雲一つない晴天の午後。馬に屋根付きの荷台を引かせた複数の男女が孤児院の門を潜った。

「こんにちはー!リンゴ園のハンジですー!モブリット、ニファ、用意するよ」
「はいっ!」

ハンジの元気のよい挨拶に続き、負けじと男女の声が響く。
その声を聞いて駆け寄ってきたのは孤児院の職員でもなく、外で遊んでいた子供達でもなく、玄関扉を壊す勢いで開け放った小さな小さな男の子だった。

「ハンジ!」
「やぁリヴァイ。元気にしていたかな?」
「もちろんだ」
「それはよかった!」

ハンジの元まで駆け寄り、勢いを殺すことなく抱き付いたのは、この孤児院で暮らすリヴァイという少年だった。
スラム街で遺体と間違えられて回収され、瀕死ながらも息をしていたリヴァイをこの孤児院で保護したのだ。ほぼ骨と皮だけのリヴァイだったが生まれ持った生命力の強さが幸いして、今では走り回れるまで回復した。

しかし、保護された当時のリヴァイは誰にも心を許さなかった。暴力を振るうでもなく非難するでもなく全てに於いて無反応で、子供達には勿論、リヴァイを甲斐甲斐しく世話する職員にも反応を示さなかった。
食事すらまともに受け付けないリヴァイにほとほと頭を悩ませていた頃、ハンジがリンゴを売りに孤児院を訪れた。
真っ二つに切れば中心に蜜がある、真っ赤なリンゴ。
それを相場の半分の値段で売るハンジに職員は訝るが、「美味しいリンゴを沢山の人に食べてもらいたいだけ」と拳をつくって主張するハンジの裏表のない人柄に触れるうちに、その瑞々しいリンゴを定期的に購入するようになった。
因みに「サービス!」と言って持ってくるリンゴのお菓子は子供達に大人気だ。

「今日は箱を貰おうかしらね」
「ありがとうございます!」
「お姉ちゃんのリンゴ、美味しいから好きぃー」
「ありがとう!次に来る時はもっと美味しいのを持ってくるからね」
「うん!」
「お姉ちゃんのリンゴだったら、リヴァイも食べるかな?」
「リヴァイ?」

何度目かの訪問時にハンジはリヴァイの存在を知った。
ハンジは自分になら、と思い上がっている訳ではない。そうではないが、リヴァイの話を聞いていても立ってもいられず、気付けば職員に面会を求めていた。

ハンジが部屋に来てもリヴァイは無反応だった。表情がすとんと抜けきっているのか、長い前髪の隙間から覗く伏せた瞳は子供特有の光を感じられない。
長く陽の光を浴びていないのか肌は白く、痩せ細った身体と相まって危うさが漂う。
ハンジはリヴァイに話しかけなかった。ただ、ベッドに腰かけるリヴァイの隣に座り、髪を撫でた。
ベッドの正面には天井まで延びる窓がある。その大きな窓から降り注ぐ陽の光を存分に浴びて暑くなってきた頃、リヴァイはハンジがサイドテーブルに置いた硝子皿を引っ掻いた。
カリカリと、骨張った小さな手と短い爪で引き寄せようとするリヴァイを手伝い、ハンジは硝子皿を手に乗せてやる。
その中は、すりおろしたリンゴ。金色に輝く果汁にふわふわの果肉。甘酸っぱい匂いはハンジにまで届き、条件反射からじわりと唾液が滲む。
ハンジはスプーンを持ち、小さく掬ってリヴァイの口元に運ぶ。
リヴァイはスンスンと鼻を鳴らして静かな動作で口に含んだ。硝子皿を凝視し、殆ど顎を動かすことなく飲み込んだリヴァイは果汁で湿った唇をパコッと薄く開ける。ハンジはそれが次の催促に思えて二口目をリヴァイに与えた。
三口目。
四口目。
そして、すりおろしリンゴを食べきった頃にはリヴァイは泣いていた。
表情こそ崩れないが鼻の頭を真っ赤にし、涙をボロボロと溢しながらハンジに抱きついた。
ハンジもリヴァイを胸に抱き止め、あやすように背中や髪を撫でる。浮き出た背骨や肋、膝に乗る体重の軽さ、ハンジの服を力一杯握りしめる幼い手に、言い様のない切なさがハンジの胸の中を満たしていく。
ハンジは結婚もしていないし子供もいないけど、それでも母を呼ぶリヴァイに目一杯の愛情を込めて沢山のキスを贈った。

それからリヴァイは徐々に孤児院の皆と打ち解けるようになり、職員の手伝いも進んで行う、所謂「兄貴分」となっていった。職員に対しても、親しみを込めて「先生」と呼ぶハンジの真似をして、そう呼ぶようになった。
そしてハンジに向ける愛情は群を抜いており、会うたびに「けっこんしよ」と口説きに行っている。



然程昔のことでもないのに、ハンジはリヴァイと出会った時のことを懐かしんだ。

(あれから随分と大きくなったよね。口数も増えたし、何よりここの子供達が君を慕っている。ああ、我が子の成長を喜ぶ母親の気持ちが、ちょっと分かったかもしれない)

「ハンジ、けっこんしよう」

ホクホクと温かな気持ちに包まれるハンジの足にしがみつき、リヴァイは今日も訴える。そんなリヴァイの柔らかな髪を撫で、ハンジはカラカラと笑った。

「"う"まで言えるようになったね」
「?」
「こっちの話だよ」
「いつ、けっこんする?」
「いつかなぁ〜」
「ハンジ、おれはおまえがいればそれでいい」
「ちょっと、どこで覚えてきたのそんな台詞」
「先生」

モブリットとニファは子供達に作ってきたアップルパイを配りながら、そんな二人の会話に頬を緩ませる。
毎度の事だが、モブリットとニファは上司と少年のお馴染みのやり取りがとても好きだった。
ハンジが帰るまでに結婚の約束を取り付けようと必死な少年は愛らしいし、その少年を見つめる上司の眼差しは慈愛に満ちている。ああ、平和だ。

「まだ、だめなのか?」
「本当の事を言うとね、リヴァイはちっちゃすぎるんだよ」
「…おっきくなれば、けっこんする?」
「ああ!リヴァイがうんとおっきくなったらね!私のリンゴ園も手伝うんだ、ちっちゃいままだと私とリンゴ、どっちも守れないだろう?」
「…たしかに」

ハンジはリヴァイを抱き上げて「おっ、また重くなったねぇ」と言いながら頬にキスを贈る。リヴァイのふくふくほっぺと少し焼けた肌、陽差しで輝く瞳に自然と笑みが零れた。

「だからまずは、沢山食べておっきくなるんだよ。それから沢山遊んで、沢山寝るんだ」
「先生のてつだいも、する」
「そっか!リヴァイはいいお兄ちゃんだ!」
「でもハンジ、やくそくがほしい」
「約束?」
「おっきくなったら、けっこんしよう」
「オーケイ。待ってるよ、リヴァイ」
「ハンジ」

そしてリヴァイは薄く笑って、ハンジの唇に自分の唇を押し付けて「やくそくのちゅーだ」と、満足げに頷いた。
モブリットやニファもそれに乗じて「結婚式には呼んでくださいね」なんてリヴァイの味方をする。
孤児院の職員も馴れたもので、「よかったね、リヴァイ」と言いながらアップルパイを口一杯に頬張る子供達の面倒を見ていた。
ハンジも「一本、取られたなぁ」と心中で呟き、小生意気に成長するリヴァイを嬉しく思いながら頭を撫でた。

「ハンジ、おれがいないからってうわきするなよ」
「だから、どこで覚えてきたのそんな台詞」
「先生」

そろそろ先生に物申しても言いかもしれない。



ハンジは夢にも思うまい。
15年後、立派な男性に成長したリヴァイに本当に求婚されるのを。
リヴァイは夢にも思うまい。
成長期を過ぎてもハンジの身長を追い越せず、求婚できずに人生を終えるのかと本当に悩むなんて。




大人ハンジと子供リヴァイ






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