頂き物

□甘い夜はいかが
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 それは、梅雨の晴れ間の夜のこと。

 7月に入り、昼はすっかり、夏の空が広がっていたが、夜も蒸すようになっている。
 
 新月闇の濡れ縁に、古めかしい行灯が一つ、仄かな光りを灯した。

「リクオ様、用意が出来ましたよ。」

 ぬばたまの闇からふわりと浮かぶように、白い着物のつららが、黒漆の膳を献げてやって来た。

「ああ、悪いな。」

 夜の姿になったリクオは、部屋着の紫紺の着流しに、羽織を引っかけ、ふらりと部屋から出てくる。

「珍しいですね、一人で家で飲むなんて。」

「ああ、…まあな。たまには良いだろう。」

行灯の傍には、座布団が一枚。
 つららは、膳と脇息をしつらえて、お座り下さい、と言わんばかりに主をニコリと見上げた。

「…何で?」

 きょとんとして座布団を指さすリクオに、座布団の右手の床に座ったつららは、

「何で?とは?」

 と、小首を傾げて返した。膝の上には、冷酒を乗せた盆。
 蒸し暑い夜は、冷えた吟醸酒が美味いのだが、いつまでも座らぬ主に、酒がつららの手の平でどんどん冷えていく。

「どうなさったんですか?」

何か、気に召さなかったのかとつららは不安になるが、リクオは床にどかり、と座ると、

「何で、オレの分だけ?」

と眉をしかめた。
 座る座布団も、膳の盃も、つまみの用意も、一人分。

「…せめて、座布団くらい、ひけよ。」

「ですが、それではお酌がしにくいですから。」

裾を乱すこともなく端座し、つららは困ったように笑う。

「オレは、どうせ寝転がるから、座布団は良いんだよ。ほら。」

ぐいぐいと押して、つららを無理矢理座布団に座らせてしまうと、リクオは宣言通り、ごろりと横になった。

「あ、リクオ様、枕…」

つららが言い終わるよりも早く、リクオはつららの膝に頭を乗せた。

「あ!り、リクオ様…。もう、何なんですか。」

優しさを見せたかと思えば、これだ。ちゃっかりしている。

「さっき、風呂に入ってよ。暑いんだよ。」

「もう…湯冷めしても、知りませんよ。」

つららは、仄暗い柔らかな光に照らされたリクオの頬を、そっと撫でた。

 ヒヤリとした心地良さに、リクオは猫のように目を細めた。雨は止んでも、じめじめとした空気が漂うが、この場所だけは、居心地が良い。

 甘い匂いも、薄い衣を隔てた柔らかな体も、優しい金色の目に映る世界全ても、自分の物だ。


――――なんと、極楽なことよ。


リクオは満足げに笑って、鼻先に揺れるつららの黒髪に指を絡めた。
 上等な練り絹のような艶やかな髪が揺れるたび、甘い匂いが鼻腔を擽る。

ふと、目の端に、つららにしては珍しい色をみた気がした。
 白い帯の真ん中に、薄紅色の椿が咲いていた。
それは、以前、リクオが戯れのようにつららの唇を奪った際に、詫びにと贈った物だった。

「…この帯留め…付けてるんだな。」

「…はい。ありがとございます、リクオ様。」

 経緯はどうあれ、リクオが贈った物を、ちゃんと使って居るのだと思うと、何ともこそばゆく、そして、素直に嬉しい。
 自分が込めた想いを、受け止めて貰えたような気がするからだ。

「なあ、これ、八重の雪椿なんだぜ?」

「はい。雪とともに咲いてくれる花です。」

つららは、リクオの白い髪に細い指を滑らせて、大きな甘えん坊の猫を撫でる。
毛並みの良い猫は満足そうに笑い、

「花言葉…教えてくれたの、お前じゃないっけ?つらら」

何か、言葉以上のことを問うように、つららの目を覗き込んだ。
 つららは、金色の目を一瞬だけキラリと光らせたが、すぐにふわりと微笑んで、

「そうですか?…どんな、意味でしたっけ。」

と返した。

(…忘れているのか、忘れたふりか。
…どちらにせよ、狡い女だねぇ。)

この、口から言わせたいのか、
この口に、言わせて良いのか。

お前は、オレの理想の愛、そのものだなどと。


「さあて、どんな意味だったかな…?」

口角をニヤリとあげて、リクオはつららの腰に手を添えると、寝返りをうってつららの腹に頬ずりした。

「きゃ、リクオ様…?」

どうやら膝の上に居るのは、猫ではなくて虎だったらしい。
 跳ね上がった鼓動を宥めるように、つららはリクオの肩を揺すった。

「ちょっと、リクオ様。お酒、召されないんですか?」

「…もうちょいしたら、酒、飲むけど。盃、もう一つ持って来いよ。付き合え。」

「…はい。」
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