小話

□深夜二時の思案(明姫)
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「寒い…!」

今年一番に冷えた夜だった。
姫乃は夜が深くなるにつれて寒さが増していくような感覚に陥り、予習を早々に切り上げて敷いてあった布団に潜り込んだ。
電気は消していない。何故なら姫乃はまだ寝る気がないから。

「明神さん、大丈夫かな…」

このアパートの管理人であり、案内屋でもある明神の活動時間は季節を関係なく夜、日が沈んでからの方が多い。
夏が終わり、紅葉が始まったこの季節は気温も冬のそれに傾いている。
その寒い中、明神は一人、時には案内屋の仲間達と供に街中を駆けるのだ。
以前、たまたま姫乃が起きていた時間に帰宅した明神は寒さにやられた身体を摩りながら共同リビングに置いてある古い電気ストーブの前を陣取って、じくじくと染みる温かさに惚気るように何の気無しにこう言った。

「帰ったらあったかいって、いいなぁ」

その後、直ぐさま「待ってなくて大丈夫だからな」「気持ちが嬉しいん、です」と姫乃に釘を刺したが当の本人はどこ吹く風。
姫乃はいつしか明神の帰りを出来る限り待つようになった。

姫乃は布団の中で寝返りを打って、すっかり温まった指で自分の鼻に触れた。
ひやりとしていて、自分の鼻なのにまるで何か別のパーツのよう。
室内で布団に包まっていてこの冷えように姫乃は顔をしかめた。

(私が起きてたら、また困らせちゃうかな)
(でもね、明神さん。私、貴方を出迎えたい)
(うんと部屋をあったかくして)
(お帰りって、)



「ひー、さっみぃ」

今日の依頼は珍しく他の案内屋から回ってきた仕事だった。
相手は足の早い奴で、いくら他の案内屋が「空」の梵術を会得したといっても、専門には遠く及ばない。
そこで「空」専門の明神に白羽の矢が立ったのだ。
曰、「お前ならちょっとやそっとの事じゃやられんだろ」らしく、それはもう遠慮の"え"の字もない待遇を受けた。
中には「冬悟だし」という理由でからかわれたりもしたが、その件に関しては鳩尾に一発決めてきたし、いい肩慣らしにもなったのでお相子にしてやった。
その時のやり取りを思いだし、明神は一人でくつくつと笑いながらうたかた荘へと歩みを早めた。

「今日は…と、消えてんな」

うたかた、という今にも落ちそうな木製の表札を見遣り、足を止めた。
塀から除き見るように身体を曲げれば、磨りガラスから漏れる光はなく、ただ闇が広がっている。
この磨りガラスの付いた扉の向こうは共同リビングだ。その明かりが着いていないという事は、

「ひめのん、ちゃんと寝たんだな」

その事にほっとしつつ、内心、がっかりしていた。
この間、うっかり漏らしてしまった本音。
それをばっちり聞いた姫乃は言葉にしなかったが、瞳を輝かせ、いかにも「何かします!」という顔をしていた。
その後、釘を刺しておいたが、明神という人間は姫乃に対して強くでれない節がある。
そのせいか明神の注意は姫乃には通用せず、明神の帰宅が深夜、明け方になっても睡魔と戦いながら起きて待っているということがままあった。
明神はそれが苦痛だった。
自分を案じてくれている姫乃の気持ちは、それはもう嬉しいものだが、そのせいでフラフラになる姫乃を見るのが堪らなく申し訳なかった。
だが、いざこうして、明神の言い付け通りに就寝していたら。

「起きてたらダメで、寝てたらがっかりとか…」

寂しいものがある。
「なんだかなぁ…オレ」と呟きながら漸く玄関の扉を開ければ、管理人室の扉の隙間や窓から、淡い光りが漏れている事に気が付いた。
一瞬、信じられないものを見るように目を見開くと、明神は些か乱暴に玄関の扉を閉め靴を脱ぎ散らかし、管理人室の扉の前に立つ。
靴下越しだが、寒さで冷え切った床に熱と一緒に何か別の物まで奪われていく感じがして、思わず片足を上げた。

隙間から零れる光りは、明神にこれが現実だと言わんばかりに輝いている。
緊張からか掌が熱っぽい。それを何となくコートで拭ってドアノブを握ると、冷えた金属の容赦ない冷たさが掌から全身を駆け巡り、先程の緊張感は何処かへと飛んでいってしまった明神は、ほぼ反射的に管理人室に足を踏み入れた。

「なにしてんすか…オケガワさん」
「あ、明神さん、お帰りー」
「いやいやいや、お帰りーじゃなくて」
「あふ…、あ、ごめんね。布団に入ったら眠くなっちゃって」
「いやね。まるで自分の部屋のように寛いでるけど、それ、」
「明神さん、怪我は?してない?」
「……大丈夫だよ」

とんでもない脱力感が明神を襲った。
先程まで就寝しているとばかり思っていた姫乃が、明神の万年床に丸々と包まっているからだ。
しかも当の本人は暢気に欠伸を出し、気を抜けば今にでも寝入ってしまいそうなほど。

(何してるの、何してるのこの子…!)

入口でしゃがみ込み、ガシガシと乱暴に頭を掻く明神を不思議そうに見遣った姫乃は、開けっ放しにしたままの扉から流れ込んでくる冷気に身震いし、半ば無意識に扉を閉め、うずくまる明神を引っ張りその反動を利用して布団に投げ捨てた。

「あで!!ちょ、ひめのん!」
「本当はね、お部屋を暖かくしておこうと思ったの」
「え?」
「暖かくして、暖かい空気を吸って、少しでも明神さんがほっとできればいいなぁって」
「ひめのん、それは、」
「別に明神さんが、この間あんな事を言ったからじゃないよ?前々から思ってて」
「…」
「でも、あの電気ストーブ、壊れちゃって」
「そっかぁ……はぁ!?あれ壊れたの!?」
「うん」
「うわあ、マジでー。オレ、あれしか持ってねぇのに…」
「だから、せめてお布団だけはって」
「…それで、こうなったのな」
「うん……迷惑だった?」

姫乃はそう呟いて寝転がる明神の傍に正座をして、不安げにそう尋ねた。
姫乃としては、本人が不在中に勝手に部屋に入ったり布団に包まったり電気ストーブを事故とはいえ壊してしまったことが後ろめたく、今になってから罪悪感に襲われていた。
しかし、明神は姫乃のそんな深いところまでは察しきれずにいた。
分かる事は姫乃がこの部屋にいて、何かしらの罪悪感を感じていること。あとは布団から僅かに香る姫乃の移り香。これだけを認識するのに精一杯だった。

「とりあえずさ、ひめのんがこうしてくれるのは、正直スゲー嬉しいけど、そのせいでひめのんが体調崩したりしたら、オレも申し訳なくなるの」
「……はい…」
「ひめのんがこうしてオレを心配してくれてるように、オレもひめのんが心配なんだよ」
「……うん、」
「…えーと、ひめのん?」

正座をしながらうんうんと明神の話しを聞いていた姫乃の頭は段々と下を向いていき、仕舞いには前髪で顔が隠れてしまった。
そこで様子が変だと感じた明神は、起き上がって姫乃の顔を覗こうと肩に手をかけた瞬間。

「わ!…っとぃ」

ぐらりと姫乃の身体が傾き、明神の胸に倒れ込んだ。
明神は何となく嫌な予感を感じながらも「ひめのーん」と呼びかけ、体勢を変えて姫乃の顔を覗き込んだ。

「…寝た?」

左腕を背中に回して腕一本で姫乃を抱え直すと、開いた右手で少し伸びた前髪を横に流す。
その下から出てきた姫乃の顔は熟睡する人間そのもので、明神は何度目になるか分からない心のもやもやを、長い息を付く事で吐き出そうとした。

「あー……ったく、」

長い息を付き、天を仰いだ明神は前髪をかき上げた。
その下から現れた顔は、気持ちとは裏腹にとても穏やかな顔をしていた事を、明神本人も姫乃も知る術はない。


完全に寝入った姫乃を温かい自分の布団で寝かすか、雪乃のいる部屋まで運ぶか。
明神が葛藤するまであと少し。



深夜二時の思案





end
明神を待ちたい姫乃と姫乃に待っていてほしいようなちゃんと寝ていて欲しいような明神の葛藤。
うーん、不完全燃焼だ。

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