中編夢

□生活指導
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「苗字、ちょっと指導室まで来てくれ」
入学から三日目の放課後。ウタと寄り道の算段を立てながら下足場に向かおうとしていたところを、亜門教諭にそう呼び止められた。
「もうなんかやらかしたの?」と真剣なのか茶化しているのわからないトーンでウタに尋ねられたが、心当たりはない。
素行が悪い自覚はあるから、近いうちに何かしら生活指導の世話になることもあるだろうとは思っていたが、その機会は思った以上に早く訪れた。


「何故呼び出されたかは、わかっているか?」
入学したてで教師陣の顔も名前もろくに覚えていないし覚える気もないが、この並外れた長身と亜門という珍しい苗字のおかげで彼だけはすぐに覚えてしまった。
高圧的、というのとは少し違う、どこか有無を言わさぬ雰囲気を持っている。
自らの持つ正論は決して譲らない至極誠実で善良で頑固な人間、というのがこの短い間に抱いた印象で、つまるところ名前にとって苦手なタイプだった。
「まだ何もしてませんよー」
脚を組んで座る姿勢だの敬意のこもっていない敬語だのには物言いたげだったが、早く本題に入りたいのか指摘はしてこない。ただ「まだ何も」の言葉には「今後何かする気か」と眉を寄せた。
「今度、最初の服装容儀指導があるのは聞いているな」
「はぁ…まぁ」
何を遠回りな。身なりに問題があるならわざわざ指導室に引っ張らずその場で言えば良いものを。
(何言われても直す気なんかないけど)
イラつく名前の内心をよそに、扉の向こうからはククッと抑えた笑い声が聞こえた。
「笑うな!」
「だって…っ…こんな校則ユルい学校で格好注意されるとかどんだけ…」
扉に嵌め込まれたすりガラス越しにぷるぷると震える金髪が覗く。
先に帰れ、と促したウタは結局指導室まで付いてきて、部屋の扉にもたれて笑いを堪えていた。彼なりに心配して付いてきてくれたのかと思っていたが、どうやら買いかぶり過ぎらしい。
「そこで待つのはかまわないが、少し黙っていてくれないか」
呆れた亜門がそう嗜めるといくらか静かになったので、ゴホンと咳払いを一つして説明を再開する。
「我が校は自由な校風だから多少の服装の乱れは多めに見る。頭髪やピアスまでは良いとしても、その首の…」
「あぁ、コレ?」
「そうだ」
首の、まで出て、ようやく言わんとしていることを理解する。
パーカーの襟元からわずかに覗く、黒いトライバル柄のタトゥー。
昔からの趣味で自らの体を実験台に少しずつ練習して、最近ようやく人に見せても恥ずかしくないクオリティに至ったので、見えやすい位置に彫ったのだ。
「一応聞くが、シールだとかペイントだとか、すぐに取れるものではないんだな?」
「…まぁ、そうっすけど」
彫り物に対するこの拒否反応はなんなのだろうかと常々思う。
同じ体を傷つける類いの装飾にもかかわらず、ピアスは許容してタトゥーは禁止する意味がわからない。
かといって今ここで刺青の是非について教師と議論する気はないのだが。
「自分の意思でやったのか?」
「…それ聞く必要あるんすか?」
「あぁ、君は知らないかもしれないが、大人が強要したのなら場合によっては虐待と同じ扱いになるんだ。もし何か事情があるなら相談に乗るから、なんでも言いなさい」
(…良い奴って面倒くさい…)
この手合いは、反発すればするほど妙な親心を発揮して更正させようとプライベートにまで踏み込んでくるから厄介だ。
まだ頭ごなしにクズだ害悪だと見限られた方が、素性を隠している身としてはありがたい。
良い人の方が扱いやすい、と簡単げに言ったのはウタで、実際彼はあの攻撃的な見た目にもかかわらず非常に上手く立ち回っていて、時に羨ましく思う。
ウタのようにはいかなくとも、とりあえずこの場を誤魔化す術はないだろうかと考えあぐねた結果、
「容儀指導までに消せないにしても、どこか病院を探して消そうという意思を示せば先生方も納得す…」
「先生」
「どうした」
「ホクロです」
思いついたのがこれだ。
「は?」
「ホクロです」
自分の知っているホクロと名前の肌に走る模様を比較しているのだろうか、ポカンと口を開けてまま固まってしまった後、ふるふると首を横に振った。
「いや、そんなわけがないだろう…」
「昔からのコンプレックスなんです」
「そ、そうなのか…」
「消さなきゃダメっすか?」
「う…それは…」
「こんなんでも親からもらった体だからイジりたくありません」
「……そうだな」
すりガラスの向こうの金髪がまた笑い声を抑えようと震えるのが見える。これだけピアスやブリーチで傷めつけておいて親からもらった体がどうのこうのと、言っている本人も真顔を維持するのに必死なのだからせめて話がつくまでは堪えていてほしい。
「し、しかしだな、本当にホクロなのか…」
「亜門先生」
「なんだ」
「ボク一応女なんで、体のコンプレックスを男に指摘されるとまあまあ傷つきます」
「あ…」
「あ、そういえば女子だった、って思ったでしょ」
「いやっ、そんなことは…すまん!傷つけるつもりはなかったんだ!」
このやりとりに堪え切れなくなったウタは盛大に吹き出し、その笑い声に亜門は一層動揺する。
善良なだけに加害者の立場に陥ると弱い。女子生徒に恥をかかせてしまった一連の会話を聞かれ、笑われたことでより罪の意識に苛まれていることだろう。
なるほど、良い奴が扱いやすいというのはこういうことか。
「帰って良いっすか?」
「……ああ。すまんな、時間を取らせて」
冷淡に退席の意を示せば、亜門は憔悴した様子でうなだれたまま許可した。
騙しきれてはいないだろうが、これでしばらくは放っておいてくれるだろう。



「さすがにホクロは無いんじゃない?」
学校を出てからもしばらくクスクスと思い出し笑いをしていたウタは、周りに人気がなくなった辺りで切り出した。
「充血よりかはマシだろ」
「あれ?なんで知ってるの」
「蓮示から聞いた」
「へぇ、あの時起きてたんだ」
喰種は死ねと公言するような担任に嚇眼を見咎められたというのに、淀みなく充血だと言い張る度胸は大したものだと、無口な友人はなにか間違った方向に感心していた。
「それはそれとしてさ、顔にもタトゥー彫りたいって言ってたよね?」
「?そうだよ」
「ホクロじゃないってバレちゃうよ」
「……あ」
言われてみれば。時間を経て増長するホクロなんて、なにかの病気か呪いだ。
やはり嘘を吐くには向いていない。暴力で解決できればどんなに良いか。
「卒業までおあずけだね」
「い、いいもん。どうせ顔の方はもうちょっと練習してからって思ってたし」
強がって言った言葉に、ウタはまたクスクスと笑って、後ろからのっしりと体重をかけてきた。
「じゃあさ、練習台になってあげるから僕にも彫ってよ」
「っ…まだ言ってんのかよ」
今までに何度も同じお願いをされて、その度に断ってきた。まだ他人の体に施術するほどの自信はないと言うのに、何度断ろうが彼はあきらめない。
後ろから抱きついてくるのは、今度は逃がさない、という意思表示なのだろうか。
「あのなぁ、さっきのやりとり見てたろ。見つかったら面倒だぞ」
「いいよ。君よりかは上手く逃げる自信あるし。デザイン、考えとくね」
「おい、まだやるとは…」
焦って振り向けば、背中に貼りついていた彼はパッと身を翻し、軽く地面を蹴って高い塀の上に跳び移った。
「楽しみだなぁ」
「待てって!」
気が付けば周りには一切人の気配がない。正体を隠す気兼ねがないのを良いことに、このまま言い逃げする気だ。
「…ったく、しょうがないな」
「え、本当にやってくれるの?」
かなり小声で言ったことだがウタは聞き逃さず、塀の上で急ブレーキをかけてバランスを取りながら振り向く。
「なんだよそれ、やるのかやんないのかはっきりしろ」
「やるやる!」
意気揚々といった様子で塀から跳び降り、名前の背中に舞い戻ってきた。そう喜ばれると、なんだかくすぐったい。
「失敗したら皮剥いでやり直すから覚悟しとけ」
「うん、覚悟しとく」
この後、どういう心境の変化なのかと問いつめられたが答えなかった。
技術が追い付いてきた、というのもあるが、理解者の少ないこの趣味を今までに手放しで称賛してくれたのはウタ一人だけだったから。
それが嬉しくてなにか報いたいと思った、なんて口が裂けても言えない。



 

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