小話
□白いこども(明姫)
1ページ/1ページ
オレは今、夢を見ている。
はっきりとしない、暑さも寒さも感覚もない、ゆらゆらと水中を漂うようなそんな意識。
辺りは真っ暗で何も見えないが、眼前に現れた真っ白な塊がやけに存在感がある。
目を懲らすまでもなくそれは段々と形を変えていき、野球ボールくらいの大きさに思えた塊は、真っ白い子供の姿になった。
頭のてっぺんから足の先まで真っ白な、子供に。
(これは、)
真っ白な髪、真っ白なTシャツ、真っ白な半ズボン、真っ白な靴下にこれまた真っ白な靴を履き、小さく小さくうずくまっている子供。
(…これは)
「あと100数えたら、いなくなるんだ」
体育座りをして顔を伏せている子供は、まるで自分に言い聞かせるようにそう呟く。
「18、19、」
ぎゅう、と、自分で自分を抱きしめるように、このまま小さくなりすぎて消えてしまうんじゃないかと思うくらいに、その子供は数を数えながら体を小さくしていく。
「25、26、」
(この子供は、)
「さんじゅう、に、さんじゅうさ、…っ、」
やけにはっきりと数を数えていた子供は段々と嗚咽し始め、しまいには体を震わせ、ぐずぐずと鼻を啜った。
そして、オレはこの光景を知っている。
この子供。
(これは、オレだ)
そう理解した瞬間、ゆらゆらとしたままのオレは目の前の子供になっていて、頭が痛くなるくらいに泣いて泣いて、泣いた。
(お父さんお母さん、どうして僕だけにはあいつ等が見えるの。どうしてあいつ等は僕に触れてくるの。どうして。どうして。お母さん、頭を撫でて。お父さん、抱っこして、ほしい。お父さんお母さん、家に帰りたい。お父さんお母さん、会いたい、会いたい、会いたい)
会えないことは、わかってた。
どんなに願ったって、あの日だまりには戻れないって。
暗い暗い、黒の中。
膝に顔を埋めたまま、短く細い右腕を差し出す。
現実と淡い期待の板挟みのなか、空を切ることをわかっていても手を差し延ばしたんだ。
もしかしたらいつか、お父さんかお母さんが「こんな所にいたの」って、手を握ってくれるかもしれないから。
「こんな所にいたの?」
一瞬のことだった。
いつもなら誰も、生きた人間以外しか触れることのなかった右手を、誰かが握った。
その声は優しい声色で、自分の右手を調度いい力で握っている。
泣いてぼんやりした頭が一気に引き締まり、心臓が一際高鳴る。
(だれ?)
顔を上げて、確認したい。
この声の主を確認したい。
確認したいけど、顔と思われるものにただ穴が三つ、空いているだけのものだったら?
目も鼻も無く、ただ歯を剥き出しにしてニタニタ笑っている奴が眼前にいたら?
(こわい、)
「ほら、帰ろう?」
どこに帰ればいいんだろう。
自分を引き取ってくれた家族はいるけど、あの人達の所が帰る場所なんだろうか。
それは、なんとなく違う気がする。オレが帰る場所は、もう。
「ほーら、」
握られた手にちょっとだけ力が入る。このままこの手は握り潰されるんだろうかなんて考えてしまったけど、何故か自分も握り返してしまった。
ああ、そういえば、お母さんと手を繋いだら、こうやって握り返したりして遊んだなぁ。
一回ぎゅってしたら、「行こう」、二回ぎゅっぎゅってしたら「お母さん」って合図だった。
「みょうじんさん」
「…………あり?」
ぱかりと目を開ければ、見慣れた古い天井と上枠が見え、なんとなく左を向けば、下駄箱と玄関が視界に入る。
どうやら管理人室と共同リビングの境目に転がっているようだ。
普段から来訪者など皆無のうたかた荘だが、管理人室から頭だけ出た状態の今、我ながら、なかなかに怖い光景だと思う。
(さむっ…)
玄関から入る隙間風が地を走る。
それをダイレクトに受けていた身体は冷えていた。
その寒さのおかげでスッキリと覚醒した頭をがりがりと掻いて、取りあえず起きようか、と身体を起こした時。
「おぉ…?」
右腕が、引かれる感覚。
「………ヒメノ?」
なんとなくその力に逆らってはいけないような気がして再び寝転がって引かれた方を見れば、オレのパーカーを控えめに摘み壁に背を預けた状態のままのヒメノが眠っていた。
なんで?と思う間もなく、覚醒したと思っていた意識は再びまどろみだす。
誰かが隣にいるというのはやはり心地良いもので、それが自分が心許した人物なら尚更だった。
(眠…)
このまま二度寝をしてしまえば自分もヒメノも風邪を引いてしまうだろうか。でも彼女ならその前に起きて、「風邪引いちゃうよ」って起こしてくれるだろうか。
ああ、何だかヒメノに押し付けてしまう感が否めないが、今だけは大目に見てほしい。
今、もう一度眠れば、きっとあの夢の続きになる。
オレはどうしてもそれを見届けたい。
「ごめん、な、ひめ、…」
彼女には届いていないだろう謝罪を呟き、パーカーを摘む彼女の手を包み込んで瞳を閉じる。
意識が完全に落ちる瞬間、ヒメノの手がピクリと動いた気がした。
白いこども
(きっと、あの白い子供は満面の笑みを浮かべているだろうから)
end