box

□紅い海のほとり
1ページ/8ページ

▽ページ下部へ
「弟はいつだって正しいんです」

しばらくして、カラコは独り言のようにつぶやいた。

相変わらず2人は歩き続けていた。

クロは大きくため息をつく。

「同意してほしいのか? そりゃ無理だ」

「どうしてですか? クロさんまで」

「今回のはどっちが正しいとかないからだ」

カラコはそれでも不満気だった。

「……人魚姫さんはあの後、どうされてましたか」

「お前に謝っていたぞ。姉弟だからといって、カラコは悪くなかったのにってな」

そこでカラコは海の方へ振り返った。眉をきゅっと寄せ、何か言いたそうにしている。

「戻っても人魚姫はいないからな」

クロがさりげなく諭すと、カラコは首を傾げた。

「なぜですか?」

「死んだ」

「えっ?」

カラコは突如として歩みを止めた。2、3歩進んでから、クロも立ち止まる。

2人の目がかち合った。ビー玉のようなカラコの瞳の奥に、何かが渦巻いていた。

クロはその変化に驚きながらも、冷静に口を開いた。

「王子が好きで、諦められないから、死んだんだ」

「そんな……なぜ」

やれやれ、とクロは首を振った。

「人魚と人間は結ばれることがないから、行きつく先はそれしかない。もしくはあまんじゃくと、うりこのように諦めるか」

「そんなの誰が決めたんですか」

カラコを促して、クロは再び歩きだした。

「それはお前たちのほうが良く知っているんじゃないか」

横目でカラコを見遣ったが、何もわかっていないようだった。

「でも、せっかく弟が人魚姫さんを助けたのに」

「価値観の違いだな」

カラコは、むう、と口を尖らせていた。

「お前の弟にとっては、命が一番だった。でも人魚姫はそうじゃなかった。それだけの話だ。だからどっちも正しいんだろうし、どっちも間違っているんだろう。わかるな?」

返ってきたのは、否定だった。頑固な奴だ。クロは思った。

「でも、弟はいつだって正しかったんですし、それを否定したのは人魚姫さんが初めてです」

「弟がいつだって正しいなんて、そりゃウソだ。立場が変われば善悪も変わる。そうだろ?」

「わかりません」

頑固なカラコに、クロはほんの少し腹がたった。

「わかろうとしていないんだろ」

「違います。私は『からっぽ』なので、わからないんです」

「なんだよ、それ。唯一絶対の正しい者なんていないってだけだろ」

「わかりません。『からっぽ』の私には、わかりません」

わからない、の一点張りだ。クロは遂に怒ってしまった。

「勝手にしろよ。お前はいつもいつも『からっぽ』だからで済ませているだけじゃねえか。『からっぽ』を理由にして、考えることを放棄してんだろ」

「そ、そんなことは――」

「じゃあなんなんだよ。少しは自分で考えろ。お前はお前なりに苦労してんのかもしれないが、俺からしたら『自分』というものがあるだけで羨ましい。俺は何物にもなれないんだから」

「クロさん――」

「お前はいい加減、自分がどれだけ恵まれてんのか――ぶふっ」

思いきり壁に鼻をぶつけたクロは、その場にうずくまった。

「大丈夫ですか?」

「う、うるさい」

鼻を押さえながら、クロは壁を見あげた。真っ黒なその壁は、クロたちの目の前に広がっていた。どうやら、円形に広がっているらしい。

「なんでしょう」

カラコが壁にぺたりと手をつく。まじまじと壁を観察していたせいで、クロの顔がこわばっていくのに、カラコは気づかなかった。

「おい、離れろ」

クロの声は、自分で思っていたよりも冷え切っていた。それを証明するかのようにカラコの体がびくりとはねる。

「この中には村があるんだ。でも、入り口はない」

つとめて冷静を装っていた。

「ここは避けていくぞ。中は地獄のようだし――」

「ですが、弟がもしこの中にいるとしたらどうしましょう」

クロは黙った。

ゆっくり空を見あげると、重そうな雲がすぐ目の前まで迫っているように感じられた。

それからクロはカラコの顔を見つめた。

「正直に言うが、もし弟がこの中に入っていたら、まず生きていない」

カラコは動揺をみせなかった。

「俺が行って確かめてきてやるから、お前はさっきの海岸まで戻って待っていろ。雨が降ってきたらどこか濡れない場所に移動しろよ」

クロの言葉に、カラコは何も答えなかった。

沈黙は肯定だ。クロはそう考えて、カラコの視界に入らない場所まで歩いて行った。そうしてから黒い鳥に姿を変え、壁を乗り越えた。

一方でカラコはクロの言うことを聞かず、その場にうずくまった。

思案顔で、ずっとそこに座っていた。

やがて雨が降ってきても、カラコは決して動かなかった。

.
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ