歪んだ愛に溺れて

□ベールを被せて
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今回は、私より先に静雄が着いていた。
喫茶店の前に立っていた静雄が、以前と同じように笑いかけてくれる。

「よお」

「ごめん、急に呼び出して」

「いや、別にいいんだ」

嬉しかった、と静雄は鳶色の瞳を細めた。

「んじゃ入るか」

「あ、待って」

ドアの取手に手を掛けた静雄のバーテン服の袖を引いた。
自分でも無意識の行動で、慌てて離れる。

「ごめん……外、歩きたい」

「……解った」

静かな店内では妙に落ち着かない気がして、足を動かしていたくなった。踵の低いパンプスを履いて来たし、こけない限り大丈夫だろう。

先に歩きだした静雄に追い付き、背の高い彼を見上げる。すると視線を感じたのか、静雄も私を見下ろしてきた。

「で、今日はどうしたんだ?」

「……言いたいことがある」

とは言ったものの、なかなか言葉にできなかった。静雄はそんな私を察して、黙って待ってくれている。
ちょうど中華料理店の前を通りすぎた時、通気孔から漂ってきた料理の匂いに、つわり特有の気持ち悪さがいっきに込み上げてきた。

「おい、大丈夫か?」

歩みが遅くなった私に、静雄が問い掛ける。
まるで急かされているようで、鞄を持つ手に力が入った。
ろくに胃に食べ物を入れてないというのに吐き気は治まらず、自分の体が自分のものじゃなくなったようで情けない。

「ごめん、大丈夫……」

「体調悪ィのか?」

背中を優しく擦られ、静雄の大きな手が額に当たる。

「ちょっと熱っぽいな。風邪か?」

「……違う」

言うなら今しかないと覚悟を決め、ゆっくりと顔を上げた。
静雄としっかりと目を合わせ、乾いた唇を動かした。

「静雄……私……妊娠してるんだ……」

「……は?」

状況が理解できていないのか、静雄は固まってしまった。そりゃあ誰だっていきなり言われたら吃驚するだろう。

「今日は、それを言いに来た」

「……それ、本当か?」

「こんな嘘、わざわざつかないよ」

静雄はそっと腕を下ろして深く息を吐いた。

「つまりアレか。俺に言いに来たっつーことは、その、子供は俺の……」

「まだ、そうと決まったわけじゃない」

「……ああ、そういうことか」

静雄は納得したようにそう呟き、サングラスを外した。
やけに冷静な静雄は、視線を地面に落として言葉を続けた。

「俺か……アイツの子供か、解らないってことなんだな?」

「……よく解ったね」

あの臨也でさえ最初は有頂天になっていたのに、まさか静雄が状況から察知するとは思っていなかった。
静雄は気まずそうに脱色された後頭部の髪を乱して、はにかむように乾いた笑みを浮かべた。

「俺が言うのもおかしいかもしれねえけど……なんつーか……俺の子だったらいいなって、思っちまうわ」

「……」

「まあアイツもそう思ってるだろうけどよ……やっぱ俺はお前が好きだ。だから……」





「どんな結果であれ、俺は産んでほしい」





「……静雄……」

面と向かってはっきりと産んでほしいと言われたのは初めてで、緊張が解れていくのを感じた。胸で渦巻いていた不安がすっと消えていくようで、精神的な問題だったのか、先程までの気持ち悪さも嘘のように引いていく。
堕ろせと言われるのではないかと覚悟していた自分が馬鹿みたいだ。

「静雄は優しすぎるんだよ」

「何言ってんだ。名前の子だったら嬉しいに決まってんだろ」

――あ、そこは臨也と一緒なのか……。

力無い笑みが溢れて、同時にまた泣きそうになった。
こんな往来で泣くわけにはいかず、感情を抑えこむ。

「私……母親になれると思う?」

問い掛けると静雄は少し目を見開いて、そして頭を撫でてきた。

「たりめえだ、お前ならできる」

確信しているような静雄の答えに、また笑ってしまう。
私はみんなが思っているほど完璧な人間ではない。寧ろ欠陥だらけだ。
それでも、今ようやく、産みたいと素直に思えた。


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