HQ!!BL
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「物語に因れば人生とは、万物にかけがえがないらしい。」
それがどうした、という話だ。
人生なんて考えるほど俺たちはまだ成長していないし、かけがえがないからと言って、だからどうしたらいいのだ。
精一杯生きて、笑えるように生きて、それで俺の人生は手一杯だ。
しかし及川は、どうもそうは考えられないらしい。面倒くせぇやつ。
思い詰めたようにため息をつくその横顔は驚くほど綺麗で、天使のような現実離れした整い方だった。憂いを帯びているから、尚更そう思うのかもしれない。
及川は何か深いことを考えている。
俺には到底分からないもの、理解しがたいもの。
生きる意味についてだとか、人生の価値だとか。
多感な年頃らしくてまことに結構なのだがそう鬱々とやられてはこちらの気分まで滅入ってしまうではないか。早いとこ適当に区切りをつけて、深く考えない楽しい毎日を送ればいい。そうだ、まだ俺たちが幼かったころみたいに。
何時からこいつは、こんなことを考えるようになったのだろうか。
こんな、永遠に答えの出ないことを。
というよりこいつがそんなたいそれたことの答えを導き出せる訳はないのだ。俺は知っている。コイツ、このアホ川は、バレーをしてるときだけは冴えているが、それ以外はさっぱりだめでてんでダメで、国語の成績なんか壊滅的に悪いことを。数学だっていい筈がなく、英語も理科も社会も誇れるような点数はとってない。唯一いいのは体育ぐらい……要するにコイツはバカなのだ。バカでアホでグズな及川なのだ。そんな奴が深淵な人類永遠の謎に答えを導き出せる訳がない。考えるだけ無駄だ。
大抵の人間は、考えるのが無駄だと気づくというのに、及川は全然それに気付かない。バカなんじゃないのか。いや実際バカなんだけれど。
またため息をつく。
悩ましげな表情が随分とサマになっているが、俺の隣でそんなにばかすか幸せを投棄しないでくれ。ああもう本当にウザイ。蹴ってやろうか。ああでも今蹴ったりしたら、そのまま倒れこんで、何処かへ落っこちてしまいそうだった。面倒くせぇ。
「なぁおい、グズ川。」
苛立ちを込めて呼んでやると、いつもは嫌がるその呼び方に触れもせずに、コイツは何かの歌を歌い始めた。
「人生ってのはかけがえがなくて、そうならきっと俺の将来は、もはや変えられない気がするんだ。」
鼻唄に混じり混んだネガティブな呟きに眉をしかめる。バカが何を悟ってんだ。俺たちまだ17年しか生きてねぇんだぞ。
及川は目を閉じた。長い睫毛。
少し笑っているように見えた。
とても懐かしい気がする、久々の笑顔。微かで、そしてどことなく卑屈っぽいが。
及川はくるりとその場で回転した。目を閉じたままで。随分と危ない。危なっかしい。俺は無意識のうちに及川の手をとった。及川は薄く目を開いて俺を確認すると、俺を手繰り寄せた。
そのまま両手を繋ぎ、及川とくるくる回る。
俺は手を離せない。なんでかって、今の及川がとても不安定だからだ。俺が支えていなきゃ、ぶっ倒れそうなほどにふらふらしている。それでも微かに笑っていて、しかも至近距離にその顔があった。俺は及川の手をもっと強く握った。そうしていないと、及川が気化とかしそうだった。不安定で、ひどく危なっかしい、とても見ていられない。
崩れて消えてしまいそうだった。
及川は小さく鼻唄を歌っている。聞いたことのない曲。けれども何処か悲しくて、なげやりな気がする。及川はそのメロディに合わせて適当なステップを踏んだ。こいつ本当にどうしたんだろう。考えすぎて壊れたんだろうか。音楽の成績2のくせに、ダンスなんか踊るなよ。
けれども俺はそんな言葉を飲み込み、噛み砕いて、随分と苦労して胃へと納めた。胃がムカムカしているが、今の及川にキツイ言葉を浴びせる気になれなかった。
及川はどこか夢うつつ、現実味を大分欠いた足取り、表情でうっとりと呟く。
「ねぇそれならいっそ閉じてしまおう。これで解決ハッピーエンド。」
及川は急に手を離した。咄嗟に掴もうとしたがするりと避けられてしまう。
及川は優雅にお辞儀をした。まるで何かの舞台で、幕引き前の挨拶をするように。
「ねぇ俺の人生は美しかった?」
誰に聞いているのか、誰にも聞いてないのか。及川、てめぇ死ぬ気なのか。
消えそうな笑顔に頭が混乱する。どうしよう及川が死んでしまったら。なんて思ったら頭にカッと血がのぼる。ふざけんな。及川が死ぬなんて俺が許さない。許せない。
お前の人生なんか知るか、いいからもうこっち来い。お前の人生なんて知ったもんじゃねぇが、お前との今日は、俺にとってかけがえが無いんだよ。
なんて、綺麗に言えたら良かったのだけれど。
ああもうキレたね。
俺は完璧にキレた。ブチ切れた。
何言ってんだクソ川が。バカだバカだとは思ってたがここまでバカだったとは思いもしなかった。
ふざけてんじゃねぇぞ及川。
俺はまだ、やり残したことがあるんだよ。
及川は寂しげな顔をした。その唇をゆっくりと動かす。
さようなら、とか言うつもりなんだろうが。
言わせねーよ。
俺は及川にキスをした。
ほら。
及川は驚いた顔をした。そして弾かれたように身を固くする。
バカが、クソ及川が、ああもう今はそんな仕草さえ鬱陶しい。もう一度キスをする。重ねるだけ、けれど容赦なく。
「及川、お前死にてぇのか。」
及川は震えている。表情は見たくなかった。俺は返事を待たずにまたキスをする。及川の喉がごくりと動く。白いな。けれど生きている人間の色だ。
唇を離してやると、及川は微かに頷いた。マジかよこの野郎。
クソ川が、クソが、この野郎。
許さねぇよ。及川、お前何勝手に死のうとしてんだ。ならいっそ俺が殺してやる。俺が閉じてやる。ならハッピーエンドだろ。
違うか、及川。
俺は及川の喉に指を食い込ませた。
及川は驚愕して、声を出そうとした。けれど酸素が無意味に放たれただけで、空気がかすれる音しかしない。
「なぁ及川、好きだ。」
俺は及川の首を容赦なく締め上げる。加減などしない。本気で殺してやる。
「ぃ、…………わちゃ………………ん……………」
及川が俺の名前を呼んだ。抵抗は無い。ただ俺に向かって力なく手を伸ばす。届かなかった。
「及川、好きだ。愛してる。」
俺がもう一度言ってやると、及川の伸ばしていた手が力なく垂れた。そして及川は目を見開く。虚ろな光が俺を見ていた。俺は真っ向から見つめ返す。
ギリギリと、及川の白い首が細く、色を失っていく。酸素を求めて及川はもがいた。その目から涙が落ちて、顎を伝い、俺の指まで流れ落ちる。
「何泣いてんだ。」
俺は及川の顔を見る。死に際の、なんとも苦しそうな顔。歪んでいる。整った面立ちはどこへやら。
及川の目からさらに多くの涙が溢れた。ぼろぼろと大きな滴になって、ついに及川は目を閉じた。
「何で泣いてんだ。」
俺は手に力を込めた。及川の喉に爪が食い込み、赤い血が滲む。
及川が腕を弱々しくあげて、俺の手に添えた。抵抗しているつもりなのだろうか。及川が遠慮がちに俺の手の甲に爪を立てた。
「欲しかったのはこれじゃねぇのか。」
及川は眉を寄せて噎せる。なかなか死なない。及川は首を横に振る。否定。なんだテメェ。死にたかったんだろ、なぁ。
「おい、笑えよ。」
精一杯笑えよ。
お前の望みが叶えられるんだよ。お前今から死ねるんだよ。最後くらい笑顔でいろよ。俺の網膜に焼き付けさせてくれよ。
及川が苦しそうに唇を開く。何かを言いたそうに。でも声にはならない。酸素といわず、全ての空気が及川から無くなっていた。
零れる涙で袖口が濡れる。
及川は最後の力を振り絞り、必死に何かを言おうとする。
なんだよ。
お前は死にたかったんじゃないのか。
もう何もかもどうでも良くなったんじゃないのか。
弱さを一人で抱え込んで、
俺なんか要らなくなったんじゃ無かったのかよ。
ちがう
及川の口が、そう動いた。
死ぬのが、嫌なら。
「嫌なら生きるしかねぇぞ。」
手を離した。
崩れ落ちる及川。激しく噎せて苦しそうだった。俺はしゃがんで及川と同じ高さになり、その背中をさすってやった。
荒々しく上下する肩に、空気の抜けるような情けない呼吸音。
ぱたぱたと涙がいくつも落ちて、及川は嗚咽を漏らした。
及川。生きていることを実感する。呼吸、運動、落涙、発声。及川は生きている。俺も知らずに涙を流していた。そこで初めて自分の感情に気が付く。
ああ俺、悲しかったのか。
及川が死ぬのが、悲しかったのか。
ほろほろ、止めどなく涙が溢れる。及川の背中にいくつも滴が落ちた。及川は声を上げて泣き出した。そしてすがるように俺の首へと手を回す。耳の横に、及川。俺はさすっていた手を伸ばして、及川を抱き締める。鼓膜を揺らす呼吸音を、もう二度と止ませるものかと誓った。
荒かった及川の呼吸は徐々に落ち着いて、ただむせびなく声。
そしてそれに混じって、生きたい、ごめんなさい、岩ちゃん、とかすかな声がする。
幻聴じゃあねぇよな、と俺は幸せさに耳を疑いながら、及川の頭を優しく包み込んだ。
いい匂いがした。
二人ぶんの心臓が、大きく脈を打った。