浅き夢見し恋せよ乙女

□頬を伝った記憶
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行き交う早足な人の波。
耳に入りこんでくる雑音。
ビルの間から僅かに見える空は今にも雨が振り出しそうな色をしてた。



『私、ここで何してるんだろう…』





人混みの中、行き先もなく一人ふらふらと歩いていると、
急に誰かに腕を掴まれた。

振り返り私の腕を掴んでいるその人物を見上げると、知らない顔だった。

高校のクラスメイトだとか、小学校が一緒だった友達だとか
そんなものではない。
まったく見覚えのない、右目に眼帯をした男。

けれどどうしてか、誰かに助けを求めるなどそんな考えは浮かばず、私はただ目の前のその男を見つめていた。
頭は、やけに冷静だ。




「美雨…?」



男は震えるような、まるで長年会っていなかった恋人を呼ぶような声で私の名を紡いだ。



どうして私の名前を知っているのだろう。



そんな疑問よりも、



この人は、どうしてそんなに悲しげな目をしているのだろう。



という妙な疑問が頭を埋め尽くす。
そして何故か、どうしようもなく、胸が痛い。苦しい。
私の腕を掴むその手を、振り払うことが出来ない。




「アンタ美雨だろ…?そうなんだろ…!?」




震える声、揺らいだ左目。
一瞬、私の頭の中を何かがよぎった。





『ぜってえに見つけてやるから、だからーーー』




「…あ…」



不意に頭の中に響いたとある声は、優しげで、何処か切なげで。



私は…私はこの人を…








「…政宗」



無意識に口から発したその名の持ち主を、私は知らない。
けれど、私ははっきりと見た。

目の前のその人の左目が、大きく揺れたことに。
留めていた何かを吐き出すように口元が歪んだことに。


途端に彼は私の腕を強くひいて、自分の腕の中にすっぽりと私をおさめると、強く強く抱きしめた。
そのため私は彼が今どんな顔をしているのか全くわからないでいる。
けれど、頭上から降ってくる声は、泣いていた。




「ずっと探してたっ…探し回ったっ…けど見つかんなくてよっ…心配させんじゃねえ馬鹿がっ…!」




言っていることのほとんどが私には理解出来なかった。

それなのに、

伝わってくる温もりが、
鼓膜を震わせる低い声が、
私を抱きしめる腕の優しさが、直に伝わる彼の鼓動が、
何故か、どうしようもなく懐かしくて、愛しくて、
無意識のうちに私の頬を涙がつたった。

彼の背中に腕を回し、私も強く抱きしめ返す。
服を握るその手は震えていた。



耳の奥、私を呼ぶ誰かの声。
目の前のこの人と、同じ声。




私はこの人を、知っている。
誰よりも、知っていたんだ。




「まさ、むね…」




私はまた"憶えのない"その名を口から紡ぐ。

何故か呼吸がうまく出来ず、言葉は途切れ途切れで、
同時に胸の奥が締め付けられるように苦しくて、



それでも、どうしてだろう。



頬を伝う涙は、
やけに温かいんだ。






頬を伝った記憶
(例え記憶を失っていても)
(全身は全てを憶えてる)



END.

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