夢色パティシエール(番外)

□あいだ、一席
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金曜日が最悪だったのは、多分13日だったせい。
でも、それなら自分だけが最悪じゃなくてもいいと思う。



あの日、数学の授業で樫野より計算が1分も遅れた。
フランス語の授業、みんなの前で半過去と条件法を派手に間違えた。
実習のホワイトチョコレートのコーティング、チョコの湯煎の時にお気に入りのタオルを火に近づけてしまった。
タオルは少し焦げただけで惨事にはならなかったけれど、動揺したせいでチョコは大惨事。
大事なテンパリングなのに、温度設定を失敗したからだ。
樫野の得意分野で、無様な姿。

安堂君や花房君は「樫野は、去年からチョコに関してはトップだから」だとか言って変に宥めようとしてくるけれど、だからといってチョコの出来が彼より悪くても良い理由にはならない。
フランス語の方も、遅れて勉強を始めたのだからと先生は言ってくれたけど、だからといって授業についていけなくていいことにはならない。
何にせよ、樫野にこれ以上勉強でも製菓でも突き放されるわけにはいかない。
そうしないと、本当に居場所を失いそうだから。



いつもの週末は寮室や図書室で勉強をするか、実習室で練習をするけれど、今日は焦がしてしまった分のタオルを買いに街に出てみた。
たかがタオル一枚とはいえ、転入前の自分の面影が少しずつ見えなくなっていく気がする。
聖マリーには、帰り道がない。
1人で走って寮まで戻っても、祖母が待つキッチンに転がり込めることはもうない。

雑貨屋で三枚新しいタオルを買ったら少しは気分が晴れたけれど、帰りのバスに乗ったらまた最悪なことが起こった。
バスの後部座席、一番に目につく五人掛けの席のところ。
同じグループの、あの三人が座っていた。
私が気づいた瞬間に、向こうにも気づかれた。
普段挨拶すらまともにしないから、隣に座るなんてもってのほか。
でも、ここで無視して離れた席に座ったら、負けな気がする。
三人と目を合わせたまま、バス後部へのステップを上がって、ずんずんと歩く。
最後部の二つ前、そこが限界だった。
しょうがないから、こちらから声をかけてやることにする。

「奇遇ね、あなた達。一日勉強もしていないみたいで、余裕のある方は羨ましいわ」
「お前だって今帰りだろうが!」

樫野が噛み付いてくるのは想定内。私は、フランス語で埋め尽くされた手帳を鞄から取り出す。

「私はどこでも勉強しているの」
「偉そうな奴・・・この前の小テスト、補習に引っかかったくせに」
「まあまあ樫野、勉強してるのは本当に偉いことじゃないか」
「その手帳、使い込んでるみたいだね」
「1年じゃ使い込んだとは言えないわ」

自分で広げておきながら、他人に観察されたいものでもないので、三人に背中を向けて手帳を隠した。

「とにかく、次の小テストは絶対に8割取るんだから」
「Tu es bet...」
「聞こえてるわよ。そんな初歩的な意味さすがに分かるから」
「Elle est malade parce qu'elle a sa serviette brule.」
「・・・何となく、馬鹿にしたいことだけは分かったわ」
「まあまあ、二人とも」

最初に樫野が言ったのは、「お前馬鹿だな」という意味。
二つ目は・・・「彼女は病気だ」のところしか分からなかった。
とりあえず、私が病気だと言いたいのだろうか。いちいち腹の立つ男だ。
とにかく、こんなところで相手をしてもしょうがないから手帳に目を通すことにする。
三人は私が他のことを始めると、和菓子か何かの話を始めたようだった。



私たちの間の、一席分の距離。
近いのか遠いのかは人それぞれかもしれない。


私にとっては、言葉は交わせるけど心は通わせられない距離だ。




数ヶ月したらグループに新たな転入生がやって来て、三人と一緒にあの後部座席に並んで座る時が来ることなど、その時の私は知る由もないのだった。

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