□雪
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もともとそこは空き家だった。大昔、マダラの父が頭領だった頃は、物置として使われていたがいかんせん、本当の家からは遠くそのうち使われなくなってしまった。それでも戦が酷くなる前までは急ごしらえの避難所になった。マダラが十になった年に大きな台風があたりうちは地区一帯を直撃した。近隣の川が決壊し、おおくの民が避難生活を余儀なくされた。マダラの母は陣頭の指揮をとり、まだ幼いイズナの手を引き、大きな釜で大量の米を炊かせた。
難民たちのために女は総出で握る握り飯はちょうどいい具合に塩が効いていてとても美味かった。

マダラは屋根裏に続く階段を上がりきり、盆に味噌汁がこぼれていないことを確認して、おもむろに懐から鍵を取り出した。部屋の奥で後ずさる気配があった。
マダラは女に、自分が鍵を開けようとしたら扉から離れろと、教え聞かせていた。扉から離れ、部屋のすみに行って後ろ向きになり、決して顔をこちらに向けてはいけない、と。
女はいつも忠実に言いつけをまもった。それはマダラが足掛け三年間もの長い間、毎日、お前は醜い、お前ほど醜い女は見たことがない、といいつづけた成果であった。
鍵を外しそっと扉を押し開けた。十畳ほどの座敷には、天井の明かりとりようの小窓以外、窓はない。部屋を照らし出す電灯もなく、冬の今時分の季節ともなると、午後の3時を過ぎればあたりは小暗くなって深い闇が墨のように流れてくる。
ここに連れてきてからまもなく、女がせめて読書させてほしい、と懇願したので読書用の棚だけは用意してやった。マダラが部屋にはいる時には必ず明かりを消す、という条件つきだった。


女は今日もその約束を守っている。明かりを消し、闇にのまれた部屋の片隅でこちらに背を向けている。正座をし首を大きく前に垂らしてじっとうつむいている気配がつたわってくる。
部屋は火鉢で暖められている。隅が燃えるぱちぱちという独特な音だけが部屋に響いていて他には何も聞こえない。
「夕食だ」とマダラは言った。

「お前の好きな鰤のあら煮だ。脂が乗って美味い。ここに置いておくぞ。」

はい、と女が答えた。「あの……今日は雪ですか」

「今にも降りそうだ。でもまだ降りだしてはいない」

「星が見たいんです。昨日の夜も見えませんでした。ずっと天窓を見上げていましたのに」

「雪空だ。今夜も見えないだろう」

「さっき、近くで狐が鳴きました」

「そうか。気づかなかったな。そろそろ交尾の準備に入っているのかもしれない」

「交尾をすると一度に何匹の子狐が産まれるのですか」

「どうだかな。三、四匹ぐらいか」

「可愛いのでしょうね」

「どうした」マダラは喉の奥に笑みをこめながら聞いた。「まさか赤ん坊が欲しくなったんじゃないだろうな」

「さあ」と女はいい、「どうでしょうか」と言った。

その声の艶めかしさにマダラは陶然と酔った。体が熱くなりはじめ、たちまちはげしい血潮と化して全身を駆け巡る。さあ、とマダラはむず痒いようなよ欲望を抑えつけながら言った。「早く食べてしまえ。食べ終わったら合図をしろよ。いいな?」

女がはい、と言うのを耳にしながら、マダラは部屋をでて扉を閉め、再び鍵をかけた。
部屋の外は早くも凍てつく寒さだった。それでも一度立ち上った焔はなかなか消えず、マダラは扉に背を預けたまま、女が食事を終えるのを十五の少年のような気持ちで待ち続けた。

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