IS 〜天使の翼〜2
□第47話
1ページ/2ページ
「ふぅ……」
ほのかに香る昔ながらの檜の匂いと昼間の窓から差し込む木漏れ日を堪能しながら箒は実家の風呂へ入る。
祭りの準備をしていて疲れ切った身体を優しく包み込む湯船はとても懐かしく、自然と吐息が漏れた。
「箒ちゃん。湯加減はいかが?」
「はい、ちょうど良いです」
箒の叔母――雪子叔母さんに返事をするとまた吐息を吐き、風呂の縁に両腕を組んでそこに顎を乗せる。
湯船は大人が3、4人は入れる程の大きい物なので当然、一人だけでは少し寂しく感じる。
ふと、ポチャンと天井から水滴が落ちる音が聞こえ、視線を隣へ移すがそこには誰も居ない。
「昔はソラと一緒に入ってたなぁ」
剣道の後や神社で行われる舞の後など昔は一緒に入っていたものだ、と子供の頃の記憶を思い出す。
「しかし、今となってはもうそれは出来ないな……」
姉がISを創ったせいでこの家にも中々と帰ることが出来なかったし、友も姉と同じくらい行動が予想出来ないからあまり誘えずにいた。
学園の浴場ではたまに見かけることはあるが、思い出深いこの家でなければその特別感は味わえないのだ。
それにしても…………誘拐、か……
先日、織斑家で夕食を作った後に一夏がソラの怪我について私を含めみんなに話したのだ。
第2回モンド・グロッソの応援に行き、滞在先で起きた誘拐事件。
これについて私達は同情を寄せ、自然と涙を流していた。
本人達が一番傷ついているのに我慢ができなかったのだ。
また、シャルロットや簪に至ってはソラにしがみつき嗚咽の声を漏らしていた。
「はぁ…………」
箒は重く、胸の奥に漂っている空気を吐く。
今回の事でソラの怪我について知る事が出来たと共に一番知りたくない、気づきたくなかった事が表へと現れた。
「一夏はソラの事が……」
次の言葉が喉元まで出かかった所でそれを飲み込む。
言えない……これ以上言ってしまったらきっと私は泣き崩れてしまい、人前に出れるような顔をしていないだろう。
そうなったら、今日の祭りの舞どころでは無い。
「どうか……どうか、私の勘が外れますように……」
手を前で組み、まるで神にでも祈るかのように吐いた言葉に答える者はいなく、蝉の鳴く音が風呂場に響いた。
ガヤガヤと人が入り乱れる境内。
活気に溢れる夜店が建ち並び、お客は時間と共に増え続ける。
そんな人混みの中を二人の少年少女は手を繋ぎ、歩いていた。
「わぁー、懐かしい!!」
「そう言えば、久しぶりだな。こうして二人で祭りを回るのは」
去年は一緒に行く相手が居なくて、家でゴロゴロしていたが今年は違う。
紺色をベースで桜や蝶の刺繍が入った浴衣を身に纏い、長く絹の様に綺麗な金髪は片側に纏め上げている。
そう、今年は浴衣姿のソラが隣に居るのだ。(また、逸れないように『手を繋いでいる!』←ここ大切)
「ねえ、一夏君。早く早く!」
「はいはい、と。急がなくても屋台は逃げないさ」
先を進むソラに手を引かれながら人混みの流れの中に飛び込んだ二人。
たこ焼きに焼きそば、かき氷にクジ、射的に輪投げ、型抜きに金魚すくいと幾つもの屋台を行き来する。
「うふふっ、今度はどこに行く?」
祭りを満喫しているのソラは楽しそうに笑みを浮かべ、俺も自然とそれに釣られる。
「ちょっと休憩しよう。ソラも疲れただろう?」
「え〜、じゃあ少しだけね」
まだまだ、遊び足りない様子だが渋々従ってくれた。
半袖に半ズボン、靴はサンダルと俺はラフで動きやすい格好をしているがソラは浴衣に下駄と動きにくく、更に杖を使っているため同じ格好をした人と比べたら確実にソラの方が疲れは溜まりやすい。
なので、転んで怪我などをしない為にも、こまめに休む必要があるのだ。
「ほら、ソラも座って休もうぜ」
境内の端にある人気の少ない池のベンチに俺は腰を下ろし、隣に座るように手をかざしてソラを催促する。
「ん〜、もう……分かったよ」
少し、しょんぼりした様子でソラはベンチに座ろうとした時――
ガツッと敷石の端に躓いた。
「きゃっ――!?」
敷石に足を取られ、バランスを崩したソラはそのまま前方へと倒れるが地面に手を着く事は無かった。
――そう、地面には倒れなかった。
「…………」
「…………」
目の前に広がるのはあどけない表情をした彼女の顔。
瞳に反射して自分の姿が確認でき、鼻が触れそうな程の距離で相手の吐く息が頬を撫でる。
身体から伝わってくるのは夏の蒸し暑さでは無く、人の温もり。
呼吸のたびに鼻孔の奥を擽るのは女の子独特の甘い香り。
バクバクと耳に聞こえる程高まる鼓動と共に頬がどんどん熱くなる。
やばい……色々とやばいぞ……
ソラが敷石に足を取られて倒れたが俺の方へ倒れてくれた為、大したケガをしなくて済んだのは良かった。
しかし、体制が色々とマズイのだ。
ベンチに座る俺へ抱き着く形で倒れて、ソラの柔らかいものが身体に当っている。
更に視線を下へ下げると浴衣の襟元から真っ白なうなじが見える。
ゴクリッ……と、一夏は喉元に溜まった唾と高まる興奮を飲み込む。
「…………」
「……い、一夏君?……もう、大丈夫だから……そろそろ、降りても良い?」
「お、おぅ……すまん……」
周りの目を気にしたソラは一夏から降りると隣に腰掛け、何も無かったような身振りで屋台で買った綿飴を頬張る。
そんな様子を見た一夏は気付かれないように下を向きながら「折角のチャンスだったのになぁ……」と、深いため息を吐いていた。
日も暮れて夜の帳が下り始めた頃、道場の中には二つの長い影が映えていた。
一つは純白の衣と袴の舞装束を身に纏った箒、もう一つは床張りの道場で静かに正座している雪子叔母さんだ。
「ど、どうでしょうか……?一応、来る前に練習したのですが……」
右手に刀、左手に扇を持った箒は雪子叔母さんにこれから舞台で舞う神楽を見てもらっていた。
幼少の頃から箒は神楽舞の練習を欠かす事は無く、それこそ毎年の恒例行事として組み込まれていた為、暫くやっていなくても身体はしっかりと覚えていた。
自分は篠ノ之神社の巫女である、という事で祭りで舞う事になっているのだが箒にとってソレは特別で不思議な体験でもあった。
何が特別で不思議なのかはうまく口で答える事ができないが、舞を踊っていると神秘的と言うか心が清められている感覚が全身を駆け巡っている様な気がする。
雪子叔母さん曰く、『篠ノ之流剣術は元々、鬼や悪霊を退治する為の剣術』や『現世に帰った霊魂を神界へ送るための儀式舞』等、様々な曰く付きの諸説がある。
その為、この舞自体どういった経緯のモノなのかも本人自身知らないのだ。
「流石、箒ちゃん!これなら完璧ね!」
雪子叔母さんはパチパチと拍手を箒に送り、喜色満面の笑みを溢していた。
「あ、ありがとうございます……」
雪子叔母さんから絶賛の言葉を得て、箒は自分の舞に自信を裏付けすることが出来た。
「それじゃあ、私は神社の方に戻るわね。神楽舞は6時からだから遅れないでね」
「は、はい。分かりました……」
最後に雪子叔母さんは『頑張ってね』と激励の言葉を送ると道場を後にした。
「すぅ……はぁぁぁ…………すぅ……はぁぁぁ…………」
神社の隣にある、古い木造の舞台。
その舞台裏にある小さな個室に篠ノ之神社の巫女 篠ノ之箒は瞳を閉じて、深呼吸をしていた。
大きく肺の隅々まで新鮮な空気を吸い込んで、小さく吐き出す。
もう一度。今度は小さく、長い時間を掛けて吸い込んで息を止める。
あとは自然と吐き出す。そして、ゆっくりと閉じていた瞳を開ける。
左手に巻かれている待機状態の紅椿に視線を移せば『18:01』と時刻が表示される。
――よし。
箒は赤紫の横断幕を潜り抜け、一歩前へ踏み出した。
神楽舞用の華やかな羽織を身に纏い、頭には光り輝く髪飾り。
ざわめいていた空気が一変、シーン…………と無音になる。
そして、箒の耳にも音が入らなくなる。
集中している為でもあるがそれ以上に観客達が口を閉じて、舞台の上に立つ巫女(自分)を見ているのだ。
境内の御神木である杉の大木が風に揺られ、箒は空を見上げる。
(今日は上弦の月か……)
灼熱の太陽が地平線の彼方へと姿を消した日没直後、雲のない西の空に夕焼けの『朱』が失われて、藍色の空が広がる時間帯。
街中の光に負けないくらい、美しく輝く半月が箒の瞳に映える。
和太鼓の音と篠笛の音を捉えた箒は脇に差していた刀を抜刀する。同時に空いた手に持っていた扇を開いた。
左右両端の紐の先には鈴があり、シャン……と音色が響く。
扇を自分の顔が隠れるように重ね、刀は肩の高さで真っ直ぐと真横へ伸ばす。
次に扇は夜風を撫でながら真横へ腕を伸ばし、入れ替わるように今度は刀を目の前に持ってくる。
刀の刃紋は綺麗な波模様があり、鏡の様に反射して自分の顔が映し出される。
独特のリズムとステップを挟みながら和太鼓と篠笛の音色に身を任せて、流れる様に箒は舞台の上を舞う。
見物に来た者達は神秘的な舞に魅了されたかの様に見入っていた。
(はぁはぁ……あと少し……)
神楽舞も終盤に近付き、ずっと集中して踊っていた箒の頬に汗が流れ落ちる。
刀を持っていた腕も疲労が溜まり、ちょっとでも気を緩めてしまえば手から落ちでしまう。
しかし、そこは気合を入れてなんとか耐える所だ。
既に切れ掛かっている集中力を舞が終わるまで無理やり保たせ、観客達には清々しい表情を見せる。
そんな時、観客達の方へ視線を送ると見に覚えのある人物が瞳に映った。
(あれ、は……? 一夏っ!?)
思わず動きを止めてしまいそうになるが「はっ……!」と、我に返り舞を続けた。
(来てくれた!一夏が私を見に来てくれた!)
先程の言っていた疲労が嘘のように消えさり、箒の舞には動作や足捌きにキレが戻る。
更には箒自身の表情も嬉しそう…………では無く、どちらかと言えば不安げな様子で曇っていた。
(…………何故だ…………何故なんだ、一夏っ!)
舞を踊っていながら箒の心の中ではやり切れない想いが渦巻き、踊りながらもずっと箒は一夏の事を見ていた。