03/29の日記

00:44
結城秀康
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今朝、結城秀康の書を久しぶりに読んで痛く感動した。

秀康さんが記された書を読むのは
今回が初めてではないが、
これまでの見方が大きく変わった。

私が読んだのは彼の何気ない日常を記したものだが、彼の日常とは他人の日常と異なる。
人それぞれ日常が異なるのは極々当たり前のことなのだが、彼に関して言えば何か『暗』の部分が多々読み取れた。

それは他人とは共通しない程の多さ、大きさ、重さでありそこに心が動いたのだろう。

それ以上詳しい理由は解らない。

感動したのだ。

実父からは出自を疑われ
小牧長久手の養子として秀吉に差し出された。
言うまでもないが、養子というよりも明らかに人質としての意味合いが強かった。
人誑し、と言われた秀吉である。
養子の彼にも愛情を注いだ。
しかし本当の血縁関係の者から受けた扱いは彼の人生の中で忘れることはできない。
秀吉が与えた全力の愛情も一時の気休めに過ぎなかったに違いない。
やがて秀吉に実子が出来、結城に出された。
徳川にも豊臣にも居場所がなく、
縁も無いような結城家の家督を継いだ彼は徳川の為、豊臣の為と言ってどちらか一方に加担したことはない。
やはり一番大事なのは家督を継いだ結城家だと思うが、家康に言われて襲撃事件で三成を救ったときも、『家康に言われたから』というだけの理由では動かなかったと思う。
少なからず豊臣家、または三成個人に恩を感じていたからであってただ単に家康に言われるがまま従順にことを行った訳ではないだろう。
もっとも彼が三成批難の幕府の時代になっても大切に『石田正宗』を持っていることがなによりの証拠なのだが。
その後の三成の失脚については薄々気付いていただろうが、伏見で死なせるのは惜しかった。
それ故に三成を救った。
私はそう感じた。

このようなことから人間味以上の温かさを感じた。
心から愛し、主君として仰ぎ見てくれる人が彼にはどれ程いたか。
本当の居場所を探して生き続けた彼はどの家にも同等に情を注いだ。
たとえ情を注がれていなくても。

情を注がれず、道具として扱われた彼は何処でこのような温かさを知ったのか。
この温かさの中に確かに存在する『暗』の部分、それが酷く私の心を惹き付けた。
非情な扱いを受けても、何と言われようと『暗』だけでなく優しさを覗かせる。
それ故に際立つ彼の『暗』の美しさ。


やはりすごいのだ。

結城秀康は。

あまり注目されないが、
歴史の影にはこのような人もいることを知っていただきたい。



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