小話

□花笑み
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幻界病棟ライゼズ。
そこに勤務する女医ルシアナは、久しぶりに混雑していない病棟の待合所を見渡した。
近くのソファに腰掛け、正面玄関付近に設置してある観葉植物や壁を這う蔦がサンサンと陽を浴びる様をぼんやりと眺める。
そこに、霧の中から赤毛で猫背の大男がこちらに向かってゆっくりと歩いて来るのが見えた。
強面の大男は目元に掛かる前髪と眼鏡のせいで表情を把握できないだけでなく、下顎の犬歯が発達している事により殺気立っているように見えなくもない。
しかしルシアナは彼の姿を認めると口元を緩ませ、ゆるく手を振った。
赤毛の大男もまた、ルシアナの姿を認識すると姿勢を正し優雅に一礼を返す。その男はルシアナの好きな微笑みをたたえていた。


***


「ごきげんよう、ミス・エステヴェス」
「ごきげんよう、ミスター・ラインヘルツ」

病棟の自動ドアをくぐったのはクラウス・V・ラインヘルツ。二人は三年前の事件をきっかけに知り合った。
彼はソファに座るルシアナに向かって歩みを進め、彼女が「どうぞ」と席を詰めた場所に腰掛けた。互いに顔を合わすと頬が緩むのを自覚していないせいで、両者の回りには非常に暖かい空気が流れる。それを指摘する者もいないので、いつもそのままだが。

「今日は落ち着いていますね」
「えぇ、一段落したところです」

辺りに目を向けたクラウスは、人が疎らな待合室を珍しげに見渡した。
彼が来院する時は大抵が事件後の込み入っている時なので、待合室も廊下も怪我人で溢れ、ストレッチャーも人の間を縫うように移動し、重症軽傷関係なく片っ端から治療していくルシアナ達がいるというのが常だった。
クラウスはこの待合室はこんなにも広かったのか、と思い直した。

「ところで、今日はどんなご用件で?」

クラウスが受診や見舞い以外でも、こうして顔を見せに来てくれる事を知っているルシアナは彼にそう問う。
するとクラウスはそれを待っていたかのように「こちらを」と、真っ白い横長の封筒を差し出した。表には「ルシアナ・エステヴェス様」と宛名書きされているが、差出人の名前はない。その代わりにチラリと見えた朱色の封蝋は、ライブラのシンボルである天秤だった。
ルシアナは自身の名前が書かれた封筒とクラウスを交互に見遣り、ややあって封筒を受け取った。

「ミスター?これは…」
「まずは中をご覧いただきたい」
「はぁ…」

促されるままに開封したその中には、紙が一枚、三つ折りで封入されていた。
取り出して見てみればニューイヤーパーティーの案内のようで、フルカラーのそれを凝視しているルシアナにクラウスは花を飛ばしながら首を傾げた。

「ご覧の通り、ニューイヤーパーティーを開催することになりました。お忙しいかと思いますが、是非、ミス・エステヴェスにもご参加いただきたいと思いまして」
「まぁすごい。会場が"天空楼閣バー虚居"だなんて」
「幹事達が最善を尽くしてくれました」

口元に指先を添え驚きに目を丸くするルシアナに、クラウスはどこか誇らしげに笑みを深める。
手にしていた案内状をパタリと膝の上に乗せ、二度三度、大きく瞬いたルシアナは何かに気付いたようにハッとクラウスを仰いだ。

「でも、これは"そちら"のニューイヤーパーティーですよね?部外者の私がお邪魔してもいいのかしら」
「部外者なぞ、他人行儀な事を言わないでいただきたい。ミス・エステヴェス、私は貴女に来ていただけたら、とても嬉しい」

前髪の隙間から見えるリーフグリーンの瞳を細め、クラウスはジェスチャーを交えて静かに言う。
身体が大きいので威圧感があるが、その口調や物腰はいつだって穏やかで誠実だ。ルシアナは彼の言葉と淡い輝きを真っ直ぐに受け止めて、肩の力を抜いた。

「それじゃあ、お言葉に甘えて参加しちゃおうかしら」
「是非。皆、喜びます」
「ふふ。あ、でも病棟を空けるわけにはいかないから…。そうね。"何人か"でお邪魔する事になるのだけれど、それって一人分の会費じゃ駄目かしら?」
「貴女は何人になろうと、貴女一人ですよ」
「あら嬉しい」

艶のあるブルネットの髪が、ルシアナの耳元からさらりと揺れ落ちる。軽く息を飲んだクラウスは「Japanでは美しい黒髪を何と称えていただろうか」と思い出そうとした。出来れば触れてみたいとも。

「ミスター?」
「…いえ、なんでもありません」

眼鏡のブリッジを押し上げ、耳に髪をかけ直すルシアナから視線を逸らす。クラウスは何かしらの羞恥に苛まれて顔に熱が集中するのを感じ、それを紛らわせるように首筋を掌で覆った。

「ミスター。会費なんですが、今、お預けしてもいいかしら?」
「えぇ。幹事に届けます」
「それじゃあ用意しますね。あ、そうだ。この後、まだお時間ありますか?駅近くにあるお店のドーナツをいただいたんです。よかったら一緒に…」
「是非っ!…………、あ、いや、」

クラウスは思わず強い口調で答えるが、目を丸くするルシアナに気付いて口ごもる。慌てて視線を逸らすが赤らんでいる頬が見えて、彼女は顔をほころばせた。
クラウスという男は、見かけによらず甘味好きだ。ドーナツの他にもクッキー、マフィン、タルト等、上げればキリがないが執事のギルベルトが淹れた紅茶のお供によく口にする。中でもドーナツはこのHLでも気に入りの店が何店舗かあり、足しげく通うほどだ。
話を聞けばルシアナが言うドーナツ屋は、ふわふわで柔らかな食感が有名な店でクラウスもチェックしていたところだった。
その店のドーナツと聞けば、クラウスのテンションは上がる一方だ。ソワソワとし花を飛ばす。ルシアナはそんな彼の様子を見て「ミスターってお菓子がお好きよねぇ」なんて心の中で呟いていた。

「それじゃあ少し早いけど、ティータイムといきましょうか」
「えぇ」

頬笑むルシアナにつられて立ち上がったクラウスは、彼女の隣に並んでゆっくりと足を進める。
向かうは出会った頃から雑談場所として使用している控室だ。ルシアナをはじめとした先生方の好意で、今も使わせてもらっている。そこには元々あった調度品の他、使用するメンバーが持ち込んだ品々が増えてきており、クラウスも差し入れとして持ち込んだ紅茶が置いてある。

控室に向かう道中、会話を楽しみながらもクラウスは何とも言えない気持ちになった。
満たされているような。
許されているような。
少し惜しいような。
言葉にするには的確なものがなく、クラウスは疑問だらけだった。

それでも、とクラウスは思う。
彼女の隣でその微笑みを初めとした様々な表情を向けてもらえるのなら、今すぐに、この気持ちを解明する必要もないのではないだろうか、と。

「さ、着きましたよ。いらっしゃいませ、ミスター・ラインヘルツ」
「ふふ、お邪魔いたします」

おどけて扉を開けるルシアナにクラウスも一礼を返す。それがどこかくすぐったく、二人で笑いながら控室の扉をくぐった。





end
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