小話

□学園祭の申込み(明姫)
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「明神さん、この後ちょっとお邪魔してもいいですか?」

お母さんと明神さんと、いつも通り三人で夕飯を終えた後、明神さんと二人で台所で片付けをしている最中、自室にある申込用紙を思い出して洗い物の手を止めた。
隣で食器拭きに専念していた明神さんを見上げながらそう聞けば、「うん、いいよ。おいで」と、二つ返事で了承を貰えたことに安心して最後の大皿に取り掛かった。




「お邪魔しまーす」
「はいよー」

一旦部屋に戻ってから管理人室に入れば、明神さんはTシャツとグレーのスウェットに着替えていて、麦茶を二つのグラスに注いでいる所だった。

「はい、麦茶どーぞ」
「わ、有難うございます。頂きます」

差し出された麦茶を手に取り、片膝を立てて座る明神さんの向かいに腰を下ろす。少しひんやりした畳が気持ち良い。

「で、なした?なんかあったのか?」
「あのね、これなんだけど」
「…学園祭のご案内?」
「うん。明神さん、この日のお仕事ってどうかな?よかったら来て欲しいんだけど…」

麦茶を一口飲んだところで促されるままに持ってきた用紙を明神さんに見せた。
用紙には『学園祭のご案内/入場申込用紙』と題されている。

「嬉しい申し出だけど、お母さんは?…その、学校行事だろ?」

学園祭の入場申込用紙をペラリと持ち上げ、その氏名欄に書かれていないお母さんの事を気遣ってか、明神さんは気まずそうに私と用紙を交互に見遣った。

「うん。お母さんにも聞いたんだけど、私はいいから折角だから冬悟さんを誘ったらって」

お母さんが言った事をそのまま口にしたせいか、明神さんの事を冬悟さんと呼んでしまった。以外に恥ずかしくって、首筋に熱が篭る。
でも当の本人は普通の態度。少しムッとしたのは内緒だ。

「…」
「…明神さん?」

氷と麦茶が入ったグラスを唇に押し付けながら返答を待つ。自分の吐息でグラス内が曇り、麦茶の濃い匂いが香り立った。
未だ用紙を凝視している明神さんは困ったように苦笑いをして、姿勢を崩し胡座をかいた。
その行動に一気に不安になり、持っていたグラスを思わず畳の上に置いた。コースターもないから、さっきまでグラスを置いていた場所は水滴で濡れ、藺草の色が変色していた。

「ああ、いや。本当ならそう言うべきなのはオレの方なのにって思って。お母さんには日中、オレがいない間はうたかた荘を任せっきりにしちまってるからさ」
「明神さん…、」
「そう思ったクセに、嬉しいんだ。ひめのんの、このお誘いも、お母さんの申し出も」

夏真っ盛りの七月。陽魂・陰魄が活発になるこの季節。
実は、明神さんの「案内屋」のお仕事が以前にも増して増えており、多忙を極めていた。
お母さんとしてはここ連日、陽魂・陰魄・ご近所パトロールに加え十味さんからの依頼(勿論無償)に和尚さんの幽霊相談(という名の愚痴)にも付き合っている明神さんが、少しでもリフレッシュ出来ればって考えたはず。
なんだかんだでお母さんは、明神さんやうたかた荘の住人を始め、パラノイドサーカスの皆に甘い。まるで子供の相手をするかのように。
かく言う私も、目の前にいるこの人に甘いのだけれど。

「明神さん。私、明神さんが来てくれたらすっごい嬉しいよ」

この気持ちは本物だった。準備期間の間、何度思った事か。
あの正門を、他の人より頭一個ぶん飛び出してる白髪が通ったらと考えただけで学園祭の準備にも熱が入った。

「またそういう、…オレをそんなに喜ばしてどーすんの」
「えへへ、」

胡座をかいた膝の上に右肘をついて、顔を覆う。苦笑しているがこの顔は困っているんじゃなくて単に恥ずかしい時の顔。
それが分かるくらい、この人と一緒にいた。
この人が、素の自分を見せてくれていた。
それが嬉しくて思わず声を立てれば、随分と優しい表情の明神さんはくすり、と小さく微笑んだ。

「この日は仕事ないよ。つーか入れない」
「え?」
「だから、学園祭、行くよ。お邪魔します」
「…うん!」
「んで。ここに名前を書けばいいの?」
「うん。こっちね。名前と曜日に丸してね」
「曜日指定まですんのなー」

はにかみながらそういった明神さんは、出っ放しになっている折畳み机の上に用紙を置き、ボールペンをくるくると回してから名前を書きはじめた。
コリコリ、シュ、とボールペンの芯が滑る音が響く。
机に向かう明神さんを眺め、もし同い年で同じ学校で同じクラスで席が近かったりしたら、こんな明神さんを毎日のように見れたのかもしれない。
そんな思考と静寂にドキドキしてると、はい、と用紙を返された。
緊張しながら用紙を確認すると、少し癖のある字で「明神冬悟」と記入されている。
私の字とは違って大きくはっきりとした文字。一気に体中がほっこりとした。

「有難う、明神さん」
「こっちこそ、サンキュな」

用紙を持つ指先に力が入る。
なんとなく、この用紙だけは皺一つ、折目一つ付けずに学校に持って行きたくなった。明神さんには文字にすら力を注ぎ込む事が出来るのかな。
なら、「明日忘れないように」とか「テストに出る!」とか書いてくれたら、私の学習率は半端なく上がるんじゃないんだろうか。
カラン、と、溶けてきた氷がグラスの中で踊った音で我に返る。
部屋の隅に立て掛けてある壁時計を見れば、日付変更して五分が経過していた。



学園祭の申込





end

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