小話

□事の後。青の事。(クロ棺)
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「おや」

午後4時。本屋でのバイトを終え、アパートに帰ろうと公園の横を通れば、いつだったか先生が「コンビニ小町」と呼んだ白猫が目の前を横切った。

「これが黒猫だったら不吉の象徴でしたね」

だからと言って気にする自分ではないが、何となくその白猫を目で追う。
その白猫は悠々と道路を横断し、歩道沿いに設置された花壇に侵入。植えられた花々の間を縫うように公園の中へと入っていった。

「小町。どちらへ?」

小町が消えた先を見つめ、公園の向こうにそびえ立つ真白い建物に視線を遣る。
そこは盈月図書館で、先生が放課後の殆どの時間を過ごす場所。
きっと今日も閉館まで居るのだろうから、多少の寄り道は問題ないだろう。

「ふむ…」

まあ、先生があそこを出れば姿が見えるし、どうとでもなるでしょう、と一つ頷いて小町を追った。


***


「おや、意外でした」

小町を追って公園に入れば、図書館に籠っているだろうと踏んでいた先生がブランコに座り小説を読んでいた。

「先生」

小町が先生の足元に座り、仰ぎ見る。
先生はそれに気付かず黙々と文字の羅列を目で追っていて、顔を上げることはない。

「先生」

私の声にも気付くことはなく、先生はゆっくりと瞬きをして頁を捲った。紙の乾いた音が響く。
先生の隣のブランコに座り、踵を着けてゆらゆらと揺らしてみる。存外、悪くない。


あちらで旅をしていた時は、こんな遊具なんぞは存在しなかった。
そもそも根無し草であてのない旅だったので、娯楽的な要素に触れるのは皆無に等しい。
それに、夕暮れが差し迫るとその日の寝床を用意しなければならなかった。
こんなに燃えるような夕陽を前に、何もせずにただ座っているというのは、やはり、住み処があるのと無いのとでは時間の使い方が異なる。

東の空が群青を薄く塗ったような色に変わりはじめ、夕陽の色が濃くなる。
風の匂いもどこかの家の夕飯の匂いが混じり、吹く風の冷たさが変に肌に滲みる。
そこでふと、小町はどうしたのか気になって先生の足元を見遣れば、かの白猫はいつの間にかいなくなっていた。
この時間だ。当然の結果でしょう。
(懸命な判断です)
明日、見かけたときにはパンのお裾分けでもしましょうかね、と瞳を細める。
すると、そのタイミングで漸く隣から布の擦れる音が聞こえた。

「あー…。面白かったぁ…」
「先生、ひどいですね。本を読んでいると本当に周りが見えなくなるんですから」
「うわっ、居たの?」
「本当、ひどい人だ」
「ごめんごめん」

本を閉じ、満足気に長い息を吐いて空を仰ぐ先生に笑って話しかければ、先生は体を震わせてこちらを見た。
先生からしてみれば、突然、私が湧いて出てきたかのように思ったことでしょう。全く。

「いつから居たの」
「少し前です。小町を追って公園に来てみれば、先生がここで本を読んでいました」
「小町は…」
「とっくにお帰りになりましたよ」

明日見かけたら牛乳でもあげよう。
私から視線を逸らし、そう呟く先生にただ笑みを返す。

「帰ろっか。晩御飯の用意しなきゃ」
「お手伝いします」
「それやっちゃったら、当番制にした意味がなくなっちゃうでしょ」
「しかし、私も先生も料理には疎いので、場数をこなすのがお互いのスキルアップに繋がり、手っ取り早くていいかと思いますが」
「うぐ…」

先生が読んでいた本を持ち直し、鞄の留め具を外す。
その際に本の表紙がちらりと見えたのでその全面を見てみようと立ち上がり、先生の前に立って、く、と身を屈めた。

「なに?」
「いえ、どんな本を読んでいたのでしょうと思いまして」
「ああ。これはね、虹を食べる蛇の子の話だよ」
「…」
「七色の虹はとても綺麗で、その虹が出ればどんな人だって必ず空を見る。地味で体が小さい蛇の子は皆に自分を見てほしくてその虹を食べちゃうんだ。それで自分自身が虹になってしまうの」
「……」
「でも、虹はいつも空に出ている訳じゃない。時間が来ればその虹は消えてしまって、皆の目には映らなくなるの。すると、蛇の子のお母さんが居なくなったその子を探すんだけど、虹になってしまった蛇の子の姿はお母さんには見えず、声も届かない」
「………」
「そうして蛇の子が泣いて雨が降り、泣き止んだ頃に虹が出て、お母さんの目には綺麗な虹だけが映るんだ」
「…………」
「ーって話」
「先生。相変わらず悪趣味ですね」
「そうかなぁ。私、結構好きなんだけどな」

先生の手の中には、この夕陽のような色をした本。その表紙は中央部を白く抜き取り、その中に七色の虹を収めたものだ。
先生はそれに視線を落とし、眉を寄せてうんうんと唸る。恐らく納得いっていないのでしょう。あの世界で何度も見た先生の表情に笑みが深くなる。

「まあ、先生の趣味の悪さは昨日今日、始まったことではありませんしね」
「自分だって人の事を言える趣味してないじゃん…」
「なにか?」
「別に」

本を鞄にしまい、留め具を元に戻すと先生は顔を上げた。
眼鏡のレンズや物静かな紫の瞳に夕陽が射し込む。不思議な色合いを放つ、先生の紫色。

「行こっか」
「はい」

一歩下がって支度を待つと、先生はブランコから立ち上がってスカートの裾を払い、抱えていた鞄を右手に持ち直し私の隣に並ぶ。
定位置とも呼べるその場所に落ち着くと先生は眼鏡のブリッジを押し上げ、腕時計に視線を落とした。

「で、晩御飯はどうしようか。なに食べたい?」
「先生のお好きなもので」
「じゃあカレー」
「…先週、三日続きましたよね」
「簡単で美味しいじゃない」
「三日、続きました」
「…じゃあシチュー」
「ルーが変わっただけじゃないですか」
「じゃあ、なにがいいの」
「肉じゃが。肉じゃがにしましょう」
「…白瀧がない」
「買って帰りましょう。ほうれん草も」
「…」
「苦手な煮物、克服しましょう」
「なんかさ…。クロって料理覚えたら凝りそうだよね」
「そうでしょうか?あまり興味はないのですが」

先生の呆れたような恨めしげな視線が刺さる。
別に腹に入ればなんだっていいのだが、流石にカレーが続くと嫌気が…おっと、失礼。

夕陽も沈み、延びる影もない。
空には星が出始めて、まだ薄明かるいその向こうで幽かに輝きを放っている。
いつの間にか街灯も点き、町は夜の準備に入っているようだ。
帰路を行く人々も増えはじめ、先生のような制服を着ている方や、私のようなスーツを身に纏っている方等、その種類は様々だ。

「先生」
「なに?」

自分も、この世界で生きている。
行き交うその他大勢の一人となっている。

「晩御飯、楽しみですね」
「…手伝ってよ」
「ふふ。勿論です、先生」

隣を見下ろして声を立てて笑えば、先生は一瞬目を見開き、その顔に珍しく笑みを湛えた。


(これはこれで、楽しいものですね。先生)





end

(先生。所で、何故公園で本を?普段は図書館で小説の構想を練っていらっしゃるのに)
(なんとなく?)
(なんとなく、ですか)
(そう。なんとなく)
(すれ違っていたら、どうするおつもりで?)
(ここから図書館の入口が見えるし、いいかなって)
(実際、私が隣に座ったことにはお気付きになられませんでしたが)
(それは、ごめん)
(…)
(無言の微笑みはやめてよ。本当に他意はないんだから)
(段々と冷えてきています。出来れば館内でお読みください)
(あ、うん。…ごめん)
(分かっていただけたなら結構です。おや、今回は成功ですね)
(前回は煮詰めすぎたんだね)
(ほうれん草は茹ですぎましたが)
(ご愛嬌よ、ご愛嬌)

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