企画書
□ お題:あなたの色に染まりたい≪三万打記念≫
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蝉時雨の土砂降りの中、ぱちん、ぱちん、と淡々とした音が響く。
音の出所となっている部屋では、現八が爪切りをしていた。
自分の、ではない。
朱鳥は現八に優しく握られた手の感触を、やすりをかけられた後に ふっ と指先に吹きかけられる吐息を、もどかしく思いながらも気を紛らわしつつやり過ごしていた。
強すぎる夏の日差しは、縁側に垂らされた簾が遮ってくれている。
部屋は風通しが良く、陶器の風鈴が繊細な印象の白い肌に似つかわしい涼しげな音色を奏で揺れているが、二人は汗ばむ一歩手前だった。
かちんっ、とそれまでと違う調子の音がして、現八は手を止めた。
視線の先、彼の手の上には、歪な形に切り取られてしまった朱鳥の中指の爪。
「あーあーあー。ちょっと何やってるんですか、たぁいちょー」
「うるせえ。後でやすりかければ良いだろ」
やってやってるんだから、ゴタゴタ言うな。と現八は作業に戻った。
二人は向かい合って座敷に座っているが、正面からではどうもやりにくい。
体の向きを変えながら、位置を変えながらと試行錯誤をしたあげく、結局朱鳥の背後に回り、後ろから抱きつくようにして腕を正面にまわして、やっと落ち着いた。
この位置だと、頭を乗せるのに朱鳥の肩がなかなかちょうどいい高さにくる。
「……なんですか」
「この方が普段通りにできて、やりやすいな」
「はぁ、そうですか」
……やっぱり、何かおかしいと思う。
だが、勝手が良いというのならそれに越したことはないし、別にいいだろう。と朱鳥は匙を投げた。
体が密着しているせいで、聞き慣れない心音がよく伝わってくる。
ときどき、現八の吐き出す息が首筋にかかって、そのじめじめとした生温さに朱鳥は眉をしかめた。
「やっぱり、もうちょっと離れませんか」
「なんだ、緊張するのか」
「隊長こそ、血圧上がってるんじゃないですか」
慣れたのか諦めたのか、暑さでぼーっとし始めた頭ではもうわからないが、とりあえずされるがままになっていた。
それでも自分のものではない体温が背中にあることに違和感を覚えて、居住まいが悪い。
竹の隙間から潜り込んだ光が床板の上にゆらゆらと模様を描いて反射してくると、どちらのものかわからない汗が重なった服を湿らせた。
「隊長、暑いです」
「あぁ、後でかき氷でも食うか」
いいですねー。と呟けば額をつつ、と汗が伝う。
シロップは何をかけようか。
「あの、青いやつが食べたいよなぁ。そういやあれ、なんの味なんだろうな」
「ブルーハワイ、とか言いませんでしたっけ?」
「そういえばそんなのだったな。お前は?」
「私は……別に何でもいいですけど」
「いちご練乳はどうだ?」
「えー?同じ甘いのなら、メロンのがいいですよ」
とかなんとか言いつつ、実を言うと爽やかなレモン味が食べたい気分だった。
「メロンなんか、食った後舌が変な色になるだろうが」
「そんなの、ブルーハワイだって同じじゃないですか」
「まぁ、そうだな」
それも、まずはこれを済ませてからだ。と現八が手に力を入れると、爪の欠片が宙を舞った。
朱鳥は短くなった自分の爪を見つめながら、想像したシロップの甘さに生唾を飲み込んだ。