度や協調性をとやかく言われないのは個人主義のリゼとしてはありがたいが、太陽の下でひたすら待機するのは苦痛だし、お遊びで体力を消耗したくはない。なので、意見の合致したウタとともに日陰になっている朝礼台の側に座り込んだ。
「それでね、そのあばら骨が内臓に刺さって…」
「あぁ、交通事故でよくあるよね。そういう死体」
「そう、シートベルト付けてないとああなるのよねぇ」
こうして二人だけで会話を楽しんでいると、会話の内容を知らない少女達の嫉妬の的になるのはいつものこと。
利己的且つ美しい女が同性から嫌われるのはある意味自然の摂理で、そんな質のリゼが魅力的な異性と懇意にしていれば、他の女子から反感を買うのは当然と言えば当然だ。
今も嫉妬心を孕んだ視線が突き刺さるが、そんなものと数少ない共通の趣味を持った友人では天秤にかける価値もない。
「僕はやっぱ刺殺体が…」
(あら?)
少女たちの敵意とは別に妙な気配を感じてさりげなく目線を移せば、ウタが凭れている朝礼台の下から長い手足を縮こめてコソコソと四つん這いで近づいてくる影が。
授業の始めに男女別に整列した折りに、女子の列の一番後ろで退屈そうにあくびをしていた苗字名前。ウタや四方を訪ねてよくクラスを出入りしているから顔も名前も知っていたが、女性だと気付いたのはその時が初めてだった。
名前はリゼと目が合うと、しー、と唇に指を当てて、ウタの真後ろに近づきその首に手を伸ばす。恐ろしく静かに、砂利を蹴る音すら立てずに近づいてくる様はスプラッター映画に登場する殺人鬼を思わせるが、ウタに向けて伸ばしたその手の中には、
(カマキリ…?)
「切り口が乱雑なところが退廃的で良いと思うんだ」
「えぇ、すごく綺麗よね」
顛末が気になるので気付かない振りをしてウタの注意が逸れないよう会話を続けることにした。
「ところでさ…」
あと少し。
そーっと後ろ首に伸ばされるカマキリ。
「名前は、そこで何をしてるのかな?」
振り向きもしないままのウタは、間違いなく背後に向けて話していて、伸ばされた手がギクリと硬直する。
そーっと、近づいた時と同じ動作で撤退しようとしているが、その前にウタに手首を掴まれて朝礼台の下から引きずり出された。
「わゎっ」
「まったく、子供じゃないんだから虫くっつけるイタズラとかやめてよ」
引っ張り出された名前は前につんのめったところをウタに抱き止められ、悔しそうに舌打ちする。
「あー、クソ。あとちょっとだったのに」
「ふふ、ごめんなさい。私と目が合ったせいよね」
この大人びた少年が狼狽える姿には興味があったので、リゼとしてもイタズラが失敗して残念だった。
「その前から気付いてたよ。どこにもいないから何か企んでるんだろうなって思ってたし」
そういえば、話している間辺りを眺めているような素振りを見せていたが、もしやずっと彼女の姿を探していたのだろうか。
「可愛げねぇな。たまにはおとなしくひっかかれよー」
「素手で虫捕まえるような子に可愛げの話されたくない。ていうかいつまでカマキリ持ってるの。いい加減逃がしてあげなよ」
せっかく捕まえたのに、とぼやきながらもウタに言われて渋々カマキリを地面に放す様子はひどく子供じみて、なんだか微笑ましい。リゼに敵意を向ける少女たちとはずいぶん違って、女の面倒な部分を削ぎ落としたようなところは好感が持てる。
そして、よく見ればなかなかに良い体つきだ。
「次!苗字!」
「ほら、呼ばれてるよ」
真戸の号令に嫌そうな顔をする名前をウタが促す。
「苗字ちゃーん、はやくぅー」
「うゎぁ、あの中跳ぶのか…すげぇプレッシャーなんだけど」
教師の呼び掛けに混じって、女子達が黄色い声を上げているので行きたくないようだ。
長身で凛々しい立ち居振る舞いの彼女なら、そこらの男よりよほどモテるだろうから注目されるのもわかる。
先に跳んだ四方蓮示が無駄に優れたジャンプを披露したせいもあってハードルがあがっているのかもしれない。
「苗字名前!いないのか!」
「終わったらなでなでしてあげるから行っておいでよ」
「いらねぇよ」
なでなでで心が動くだろうかとは思ったが、あっさり一蹴しながらも名前はわずかに染まった頬を隠すように駆け出したので、ある意味心動かされたのかもしれない。


「仲が良いのね」
教師に急かされて走っていく伸びやかな脚に見惚れながら、ぽつりとそう呟く。
「名前?中学のときからの親友だよ」
「そう」
「男の子だと思ったでしょ」
「フフ…そうね。さっき初めて気付いたわ」
スラリとしたその体は、男特有の筋張った硬さは感じられず、女特有の無駄な肉付きがなく、しなやかでとても、
「良いわね、あの子…ああいう子、すごく好みだわ」
とても、美味しそうだと思った。
ペロリと舌なめずりするリゼを見て、ウタの目の色が変わる。
あぁ、忘れていた。学校では人間の振りをするべきなのに。
「それって、恋愛の話?それとも食欲?」
驚きもせず怖れもせず、随分とストレートに言う。
意外だったのは、冷静を装ったウタの紅い瞳に、彼にしては珍しい強い感情の色が乗っていたこと。
見つめた相手を射殺してしまいそうな眼光に本能的な恐怖と闘争への高揚感が背筋を走る。
「さぁ?どっちだと思う?」
「食欲の方がまだマシかな。名前、恋愛に耐性ないから悪い人に騙されそうだし」
わざとらしくはぐらかしてみれば素っ気なく返された。
「私、純情な女の子を騙すような悪い人だと思われてたの?」
「男の子で騙されてる人はすでに何人かいるからね」
「もう、人聞きの悪いこと言わないで。それに私、女の子と付き合う趣味はないわ」
「へぇ、じゃあやっぱ食欲なんだ」
なら安心だとばかりに皮肉っぽい笑みを浮かべる。彼の中では親友が汚される方が喰われるより深刻らしい。
「ふふ、もし私が人を食べちゃうような化け物だったら、確かにああいう子を狙うでしょうね」
今さら手遅れだろうけど、あくまでも人間だというスタンスは維持する。冗談めかして言えば、ウタは普段の温厚なイメージからかけ離れた野蛮な冷笑を浮かべた。
「多分、無理だよ。君じゃ相手にならない」
なんの根拠があってか、自信ありげにそう言う。少しくらい喧嘩に強いだけの少女なんて、喰種を相手にすれば抵抗さえできないのに。だが、不思議と馬鹿にされた気はしない。
どっちにしても、と彼は続ける。
「あれは僕のだから、あんまりいやらしい目で見ないでくれる?」
バーを跳び越える名前の美しいフォームに女子たちが歓声を上げて、ウタはそちらを向いてしまった。それきり、彼の瞳はまたいつもの穏やかさを取り戻してしまい最早その奥底を測ることはできない。
「あら、あなた達そういう関係?」
「彼氏にカマキリくっつけにくる彼女がいると思う?」
「…ないわね」
「でしょ?」
親友以外の何者でもないよ、と、いつもの調子で笑う。
恋人を束縛するかのような独占欲を垣間見せながら、ただの親友だなんてどの口が言うのか。
「…よくわからないわ、そういうの」
リゼの中に捕食以上に執着すべきものなどないから、片恋をこじらせた男の心理なんて理解のしようがない。
ウタに倣ってキャアキャア騒がしい方へ目をくれると、相変わらず反感の目を向ける者がちらほらと見受けられるが、ウタの苛烈な眼光に触れてしまった今となっては、彼女らの視線を嫉妬と呼ぶのはおこがましい気がした。
正体にも感付かれているわけだし、あまり彼の感情を煽っても良いことにはならない。
自信家のリゼがそう思う程度には、ウタに畏怖を感じていた。
「よくわからないけど、あなたが心配してるようなことなんて何もないのよ?」
リゼは本能に忠実な化け物ではあっても、理性のない獣ではないと自負している。
美味しそうなあの子と、貴重な友人、その友人の信頼を裏切った時に彼から受けるであろう報復を天秤に乗せれば、僅差でウタの方に傾くことはわかっていた。
「ただ、素敵な子だから仲良くしたいなぁって思っただけよ。誑かしたりなんかしないし、当たり前だけど食べようなんて思ってないわ」
うっかり食欲に負けて喰べてしまったら、その時は素直に謝罪してやろう。
リゼにしては殊勝な思いで、そう心に誓った。




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