短編夢

□勝負の行方
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「えー、んじゃ腕相撲しよ腕相撲」
不満げに口を尖らせる名前はウタの腕を解いて立ち上がった。やる気の表れなのか、服の裾から伸びてきた尾嚇が興奮した犬のようにブンブンと左右に揺れる。
「もう、店壊したら承知しないからね」
腕を組んで呆れ顔のイトリが釘を刺した。腕相撲で店が壊れるとはどういう状況なのか。
「金木くんも入る?」
一方のウタは楽しい遊びのノリで誘うのでなおさらよくわからない。
「え…、ぼくは…」
一瞬で片付くつまらない勝負になっても構わないなら参加するつもりだった。
「よせ、お前らとやったら折れるだろう」
「折れっ……う、腕相撲ですよね?」
制止してくれた四方に感謝する。大人二人が危険を示唆するのだから、相当危険なのだろう。
「誰でもいいからはやく来いよ」
すでに二人掛けのテーブルで構えた名前はバンバンと向かい側を叩いて催促する。
「はいはい。イトリさん、審判やって」
両腕を螺旋に絡めてグイグイと筋を伸ばすウタは、心なし高揚しているように見えた。
(それはじゃんけんの時の準備運動なんじゃ…)
すっかり闘争心に火が点いてしまった名前に、はやくはやくと急かされ、向かい側に座って構えたその手を取る。
「よーし、準備OK?Redy…Go!」
イトリの合図と同時に、ミシリと骨の軋むような音がした。
「ッ……うわぁ、やっぱなまってるなぁ…ちょっと、手加減、してよっ」
「なにがッ、なまってるだ……隠居面してんじゃねぇよッッ」
筋肉の動きに合わせて二人の刺青がうねる。
鋭くガンを飛ばし合って、さっきまで仲良く一つの椅子に座っていたのが嘘のようだ。
「…あ、その顔なんか…アレの時みたいでイイねッ」
アレがなにを指すのかわからないほど、金木も子供ではない。
確かに、酔いが回ってほのかに赤らんだ頬や、眉をひそめて唇を引き結んだ表情は少し色気を帯びている。
ウタが言うと下ネタに聞こえないのが不思議だが、名前にはそれなりに有効だったようで、わずかにウタの方が優勢になる。
「ちょっ…精神攻撃ヤメろよ!」
「なんのこと?僕、アレとしか言ってない、けど?」
「っ…、あげ足取るな!」
「相変わらずッ、メンタル弱い…ッ」
「こ…の、ゴチャゴチャうるせぇ…ッ」
「ッ…喋っちゃいけないルールはないでしょ?」
「ウーさん大人気なーい。名前も、アレの一言でナニ想像してんの」
「い、イトリッ…便乗すんなっ」
割って入った野次で名前の集中力が切れたらしい。みるみる傾いてコツンとテーブルに手の甲が触れる。
「あ゛ークソッ」
「やった」
全力で悔しがる名前に対して、ウタの方はガッツポーズの一つもない。
その薄い反応も癪に障るらしく、さっきまで楽しそうに左右に揺れていた尾嚇が今は怒りを露に真上を向いている。
「次!蓮示!」
治まりのつかない名前は席を立つことなく、四方を指名して勝負を催促した。
「え?勝ち抜きじゃないの?」
第二回戦に備えているのか、先ほどの腕を絡める準備体操をしていたウタはコクンと首を傾る。
「どーせ三人しかやんないんだからいいじゃん。ホラ、さっさと来い」
「………ハァ」
思い切り眉間を寄せてため息。先ほどやり取りで、まともな勝負は望めないと悟ったようだ。
「あ、コイツため息つきやがった」
「さっさと始めろ」
渋々といった様子で、ウタと入れ替わって席に着く。
「名前、ガンバレ」
「うっせぇ」
立ち退いたウタは名前の後ろに回って声援を送るが、今しがた姑息な精神攻撃で勝利した者の声援を受け取ってもらえるはずがない。
「はいはい、手組んで。Redy…Go!」
「………」
「……ッ」
「………」
どちらの腕も釘で打ち付けたように動かず、完全に力が拮抗している。無言で組み合っているので、圧迫された指先が白くなっているのを見なければ手を握り合って静止しているようだ。
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「なんか…ッ…無言だとそれはそれでやりにくいな…ッ」
「さっさと終わらせなさいよー」
「わかって…る!」
わずかに、握り込んだ指が動いてさらに力を込めたのが見て取れる。その時、名前の背後でおとなしく見守っていたウタがふいに身を屈め、
「ひゃんっ」
ふぅ、と名前の耳に息を吹き掛けた。
奇妙な悲鳴を上げた彼女の手は四方に押されるまま一気に傾く。
「おお、まだ手ぇ付いてない」
寸でのところで持ちこたえた腕には幾筋にも血管が浮き、平静だった瞳孔は紅く歪に光っていた。
「…クッ……てめ…ッ何しやがる!」
「うッ」
今までは暗黙の了解で本気にはなっていなかったのだろう。
が、怒りに身をうち震わせた名前は、テーブルすれすれの所で止まっていた手を一気に押し戻し、四方の手をテーブルに叩きつけた。
「アッハハハ、何今の!なんで蓮ちゃん、耳責めされて喘いでる子に負けてんの」
「あ、喘ぐか!ウタッてめぇ、どういうつもりだ!」
勝ったはずの名前は激怒してウタの胸ぐらに掴み掛かる。勝負の最中に二回も辱められれば当然だが。
「うん、はやく終わるかな、と思って」
「だからってなんで蓮示に加勢するんだよ!」
「えー、蓮示くんの喘ぎ声聞きたい?」
「聞きたくねぇよ!!」
「…お前ら、少しは言葉を選べ」
口論し始めた二人と打ち付けられた手を擦っている四方の間でオロオロしていると、さっきまで腹を抱えて笑っていたイトリが急に声を抑えて金木の耳元で囁いた。
「ウーさん涼しい顔してるけど、ホントは名前と蓮ちゃんが手握って見つめ合ってんのが気に食わなかったのよ」
「え?えっと…つまりヤキモチってことですか?」
イトリに合わせて声をひそめる。
「そういうこと」
「いや、でも勝負したいって言いだしたのウタさんですよね…」
「思ったより長期戦になったから、見てるうちに腹立ってきたんじゃない?ホント、いい歳してなにやってんだかねぇ」
そういうものなのだろうか。手が触れるだけで嫉妬してしまうほど誰かに執着するなど、金木にはピンとこない話だ。
「昔の喧嘩が激化したのだって、名前が間に入ったせいなんだから。蓮ちゃんにその気なんか全くないのに」
「そんなこと、ぼくに話しちゃって良いんですか?」
なにかイケナイことを知ってしまったような気がする。特に恋愛的な話題が苦手らしい彼女が猛烈に恥ずかしがりそうな話だ。
「アタシには一銭の価値もない情報だもん」
蠱惑な笑みを浮かべるイトリはコロリと表情を変え、何食わぬ顔で輪の中に戻っていく。
「よっし、そんじゃ蓮ちゃん、名前の仇取ったれ!」
「なんで勝った奴の仇を取るんだ」
「良いから!ほら、ウーさんはやく!ウーさん負けたら名前とアタシがベロチューで、蓮ちゃんが負けたら一杯飲んでもらうからね」
「勝手なこと言うな」
「イトリさん、その罰ゲーム誰も得しないよね」
「おい、ボクの勝負もう終わったんだから巻き込むなよ」
楽しそうに笑うイトリは名前を引き寄せて、勝手に罰ゲームを設定し始めた。口々に上がるブーイングなどものともしない。
この中で一番強いのは、実はイトリなのでは、と思えてくる。
本気で怒らせない程度に絶妙にウィークポイントを捉える器量は流石だ。暴力に頼らないだけに性質が悪い。
輪から閉め出された気分の金木は遠巻きにその様子を眺め、暇潰しがてらにそんなことを思った。



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