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□紅い海のほとり
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「弟はいつだって正しいんです」
しばらくして、カラコは独り言のようにつぶやいた。
相変わらず2人は歩き続けていた。
クロは大きくため息をつく。
「同意してほしいのか? そりゃ無理だ」
「どうしてですか? クロさんまで」
「今回のはどっちが正しいとかないからだ」
カラコはそれでも不満気だった。
「……人魚姫さんはあの後、どうされてましたか」
「お前に謝っていたぞ。姉弟だからといって、カラコは悪くなかったのにってな」
そこでカラコは海の方へ振り返った。眉をきゅっと寄せ、何か言いたそうにしている。
「戻っても人魚姫はいないからな」
クロがさりげなく諭すと、カラコは首を傾げた。
「なぜですか?」
「死んだ」
「えっ?」
カラコは突如として歩みを止めた。2、3歩進んでから、クロも立ち止まる。
2人の目がかち合った。ビー玉のようなカラコの瞳の奥に、何かが渦巻いていた。
クロはその変化に驚きながらも、冷静に口を開いた。
「王子が好きで、諦められないから、死んだんだ」
「そんな……なぜ」
やれやれ、とクロは首を振った。
「人魚と人間は結ばれることがないから、行きつく先はそれしかない。もしくはあまんじゃくと、うりこのように諦めるか」
「そんなの誰が決めたんですか」
カラコを促して、クロは再び歩きだした。
「それはお前たちのほうが良く知っているんじゃないか」
横目でカラコを見遣ったが、何もわかっていないようだった。
「でも、せっかく弟が人魚姫さんを助けたのに」
「価値観の違いだな」
カラコは、むう、と口を尖らせていた。
「お前の弟にとっては、命が一番だった。でも人魚姫はそうじゃなかった。それだけの話だ。だからどっちも正しいんだろうし、どっちも間違っているんだろう。わかるな?」
返ってきたのは、否定だった。頑固な奴だ。クロは思った。
「でも、弟はいつだって正しかったんですし、それを否定したのは人魚姫さんが初めてです」
「弟がいつだって正しいなんて、そりゃウソだ。立場が変われば善悪も変わる。そうだろ?」
「わかりません」
頑固なカラコに、クロはほんの少し腹がたった。
「わかろうとしていないんだろ」
「違います。私は『からっぽ』なので、わからないんです」
「なんだよ、それ。唯一絶対の正しい者なんていないってだけだろ」
「わかりません。『からっぽ』の私には、わかりません」
わからない、の一点張りだ。クロは遂に怒ってしまった。
「勝手にしろよ。お前はいつもいつも『からっぽ』だからで済ませているだけじゃねえか。『からっぽ』を理由にして、考えることを放棄してんだろ」
「そ、そんなことは――」
「じゃあなんなんだよ。少しは自分で考えろ。お前はお前なりに苦労してんのかもしれないが、俺からしたら『自分』というものがあるだけで羨ましい。俺は何物にもなれないんだから」
「クロさん――」
「お前はいい加減、自分がどれだけ恵まれてんのか――ぶふっ」
思いきり壁に鼻をぶつけたクロは、その場にうずくまった。
「大丈夫ですか?」
「う、うるさい」
鼻を押さえながら、クロは壁を見あげた。真っ黒なその壁は、クロたちの目の前に広がっていた。どうやら、円形に広がっているらしい。
「なんでしょう」
カラコが壁にぺたりと手をつく。まじまじと壁を観察していたせいで、クロの顔がこわばっていくのに、カラコは気づかなかった。
「おい、離れろ」
クロの声は、自分で思っていたよりも冷え切っていた。それを証明するかのようにカラコの体がびくりとはねる。
「この中には村があるんだ。でも、入り口はない」
つとめて冷静を装っていた。
「ここは避けていくぞ。中は地獄のようだし――」
「ですが、弟がもしこの中にいるとしたらどうしましょう」
クロは黙った。
ゆっくり空を見あげると、重そうな雲がすぐ目の前まで迫っているように感じられた。
それからクロはカラコの顔を見つめた。
「正直に言うが、もし弟がこの中に入っていたら、まず生きていない」
カラコは動揺をみせなかった。
「俺が行って確かめてきてやるから、お前はさっきの海岸まで戻って待っていろ。雨が降ってきたらどこか濡れない場所に移動しろよ」
クロの言葉に、カラコは何も答えなかった。
沈黙は肯定だ。クロはそう考えて、カラコの視界に入らない場所まで歩いて行った。そうしてから黒い鳥に姿を変え、壁を乗り越えた。
一方でカラコはクロの言うことを聞かず、その場にうずくまった。
思案顔で、ずっとそこに座っていた。
やがて雨が降ってきても、カラコは決して動かなかった。
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