灰紫の語り部
□いじわる
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「ねぇ、ネズミ」
「何だ?」
ぼくの呼びかけに、本から目を離さないまま答えるネズミ。
少し寂しいけれど、いつものことだと諦めて話を続ける。
「ネズミさ、前にぼくの声をいい声だって言ってくれたよね」
「そんなこと言ったか?」
無造作な返事。
なんだか悔しい。
「い、言ったよ!ぼくがハムレットたちに朗読してるときに!」
「覚えてないな」
「そ、そんな…」
嬉しかったのに。
注意して聞いていなかったら聞き流してしまいそうなほどさりげなく誉められて、踊り出したくなるほど嬉しかったのに。
舞い上がっていたぼくが、ばかみたいじゃないか。
「で?おれがそう言ったとして、何なわけ?」
さして興味もなさそうに、ネズミが尋ねる。
依然として、視線は本に落とされたままだ。
悔しさと恥ずかしさがごちゃ混ぜになって、瞼が熱くなる。
「べ、別に何でもない!」
顔を背けた瞬間、熱い雫がこぼれた。
本を読んでいるネズミには、気づかれていないはずだ。
小さく息をつくネズミ。
パタンと本を閉じ、手近な本の山に置く。
ぼくは背を向けていたが、音で大体の動きが分かった。
「おい、紫苑」
涙が治まっていないから、ぼくは振り返らなかった。
泣いていることに気づかれてしまいそうなので、拭うに拭えない。
「こら、紫苑」
頭に何かが当たった。
ネズミが、本を投げつけてきたのだ。
ぼくが怪我をしないように、薄く柔らかい本を。
「紫苑、こっち向け」
「うるさい。もう、ほっといてくれ」
ぼくは膝を抱えて顔をうずめた。
これで泣き顔を見られなくて済む。
と、思ったのも束の間、とても強い力で髪を引っ張られた。
「い、痛い痛い!何するんだよ!?」
力ずくで顔を上げさせられ、強引にネズミの方を向かされた。
灰色の明るい瞳が、ぼくを見据える。
あぁ、変わらない。
初めて逢ったあの嵐の日から、この灰色の光は何一つ変わらない。
ぼくは、この不思議な色に惹かれ、ネズミを助け、そして今ここでこんなにもネズミに焦がれている。
ぼくはそれを転落だなんて思わない。
ネズミの傍らにいられるなら、ぼくは誰よりも幸福だと、胸を張って言える。
「紫苑」
はっきりと、しかし優しくネズミが呼ぶ。
ぼくは息をするのを忘れていたことに気がついた。
顔を背ける。
ほっといてくれなどと言った手前、素直に返事する気にはなれない。