夜に綴る物語
□いざ結婚ってなると準備が面倒くさい
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華道に茶道に着付け。おまけにお琴に三味線にテーブルマナーまで。
婚儀が決まってから、大奥から派遣されてきた女性に、毎日作法を叩き込まれている。
そろそろ、頭が爆発すると思うんだ。
「お湯を入れたら……茶筅通しをして……」
「土方さーん、名前がうなされてやすぜー」
「おい名字ー。戻ってこーい」
ペチペチと頬を叩かれて、ゆっくりと目を開ける。土方さんが、心配そうに見下ろしていた。
「おい、大丈夫か?」
「はい……」
土方さんに引っ張ってもらいながら、のそりと体を起こした。
両頬を叩いて、無理矢理頭を働かせる。
「すいません……」
「いや、いいけどよ」
何もせずにいたら、悪夢のような嫁入り修行が甦ってくる。
ここは、気を紛らわせなければ。
「ちょっと、パトロール行ってきます」
「おいおい、無理すんなよ」
「じっとしているより、気が紛れるので」
立ち上がって背伸びをし、首を回す。
出発しようとすると、総悟が後ろからついてきた。
「俺も行きやしょうか?」
どこか心配そうな総悟の頭を、ワシャワシャと撫でる。
「ありがとう。でも、今日は一人でいいや」
「……分かりやした」
総悟の視線を感じながら、玄関の引き戸を閉めた。
見上げれば、澄んだ青空に入道雲がいくつも浮かんでいる。
屯所の外に出れば、あちこちで子供の姿を見かけた。商売人の声に溢れる道を、ゆっくりと進む。途中で顔見知りの人に何度も声をかけられて、商品の試食やら世間話をした。子供達に誘われて鬼ごっこに参加したり、最近産まれたという赤ちゃんも抱っこさせてもらった。
本当に温かくて、笑顔に満ちている光景に、改めてこの街の素晴らしさを感じる。
私は、ちゃんとこの街を、この国を、護っていけるのだろうか。
一人になると、無意識にそんなことを考えてしまう。
将軍は、私が正室に相応しいと言ってくださった。でも、それは本当なのだろうか。
ふと、松陽先生の顔が、頭に浮かんだ。
「そんな状態で、本当に見廻りなんてできてんのか?名前」
いきなり聞こえてきた声に、足が止まった。
慌てて周りを見渡せば、裏路地に続く小道に、笠を被った人の姿が目に入った。
「し、晋す――」
思わず叫びそうになり、自分の口を手で押さえる。
そこにいたのは、晋助だった。
誰にも気付かれていないかと確認し、晋助の手を引いて人通りの少ない裏路地に入る。
「こんな所で何してんの!?とうとう捕まる気になったわけ!?」
「んなわけねェだろうが」
真撰組の屯所の近くにいるというのに、晋助はのんびりとした調子でいる。
晋助は笠を外し、側にあった店の壁に凭れた。
「お前、あの小僧と別れたんだってな。しかも、将軍家に輿入れときた」
「なんで知ってんの……」
「俺を誰だと思ってる。幕府の情報なんざ、こっちに筒抜けだ」
「……マジすか」
とんでもないことを聞いてしまった。
それが顔に出ていたようで、晋助に鼻で笑われた。
少しムカついたので、余裕の表情を作り、凛と晋助と向かい合う。
「で、何しに来たの?答えによっては、現行犯逮捕だからね」
手錠を指で回すと、また笑われた。何をしようが、晋助には敵わないようだ。
「勘弁してくれ。今日は、お前の兄貴分として会いに来ただけだ」
「え?」
予想もしていなかった答えに、間抜けな声が出た。
手錠を持つ手を降ろし、どういう意味?と尋ね返す。
「向こうの副団長に聞いたんだが、アイツ、お前にフラれたことがよっぽどショックだったらしい。部屋にこもったまま、飯も食わずにいるんだとよ」
晋助は言葉を切って、右手を懐に入れた。
「嘘……」
神威のそんな姿、想像できない。
晋助は、呆れたように溜息をついた。
「こんなことで嘘ついてどうすんだ」
「だって、神威にはあの女の子が……」
神威の部下だというあの少女を思い出し、語尾が萎んでいく。視線を落とせば、頭上からさっきよりも鋭い晋助の声が降ってきた。
「お前、本気でそう思ってんのか?」
晋助が、懐から右手を出し、そのまま私の前に手を差し出した。
そっと顔を上げると、晋助の掌には、神威に託したはずの結い紐が乗せられていた。
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