浅き夢見し恋せよ乙女
□桜の季節
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見上げた桜の木は淡い桃色で彩られている。
また、この季節がやってきた。
「やっぱり春はいいね。暖かくて、落ち着く…」
降り注ぐ柔らかな陽射しに目を細め、軽く伸びをする。
森の奥、少し開けた草地に佇む一本の桜の木。
私は生まれてからずっと、この桜と共に過ごしている。
言わば、桜の木の精。
「ここはいつだって、誰もいないね」
こんなに綺麗なのに…
呟いた言葉に返してくれる声はなく、ただ桜は風に吹かれ花びらを宙に散らすだけ。
森の奥まで踏み入る人は誰一人いない。だから毎年、満開の桜の木は誰にも愛でられることなく静かに閉じていく。
その様子をいつも私はただ黙って見ていた。
「…さびしいね」
誰にも気づかれぬまま消えていってしまうなんて。
木の乾いた肌を優しく撫でると、ふと記憶がふわりと頭に蘇る。
そういえば、一人だけいたな…この桜を見つけてくれた人。
あまりに退屈だったから、あの日は姿を現して木の下から宙に散っていく花びらを静かに眺めてた。
まさか人が現れるなんて思ってもみなかった。
私を見つけたあの人は、「桜の木の精かと思った」なんて言って笑ってみせた。
冗談のつもりだったんだろうけど事実を述べられた私はちょっと動揺して、でも、同じことを思った。
「貴方のほうが、桜によく似てた…」
穏やかで、儚くて、
少し寂しそうだった。
あれからもう何百年も経つ。
彼を傷つけた戦というものはなくなった。
だけど、貴方は現れない。
また会おうねって言ったのは貴方じゃないか。
「何百年も待ち続けてる私も、よっぽど馬鹿よね…」
彼の身についた緋色を今でも鮮明に思い出せる。
きっと貴方はあのあと…
そのあとは考えるのをやめ、また空を見上げた。
そしてふと首を傾げる。
あの空はまるで…
しかし、続きかけた思考は次の一瞬でたちまち停止された。
「っ…!?」
突然吹いた強い風に、穏やかに散っていた花びらが勢いを増し身を包む。
あまりにいきなりだったもので驚いてぎゅっと目を閉じた。
そしておそるおそる開いた瞳。頬を撫でる強く暖かな風、取り巻く桃色の視界に一瞬、あの日と同じ鮮やかな山吹色を見た。
「え…?」
そして風がやむと、また桜は風に吹かれ何事もなかったかのように穏やかに散っていく。
しかし、目の前の山吹色は一向に姿を消しそうにはなかった。
「貴方は…」
「…びっくりした〜!綺麗すぎて桜の木の精かと思っちゃった」
彼は昔となんら変わりない笑顔で、なんら変わりない口調で飄々と言葉を紡ぎ、私に歩み寄ってきた。
身体が動かない。
うまく、呼吸が出来ない。
「…なんて、あの日も同じこと言ったね」
「っ…!!」
暖かく柔らかな陽射しが、草地に人影を2つ作った。
しかしそれはやがて静かに重なった。
淡い桃色が溶けていく青い空は、あの日の空と何処か似ていた気がする。
END.