長編

□第24-0.5話
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 自分でも思ったより、緊張していたのかもしれない。
 ふと目覚めると辺りはまだ薄暗く、目覚ましを確認すれば、セットした時間よりも大分早い。
 そりゃ、緊張もするよねぇ。今日から地区予選が始まるんだもん。
 とは言え、この時間は早過ぎる。新聞配達も、牛乳配達も来ないよ、こんな時間……。
 起きるには早過ぎる時間だと、暫くベッドの中でうだうだとしてみるが、そんな事したって時計の針が一気に進む訳じゃない。それどころか、自分の目蓋が徐々に下がってきている事に気付いた。
 やばい!やばいやばい。今二度寝したら、確実に、本来起きなきゃいけない時間には起きられない!
 必死になって目蓋を引っ張り上げるものの、中途半端に覚醒した脳は更なる睡眠を求め、肉体に布団との友好条約締結を迫る。


 ……仕方ない!


 少し悩んで、調印直前に締結式をぶち壊す勢いで、がばりと起き上がった。
 フローリングの床にそっと足を下ろすと、ひんやりした感触が伝わってきて、布団の中で暖められていた足には少々肌寒い。
 ぶるりと肩を一つ震わせて、わたしはクローゼットを開けた。取り出した着替えを小脇に抱え、そうっと部屋を出る。足音を忍ばせ階段を降り、そのままバスルームへ直行した。


 脱衣所でパジャマを脱いで。
 ふと上げた視界に、鏡が入る。
 そこに映っているのは、紛れもない『わたし』。
 最初の頃は、ひどい違和感に苛まれたっけ。勿論、慣れたとは言え、今も時々思いも掛けない時に違和感を感じる事がある。
 いや、それを感じたくないから、わたしは無意識に鏡を避けるようになった。
 成長期を過ぎた身体から、まだ成長途中の身体へ。
 それは確かに『わたし』なんだけど、こうして鏡を通して客観的に見てしまうと、どうしても『他人の身体』に感じてしまう。
 鏡の中の自分を見ながら、考える。


 例えば。もし。
 この身体に消えない傷跡が付いたとしたら。
 それは、本来のわたしの肉体にも影響あるのだろうか。それとも、この肉体にのみに留まるのか。


 手を伸ばし、左右対称のその表面に触れる。
 輪郭をなぞる指先には、当然ながら熱は伝わってこなかった。
 目を閉じて、自分の本来の身体のラインを思い出す。闇の向こうに浮かぶそれは思ったよりもあやふやで、記憶の不確かさを如実に表していた。
 正確に思い出せなくなっている事が怖くなり、急いでバスルームに入り、シャワーコックを捻る。勢いよく出てきた水を両手を差し出し受けながら、ちょうど良い暖かさになったところで、身体ごとシャワーヘッドの下に入り込んだ。
 お湯が当たった所から、徐々に細胞が目覚めていく感じがする。身体の奥に燻っていた眠気が、お湯と共に流れていく感じ。
 そのうち、裸でいるには少し寒かったバスルームの中も湯気で充満し始める。
 わたしは上を向いて、顔でシャワーを受け、先程までの暗い考えごと流し去ろうとした。朝からシャワーを浴びるという、わたしにとってはかなり贅沢な行為を満喫する事に、無理矢理意識を向ける。しかし、そういう時に限って、意識の切り替えは上手く行かないもので。









 ふと考える時がある。
 わたしは何時か元の世界に還る時が来るのだろうか、と。
 何が原因でこの世界に来たのか分からないけれど、だからこそ、突然に元の世界に戻る事が有り得ないとは言い切れない。
 それとも、今の『わたし』は階段から落ちた『わたし』が見ている夢で、本当の『わたし』はベッドの上で眠っているだけなのかもしれない。
 もしかしたら、今この瞬間にだって、目を開ければ、それまでと何も変わらない、詰まらない日常に戻る事が可能なのかも。
 ううん。『詰まらない日常』なんかじゃない。あっちの……本来の世界には、わたしが生きてきた年月全てを掛けて築き上げた人間関係が、丸ごと残っている。それを『詰まらない』というのは、わたしがその程度の生き方しかしていなかったからだ。それに気付いた今は――今なら、もっと充実した、意義の在る生活が送れる気がする。
 すぐ其処に在るものの有り難さは、無くしてみないと分からないもの。その言葉を、こんな風に実感する事になるなんて。
 くすり、と自嘲した途端、別の考えが頭を過る。


 でも。


 もし、戻れなかったら?


 一生をこの世界で――醒めない夢の中で、過ごさなければならないとしたら――。


 漫画の中だと思っているこの世界で、このまま学校を卒業して、就職して、誰かを――誰かを好きになって、結婚して、子供を産んで?


 出来るの、そんな事?
 わたしに、出来るのだろうか。


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