書庫

□伯牙、琴を破らず
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燐のことを怖いと言う子猫丸のことを揶揄したり責める気は毛頭なかった。かと言って、このまま確執を残し学園生活に戻る気も、またなかった。というより彼、勝呂竜士は頭にきていた。だから彼、奥村燐を呼びだした。

明日から再び塾が始まる。入学して数ヶ月、既に見慣れ日常の一部となった教室に二人っきり。今の二人の関係を表すように、互いの手の届かない場所に二人は腰をおろしていた。


「結局、勝呂も俺のことこえーのかよ」

「んなわけあるか」

ムッとしながらそう言った燐に、同じ態度で勝呂が返す。「そーかよ」と投げやりに言って睨みつけてくる燐を一瞥し、勝呂は盛大な舌打ちをした。


「じゃあなんでそんな距離とってんだよ」

「お前との距離なんて元からこんなもんやろが。それに、手前のことだけ考えとけばええお前とは違うのや」

苛々と机を叩く勝呂の指を、燐がじっと見つめる。尻尾がペシペシと床を叩き、椅子の上で犬のように座ったまま俯いた。長い前髪でその表情は見えず、勝呂は視線を外す。何度か躊躇するように口を開いては閉じ、漸く言葉を発した。


「お前、塾やめろや」

「俺は祓魔師になる」

「もうええやろ」

「勝呂は俺に死ねっつーのかよ、それでも坊主かおめーは」

『死ね』とも、『じゃあこれからもよろしく』とも言えない勝呂は再び黙りこむ。志摩が居れば「重いわぁ、嫌やわぁ」と顔を覆いそうな空気が二人の間で揺れる。

しばらく燐の尻尾が床を叩く音だけが教室に響いていた。それは段々と速さを増し、音を大きくしていく。思考を乱されることに勝呂が煩いと文句を言うより先に、燐がガタンと大きな音を立てて立ち上がった。


「あー!やっぱ俺こういうの向いてねぇ!うっざい!勝呂うっざい!」

「言うに事欠いてうざいとはなんや!こっちは真剣にお前のこと……」

「うん、もういいや!」

にぃっと歯を出して笑う燐に勝呂が渋面を作る。選抜テストの時、先に行けと無理に笑った顔と、少しだけダブって見えた。


「……何がええんや」

「俺さ、志摩が俺のこと普通にしてくれたから、もしかしたら勝呂もって思ってたんだ」

「志摩は何も考えてへんだけやろ」

「きっついな!俺、お前に嫌われんの、きっついわ!」

気の抜けた笑顔を見せる燐に、ありすぎるほどある勝呂の良心がじくじくと痛む。しゅんっと垂れてゆらゆらと揺れる尻尾が、振り子のように頭を呆っとさせていった。


「俺どうせ特別メニューあるし、もうここ来ねーようにするわ!雪男とメフィストになんとかしてもらうし!あ、しえみのこと、よろしくな!」

最後まで他人のことばかり気にする燐に、勝呂の奥歯がギリと音を立てる。「じゃあな」と軽く言って背を向けた燐に、ポケットに入っていたペンを投げつけた。


「いった、何だよ。まだ何か言い足りねーのかよ」

「言い足りんに決まっとるやろうがド阿呆!」

「それさ、言わなきゃ気ぃすまないか?」

振り返り眉尻を下げてそう言った燐に勝呂は疑問符を飛ばす。確かにやめろと言った手前引き止めるのは憚られるものの、このまま終わりにしてしまうのは寝覚めが悪いというものだ。


「俺さ、結構お前のこと好きだったんだよ。かっけーし、つえーし、何だかんだで俺なんかにも優しーし。だからお前に何か言われんの、もういやだ」

常ならギャーギャーと煩い声が少し震える。しかし顔は笑ったままで、そのちぐはぐさが痛々しい。


「だから、勘弁な?」

「……戯れるな」

「へ?」

唐突に印を結んだ勝呂に燐が目を見張る。何するんだ、と言うより先に二度と聞きたくない呪が聞こえた。


「オン!マニ パド ウン!」

「い゛っ……」

尻尾の根元をぎゅっと抑えて膝をついた燐に、ずかずかと勝呂が近づいていく。顔を歪めた燐が、印を結んだままの勝呂を見上げた。


「すぐろっ、それ……」

「あないに短いもん、一度聞けば充分や。俺はお前なんか怖ない。これで分かったか」

「おまえ、なぁ!これどんだけ痛いか分かってんのか!」

「分からへん、分かりたいとも思わん。俺は人間やからな」

じっと見下ろしてくる勝呂に、燐は俯く。ぎゅっと唇を噛み、立ち上がろうとすれば再び呪が聞こえ激痛が襲った。


「まだ話は終わっとらんぞ」

「っ……ふざけ、んっな!」

「俺はなぁ、お前が気に食わんのや!」

声を荒げる勝呂を、肩で息をする燐が見上げる。怒っている、というよりは叱られていると言ったほうがしっくりくるくらい、勝呂は辛そうな顔をしていた。


「なにっ、が……」

「なして最初に言わへんかった。なしてずっと隠しとった。お前の口から聞いとったら、こないなことにはならんかったやろ。お前が苦しいんも、辛いんも端から分かっとったら、俺かて皆かて、お前かてこんな思いはせんかったはずや」

一息にそう言って胸倉を掴まれた燐がぎゅっと目を瞑る。急所を圧迫され抵抗する力もなく殴られる、そう思った。






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