小話

□帰路の最中(BJ)
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「ピノコ」
「んー…」
「ピノコー」
「…んー……」
「ピノコ、寝るならほら、」
「………や、ねないかや、いい」


あの事件から数ヶ月が経った。
全壊した家は以前と変わらない形で建ててもらい、医療機具や家具もそこそこ揃って(そこそこなのはこれを機にキッチン用具を揃えようとしているピノコと一悶着あったからだ)それとなく落ち着いて来た頃、ピノコに僅かな異変が見られた。
異変、といってしまうと深刻なものを予想するが、俺自身がどう捉えるべきか分からずにいるので、取りあえずまあ異変としよう。
何がどう変なのかというと、例えば二人掛けソファに二人で座っているとしよう。
左側にピノコが座っていて、かつ何度も船を漕いでいる。
そういう時、以前ならこちらの了承を得ることもなく、勝手に俺の膝に頭を預け一眠りをしていた(断っておくがそういう事をされるのが嫌な訳では無い)
だが、ここ最近は避けているのだ。
最初は反抗期かとも思ったがある日は膝に頭を預け昼寝をし、またある日は「嫌だ」といって何故か怒らせてしまった。


こういう事が続き、そして今まさにその状態なのだが、今回は「嫌だ」の一点張りの方だった。
海外でのオペを終え、タクシーを拾って空港へ向かう車中、ピノコは船を漕いでは座り直しを繰り返していた。

「ピノコ、お前も夜通しぶっ続けのオペに最後まで立っていたんだ。空港までまだ時間がかかる。眠たいんなら寝た方が良い」
「いやっ。これっぽっちも、ねむたく、なんか……」
「ピノコ」
「んー…」
「ピーノコー」
「…んー……」
「ピノコ。寝るならほら、膝貸してやるぞ?」
「………や、ねないかや、いい。ひこーきんなかで、ねゆ」

これである。
(なんだってんだ?)
ぺちぺちと己の左大腿を叩いて"寝ろ"とアピールするも、そんな俺に視線を向けるどころか拒絶するように体ごとドアの方を向く始末。
(…なんだってんだ?)
本人は機内で寝ると言ってるからこの話はもう終いだ。
終いなのだが、すっきりしない。
(…はあ)
ピノコには気付かれないように息をついて、軽い彼女の身体を持ち上げて。

「っちぇんちぇ!」
「なんだ」

丸い頭を大腿の上に乗せた。ひざ枕である。
それをされた本人はぽかんとしたが、それも一瞬の事。
「やーのよさ!」「あたち、ねない!」
予想はしていたが物凄い暴れっぷりで、どこにそんな力があるんだと思いたくなるくらい力いっぱい怒鳴り、手足をはちゃめちゃに動かして全身で拒絶するピノコを押さえ付けて、驚愕の面持ちでこちらをみる運転手に「気にするな」と一言。
その間に力を使い果たした彼女は大人しくなったが、息を荒くさせながらもその顔に拒絶の色は消えていなかった。

「なあピノコ。最近のお前はどこか変だぞ」
「…」
「どこか具合でも悪いのか?」
「……ん、」
「ん?」
「…、らってぇ、っちぇんちぇー」
「どうした?」

じわりと泣き出した彼女の頭に手を置いて気まぐれに撫でてやる。時々ヘアゴムに引っ掛かるが気にしない。
根気よく待っていると、観念したのか鳴咽に突っ掛かりながらも言葉を紡いだ。
そして紡がれた言葉に愕然とした。
ピノコは、俺の左足をこういう風にするのが嫌だという。
ひざ枕も膝の上に乗るのも、戯れで足を叩いたりするのも、嫌だと言った。
言われてみれば膝の上に乗せた時はじわじわと右足の方に重心を寄せてきたし、足元に纏わり付く時も右側ばかりだった気がする。

「おいおい、なんだいそりゃあ。お前は私の左半身が嫌いなのか?」
「ち・が・う!」
「じゃあなんなんだ?」
「う………」
「ん?」
「…らって、」

「ちぇんちぇのひだいあちは、ちぇんちぇのおうち、れしょ?」

「…どういう事だ?」
「だかや、ちぇんちぇのひだいあち、ちぇんちぇのおとーさんとおかーさんがいるれちょ」
「お父さんとお母さん?」
「ん、こっちのあちの、」
「…ああ、脛の?」
「ちぇんちぇのおとーさんと、おかーさん。で、ちぇんちぇ。ほやかじょく。だかや、あたちがのっかったやダメのよさ」

(………ああ)
脛を負傷した際、父の皮膚を移植する事にした。その場所は偶然にも元々移植してあった母の皮膚の隣だった。
あの時は漸く三人一緒になれたと、本当に嬉しく思ったものだ。
力の抜けた俺の手から、ピノコがひらりと抜けていく。
重みが無くなった大腿から膝にかけて指を滑らせて、今は亡き二人を思った。
(……………ああ)
元々彼女には、ここに父母の皮膚を移植した事は話していた。
その時は「よかったね」と自分の事のように笑っていた。
その朗らかな笑みの下ではこんな事を思っていたなんて思いもしなかったが。
(父と母を踏んでしまってるとか、考えてたんだろうか)


(ああ、なんて)


「ピノコ」
「んん?」
「ほら、おやすみ」
「っだーかーやー!」
「お前も、私の家族だろう?」
「………ぇ、」
「なんだ。違うのか?」
「ちっ、ちがわない!……の?」
「なら家族同士、遠慮はいらんな」
「……………うんっ、」

(、なんて事だ)
以前のように俺の膝に頭を預けるピノコを見遣って何とも言えない気持ちになった。
こういう、自分ではひっくり返ったって考えもつかないであろう事を彼女はさらりとやって退ける。
(普段は子供となんら変わりない、筈なんだがなぁ)
その度に何か大切な事を教えてもらった気持ちになって、内心、関心していた。
勿論、この事に関しては彼女には伝えないが。
(本当、お前って奴は)

タクシーの窓越しに見る景色が、段々と都心のそれに近くなって来た。
と同時に、窓に反射して見える己の顔が思いの外破顔している事が可笑しくて、ますます笑みを深めた。



帰路の最中のこと。





end
前サイトに掲載していたものをちょこっと改稿。

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