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□大嫌いの裏側に隠した何かとか
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凛が日本に帰ってきてるなんて江ちゃんに聞いてから、私はずっと気が気でなかった。気の利く江ちゃんが一緒に鮫柄まで行きましょうか、なんて言うけど私は頑なに首を横に振った。今更、凛に会って何を言えばいいの?きっと、凛の顔を見れば私は言葉に詰まって彼を困らせてしまうことは目に見えている。まだ、まだ駄目。
いつか、私が、凛の事を忘れるぐらいの恋ができたら。
凛の前で、ちゃんと笑えるようになったら。
凛との別れの日に言ったあの嘘の大嫌いを、笑い飛ばして話せるようになったら。
「大丈夫か?」
「…うん」
「マジでごめん」
「ううん、私がボーッとしてたんだし」
目の前の凛は、申し訳なさそうに俯いている。私は一生懸命笑顔を作りながら、ハンカチで服に付いたソフトクリームを拭いた。週末、私は約束していた友達と街にショッピングに来ていた。少し暑くなってきたこともあって、ソフトクリームを買って歩いている所だった。上手く人混みを歩いていたつもりだったのだけど、不意にぶつかった肩に手に持っていたソフトクリームは傾き、お気に入りのTシャツの上に無惨にもぶつかって落ちた。私と友達の悲鳴に、ぶつかった本人が慌てて私に声を掛けた、それが凛だったのだ。
「クリーニングとかあったら言えよ」
「大丈夫、洗濯すれば落ちるよ。それよりパーカー…借りていいの?」
「あ?ンなの気にすんなよ。それより、どっか寄りたいとこ言え。そこで代わりのTシャツ買うから」
「え?いや!本当に気にしなくて」
「いいから行くぞ」
そのやり取りを見て、私と凛の事情を知っていた友達は用事を思い出したから帰るとそう言って帰ってしまった。何だか申し訳ない、帰りに何か買っていってあげよう。
「凛、ひ、久しぶりだね」
「…ああ」
少し前を歩く凛はやっぱりちょっと気まずそうにしている。それはそうだ。あんな別れ方をしたんだもの。かと言って、私も何とその先の言葉を掛ければいいか分からなくて口を噤んでしまった。
「で、どこにする?」
その言葉が何だか性急に聞こえて、早く終わらせて帰りたいんだななんて気付いてしまった。一瞬でも走ったこの胸の痛みが恨めしい。
「じゃあ、そこの角の所に行こうかな」
「ん」
凛は、あの時私に言った言葉を覚えているんだろうか。オーストラリアに旅立つ前に、私に言った好きだっていう言葉を。いきなりオーストラリアに旅立つなんて、そんな事を告げられた後だったから私は少し泣きながらそれに大嫌いと返事したのを。
もう、何もかも手遅れなんだろうなと、凛の大きな背中を見ながら泣きたくなった。
貸してもらったパーカーを返して、お礼を言うと凛は目は合わせずに、「おう」とぶっきらぼうに返事した。そういう所、昔と変わっちゃったなって思った。
「遅くなっちゃったけど、寮は大丈夫?」
「ああ、俺は。お前は?」
「うん、もう帰らなきゃ。今日はありがと」
「おい、駅まで送る」
「う、うん」
「迷惑、だろうけど」
「そんな事ない」
その言葉を後に、無言で駅までの道を歩く。その空気を断ち切ったのは凛の方だった。
「なぁ、覚えてるか?俺がオーストラリアに行く前の事」
「うん」
「あれ、もう時効だから。忘れていいぜ」
その言葉はまるで死刑宣告のように私の頭に響いた。ふと、止まってしまった足が震えていた。どうしようもない絶望と半ば諦めみたいな感情がぐちゃぐちゃになって、息が出来なくなる。
凛が振り返って怪訝そうな声を上げた。
顔が上げられない。今、私はどんな顔をしてるんだろう。泣きそうなんだろうか、それともそれすら通り越して笑っているんだろうか。そんな事も分からない。
「なんて顔してんだよ」
「ごめん…」
凛がちょっと困ったように黙って、それから被っていたキャップを私の頭に被せた。頭に乗せられた昔とは違う大きな手に、私の目から堰を切ったように涙が溢れた。
「今更、遅いって…思うけど…本当は、」
「…嬉しかった…あの時、凛がおんなじ気持ちでいてくれたから」
ギュッとキャップのつばを下げて隠したぐしゃぐしゃの顔。
「凛が、オーストラリアに行くなんて、嫌だった。もっともっと凛といたかったのに、」
「…んだよ、早く言えっての」
「何年引きずったと思ってる」
「え?」
「電車、行っちまうぞ」
「え、あ!」
電車の音が遠くから聞こえてくる。私達は改札の前まで必死に走った。改札を通り抜ける時、凛の声が後ろから聞こえた。
「帽子、返しに来いよ」
私が返事しようとしたその時にちょうど電車がホームに入ってくる。人に流されて、凛が見えなくなる。私は流されるまま電車に乗った。
電車の中で暫く試行錯誤した後、携帯を開いて江ちゃんにメールを送った。凛の連絡先を尋ねる内容と、今日の出来事を簡単に送った。確かめてみたいんだ。凛の今日の言葉が何を意味しているのか。
ふと、握ったキャップから凛の匂いがした。
今日は何だか眠れそうにない。