短 編
□籠の中の自由な小鳥
1ページ/5ページ
「左之助さん、起きて下さい。遅れちゃいますよ」
「ん〜?わかった、今起きるから…」
いかにも眠そうな原田の声に思わず千鶴はくすくすと笑みを零した。
部屋からはごそごそとベッドを抜け出して着替え始めた音に、千鶴は再びキッチンへと向かう。
前もって熱していたフライパンに油をひき、ベーコンを軽く炒めて、その上に素早く卵を3個割って落とす。
じゅわわわぁ〜、と美味しそうな音が台所に広がる。
「お、良い匂いだな」
欠伸をかみ殺しながらキッチンに入ってきた原田に千鶴はおはようございます、と挨拶をした。
「ああ、おはようさん。」
既にテーブルの上にはコポコポと音を立てて芳醇な香りを広げながら珈琲が抽出されていた。
原田はその珈琲をカップに注ぎながら自分の椅子に腰をかけた。
ブルーのカップは自分の手元に、向かいの席のピンクのカップには半分だけ珈琲が入ってある。
千鶴が二枚のお皿を手に原田の側にやってきた。
原田の前に置かれた白いお皿の上にはかりかりに焼けたベーコンと目玉焼きが二つ、そしてバターと塩コショウで味付けされた温野菜が盛り付けられていた。
チン、とトースターの音に千鶴はパタパタと走って行く。
すぐに戻ってきた千鶴の手には小さな籠にこんがりと香ばしく狐色に焼けたパンが載っていた。
「はい、どうぞ。」
「おお、さんきゅ。」
原田は千鶴が差し出した籠からトーストを手にバターを塗っていく。
手馴れた風に塗り終わったトーストを千鶴の皿に載せてやると千鶴が嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。」
「なんの、いつものこの美味い飯に比べればこれ位はなぁ…」
千鶴の笑顔に少し照れたように頭をぽりぽりと掻く原田。
そんな原田を前にくすくすと笑いながら千鶴は自分のカップに暖めたミルクを足していく。これでカフェオレの完成だ。
そして
「いただきます。」
二人の声が重なって、いつもの朝食が始まった。
「んじゃ、行ってくるな」
「はい、行ってらっしゃいませ。」
玄関で靴を履いた原田から靴ベラを受け取り、千鶴はにっこりと笑った。
「ああ、わかってるだろうけど…」
「もう、左之助さんったら…、いつまでも子供扱いしないで下さい。大丈夫ですよ。絶対に外に出たりなんかしませんから。あんな怖い所に行こうなんて思いませんよ。」
くすくすと笑う千鶴に原田はどこかほっとしたような笑顔を見せた。
「それじゃあな。」
「はい、お気をつけて。」
そう言いながら軽いキスを交わすと原田は部屋を後にした。
部屋を出て車に乗った原田はハンドルを手に、先程の千鶴の様子を思い出していた。
絶対に外に出たりなんかしませんから。あんな怖い所に行こうなんて思いませんよ。
そう行った千鶴の表情は真剣そのものだった。
本気で部屋の外は怖いのだと思っているのだろう。
そうさせたのは何を隠そう原田自身だ。そして、その事に胸が痛まない訳でもなかったのだが……
例え時計を巻き戻せたとしても、原田は自分が再び同じ過ちを犯す事が解っていた。
幼少の時から前の記憶を持っていた原田は中学の頃、千鶴と出会った。
まだ、真新しいランドセルを背にした幼い千鶴。
原田はそんな千鶴を言葉巧みに自分の済むマンションへと連れ込み、今日に至る。
その日から千鶴にとっての世界は、原田と部屋の中だけと言う非常に狭く歪んだ世界となった。
部屋へと連れ込まれた当初、当然のように千鶴は泣いて帰りたがった。
そんな千鶴に原田は優しく接してやった。だが、千鶴が部屋の外に出ようとしたり、興味を持った素振りを見せたりした途端、180度態度を替え、冷たく完全無視をする。
そうなると千鶴に接する人は誰もいなくなり、とてつもない孤独感に苛まれるのだった。
恐怖と不安と孤独に耐え切れなくなった千鶴が、二度と部屋の外には行こうとしないからと原田に泣いて縋りながら謝り、そこで始めて原田が許す。
そして、許した後は以前にも増して優しく接してやる…
そんな事が数回繰り返した後には千鶴は部屋の外へと興味を持つ事は無くなっていった。
いや、それどころか、恐怖の対象となってしまったのだった。
小学生に上がったばかりの、身も心も幼い千鶴にはそれに逆らう術も無く、部屋だけでの狭い世界で満足するようになった。
原田の望む様に……
勿論、原田は部屋の外の世界がいかに危険で恐ろしいのかを懇々と説き、千鶴に外に対する恐怖感を植え込む事も忘れてはいなかった。
これはある意味、洗脳と言っても良いだろう。
何故なら、千鶴と原田はあくまで誘拐された『被害者』と誘拐した『加害者』なのだから…
そんな二人が今現在、まるで夫婦かのように仲睦まじく暮らしているのだ。
異常以外に何と言えば良いのだろうか…
.