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□かわいい奴
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今度はあの阿呆、何があったんや。同棲相手である花宮からのLINEメッセージを見て、今吉は足早に花宮が現在居るであろうマンションへと帰ってきた。階段を上り、すぐの所に自宅はある。急いでいたため途中で取ったマフラーを片手に、手早く鍵を開けて中に入った。

家賃折半で借りたこのマンションは、それなりにしっかりした過ごしやすいところを選んだだけあって、玄関からして広々としている。時刻は午後六時過ぎ。広い玄関が暗さと寒さを助長させているような気がして、今吉はぶるりと身震いした。そういや、玄関が暗いまま帰宅するのは久しぶりやな、と今吉は思った。最近は今吉の方が遅く帰宅することが多く、その場合花宮は玄関の明かりを点けて帰宅を待ってくれていた。しかし、今日は点いていない。確実に花宮はこの先のリビングにいるというのにだ。リビングからの明かりがこちらに漏れているのがその証拠。まぁ、帰るって連絡し取らんから当たり前やけど、と靴を脱いでスリッパに履き替える。

廊下をまっすぐに進み、扉を開けてリビングに入ると、いた。花宮だ。テレビもつけず、電球の明かりだけが照らす室内で、部屋の中央近くに置かれている大きめのソファーの真ん中で、膝を抱えて座っている。そのすぐ目の前のガラスミニテーブルの上には二、三冊の本が積み置かれてあり、読書を始めてから長いのだろうか、花宮は読書に集中しているようで今吉の帰宅に気付いた様子は見られない。試しにただいま、と言ってみるが、反応はなかった。

おかえりなさいの一言もない迎えではあるが、花宮は集中すると周りのことなどシャットアウトして人の出入りなど気づきもしないのを知っているので、今吉は今更そんなことで憤りはしない。こりゃアカンわ、その程度だ。むしろ気づかない間に色々と花宮に出来るものだから、時々ならまったく構わない所存である。

ひとまず花宮が家に居ただけで良しとした今吉は、コートを脱ぎハンガーにかけ、鍵などの貴重品を脚長キッチンテーブルの上に置いた。ついでにそこに置いてあったエアコンのリモコンを取り、暖房を点ける。暫くすればこの凍えそうな室内も暖かくなるだろう。

というより、この時期に今まで暖房もつけずにいたのかこの女は。真冬のこの時期、外が暗くなり始めるのはだいぶ早い。本を読むたまには明かりが必要で、集中したら明かりをつけるということが頭から抜ける花宮は、おそらく暗くなってから、本を読むために電気をつけて読書を始めたはずだ。明かりが必要になる時間を四時半ぐらいとしたならば、最長で約一時間半、花宮はこうしていたことになる。生理の度に冷えは敵だと言いながら毛布にくるまりソファから動かないのはどこのどいつやと、言ってやりたくなった。いや、あとで言おう。ダイニングの水場でさっと手洗いを済ませた今吉はそう決意した。

さて、暖房は点けた。貴重品も全て出して、置いてある。手洗いもたった今終わったところだ。本のページを捲る音と、壁掛け時計の秒針の音がリビングで静かに響くなか、いよいよといった具合に今吉は花宮に近づいた。

足音に気を使うわけでもなく、いつも通りの調子で花宮の真横に座ってみるが、それでも花宮は今吉に気づく気配すらない。毎度のことだし分かってはいるのだが、なんとなくやるせない。向かいの電源の点いていないテレビにぼんやりと写る自分が何とも情けないものに見えた。ツンデレの黄金比割合で気づいてくれてもええやんか。

これでは埒が明かない。今吉は花宮の頬に両手を伸ばした。

「はーなーみーやー」

むにー、と。頬をつまんで左右に引く。そこまでして、やっと花宮は今吉に気づいたようだ。呆気にとられた様子でじっと今吉を見つめて目をぱちくりしている。

「今吉さん、帰ってたんですか?」

「おん、ちょうど今な」

「そうですか、気づきませんでした。すいません」

「ええて。それよりもはなみやー、お前さっきのLINEなんやの」

ずい、と花宮の目の前に突き出されたのは今吉のスマホだ。花宮との会話ページが表示されており、一時間前の花宮からの『別れませんか?』という。メッセージでそのページは終わっている。

「言葉のままの意味ですけど」

頬をむにむにと揉まれたままで花宮はそう言い返した。淡々とした表情はありありと『それがどうかしましたか?』と物語っている。

「言葉のまま、やない。『別れる』ってあれか。ここを出てくっちゅう意味での『別れる』やろ?」

「そうですね」

カップルの別れの危機であるはずなのに、交わされる会話はどこか事務的だ。苛立ちも焦りも、どちらからも感じ取ることはできない。いや、今吉の表情からは花宮に対する呆れは見て取れた。

「今回はなんや。そないな結論に至った原因は」

花宮の頬をむにむに揉み続けていた手を離し、今度は花宮の腰へと手を伸ばすと自身のもとへと引き寄せ、花宮の背中が胸に来る形で膝の間へと座らせた。

今吉は花宮が唐突に『別れ』を告げだした理由は、なんとなくだが察しがついていた。目を合わせて返答を待っていると、あっさりと花宮は話し出す。

「最近、家で一緒にいる時間も少なくなってきたし…。今吉さん、同じ職場の女に口説かれてるって聞いたし、なら別れるかな、と…」

「色々言いたいことあるけどちょお待ち。花宮、職場云々はどこ情報や」

「若松」

なぜそこで若松。

「いつの間に花宮若松と知り合ってん…」

「昼一緒になったことがあります」

「さ、さよか…」

がっくりと項垂れる。昔から人の思考を読むのは得意だった。だが、今吉とて人間だ。いくら妖怪サトリなどと言われようと、自分の後輩と恋人が知らぬ間に知り合っていたことなど予想できるわけがない。

「しっかし花宮、相変わらず思考回路ぶっとんどるなぁ」

「そうですか?」

「せや。わしが口説かれてる言うても、浮気してる訳やないってわかってるやろ」

「今吉さん俺のこと好きですもんね」

恥ずかしげもなくそんなことを言い返してくる花宮。腰に回った今吉の手を気まぐれに指でなぞる。襲ったろかコイツ。思いながらこちらも恥ずかしさをおくびにも出さずに返してやる。

「せやでー。せやのになんで毎度別れる言い出すん?」

以前別れを口に出したのは一体いつだっただろうか。確か、今吉が会社勤めに慣れ始め、花宮の就職活動が始まった頃だったような気がする。ある日仕事から帰ってきたときに花宮に面と向かって『別れますか?』と聞かれたのだ。

最初、まだお互い大学生の頃は今吉も戸惑った。そんなことを言いだしたきっかけは聞けば分かった。『お互い忙しくなってきた』『誰それが今吉に気があるらしい』それくらいだ。しかし、その忙しさを埋める努力はお互いしているし、今吉に気がある人物がいるからといって今吉は浮気をしたこともなければするつもりもない。それで、『別れる』までいくものなんか。同棲までしているのに。いや、相手は花宮や。それくらいはする。でも嫌や。そんな風に思考だけがぐるぐると頭を駆け巡った。

「前にも言ったことあるでしょう」

「せやけど、聞きたい」

耐えかねて、その結論に至った思考回路を知りたくて、当時尋ねたことがある。それに対する花宮の返答を聞いたときは、花宮の思考回路のぶっ飛び具合に呆れて、そして同時に嬉しかったのを覚えている。だからこうして、今吉は花宮が『別れ』を口に出す度に花宮の口からその理由を根掘り葉掘り聞きだすのだ。

今吉が引かないことを察したのか、花宮はぶすくれた表情でしぶしぶと口を開いた。

「だって、会う時間が少なくて寂しく思うのも、知らない女に嫉妬するのも、疲れるじゃないですか…」

何かおかしいかバァカと、花宮は腰にあった今吉の手をつねる。

「痛い!花宮、痛い!」

「ふん!」

痛みを告げる今吉にそう吐き捨てた花宮は、指を離すと今吉から顔を背けた。そんな花宮に今吉は、ほんま花宮はつれないのう、と思いながらわずかに赤みが差した花宮の耳を見て、にんまりとした口元が弧を描いた。

花宮は寂しいと思うのも、嫉妬するのも、疲れると言った。だから別れると。別れを告げられ、その訳を問う度に花宮はそう言う。それが今吉にとっては嬉しくて仕方がなかった。愉快とすら言っていい。あの花宮が、告白した時も、一緒に住もうと言った時も「はぁ、わかりました」の一言で済ませた花宮が、寂しい、嫉妬という気持ちを抱いたのだ。これを嬉しく思わず何を嬉しく思えと言うのか。疲れるから、別れるまで飛躍する花宮を呆れはするけれど、嫌いと思うなどありえない。こんなにもかわいいのに。

『別れる』と花宮が言い出す度、急いで花宮のもとへ帰り、こうして抱きしめて、好きだと言ってやろう。そうすれば、いつの間にやらそんな別れ話など消えてなくなってしまうのだから。

抱きしめている花宮をさらに強く自身のもとへ引き寄せ、腰にやった手に力を込めて、花宮の首筋に頬を寄せた。さらさらと耳に触れ、流れていく艶のある髪すら愛おしい。くそ、誰が何と言おうと花宮は可愛い。

「あー、ほんま花宮はかわええなー」

「なんですかいきなり」

「事実やん。花宮はかわええ」

「そうですか」

「ほんでもって、むっちゃ好きや。天邪鬼で、時々阿呆で、ぶっ飛んどる花宮がかわいくてしゃーない」

「悪趣味ですよね本当」

「悪趣味上等。花宮、好きやで」

「…知ってます」

「さよか」

そこから会話は途切れた。いつの間にか花宮は手にしていた本をソファに置いて、その手は、今吉の手の上に乗せられていた。壁掛け時計と、本のページをめくる音に代わり、エアコンの音が部屋の中を占めている。あんなにも冷え切っていた室内は、だんだんと暖かさを増していっている。

「花宮、寒ないか?」

「平気です」

「わし、どこか?」

「…このままでいいです」

「さよか」


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