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□あまい指先
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扉が開くと、そこは正に戦場と呼ぶにふさわしい、一種異様な空気が渦巻いていた。
この時期、必ず設けられるデパートの特設コーナーには、あちこちに、ピンクのハート地に金文字で、
『St.Valentine Day』
と書かれたPOPがかかり、全国から集められたスイーツの名店の臨時支店が、整然と立ち並ぶ。
又、そんなホールにぎっしりと詰まっている人、人、人。
しかもそのほぼ100%、女性である。
飛び込んできた光景に、啓太は思わず『閉じる』ボタンに手を伸ばしかけた。
「お兄ちゃんっ!ぐずぐずしないのっ」
朋子はそんな兄の手を むんず と掴むと、箱の外に引きずり出す。
啓太としては正直、このまま廻れ右をして帰りたかったのだが、本来の目的を思い出して、何とか踏み止まった。
「…それで、どの店がいいんだ?」
早く済ませてしまおう、と訪ねた啓太に、入口で貰った会場のパンフレットを見ながら、朋子は事もなげに答えた。
「んー、取りあえず一通り見て回って…」
「って…ぇえっ!?こ、このホール全部!?」
この、広い会場を、くまなく!?
目当ての店があるのだろう、と思っていたのだが、朋子はどうやらこの混雑の中でも、全店吟味する気らしい。
いやだ、と顔に書いてある啓太を半目で睨めつけると、
「当たり前でしょ!…だいたいお兄ちゃんが、どうしてもーって頼むから、連れて来てあげたんだからね?」
「う…」
『どうしてもー』は啓太の口調を真似ていた。血が繋がっているせいか、少し似ているのが悔しい。
しかし、今日だけは彼女に逆らうわけにはいかないのだ。
何しろこの広大な人海原で、幼いとはいえ、経験ある航海士に見捨てられるわけにはいかない。
「…すみませんでした」
「わかればよろしい」
さ、行くよー!と、先ほどの表情が嘘のように、にぱっっと笑うと、
意気揚々と海原へ飛び込むクセっ毛のツインテールを、啓太は慌て追った。
朋子に手を引かれながら、人を掻き分け進む。
さすがに周りの女性達よりも、啓太の方が頭一つ分くらいは背が高いので窒息することはないが、
この熱気―― と言うか、むしろパワーと言った方がいいかもしれない ――に気圧されて、及び腰になってしまう。
何しろ、まわる店まわる店、どの店も黒山の人だかり。
通路にまで人があふれ、行列の最後尾が見えない店もある。
小さな箱をまとめ買いしているOL風の女性や、リボンやパールで綺麗に飾られた、おそらく本命用を選んでいるらしい女の子。
いずれもショーケースを覗き込む女性達は、けっこう真剣で。
(女の人って…スゴイ…)
今まで貰うばかりだったから、世の女性達はチョコレート一つ買うのにも、毎年こんな戦場をくぐり抜けていたのかと改めて感心する。
そんな啓太の目の前を、同い年くらいの女の子が横切った。
金地に黒の文字で店のロゴがプリントされた紙袋をひとつ、
人混みに潰されないように、大切そうに抱えて。
彼にあげるのか、それとも、これから誰かに告白するつもりなのか。
不安なような、それでいてわくわくしたような顔をして、彼女はエレベーターに吸い込まれていった。
あの人に送られてきたチョコレートも、あんな風に選ばれたんだろうか。
だとしたら。
「何してるの?」
惚けたようにエレベーターの扉を見つめている啓太の手を、朋子が引いた。
「あ、ごめん」
「またボーッとしてたんでしょ」
呆れ顔だが、咎める様子はない。
すぐに笑顔になって、
「そうそう、さっき見つけたんだけど、ここなんかどうかなって」
くいくいと、目の前のショーケースに連れていかれる。
腕を引く朋子は、なんだか楽しそうだ。
「ほら、お兄ちゃんのトレードマーク」
「あ…」
これだ、と、思った。