宵闇に隠れし君の心
□成
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昼間は少しだけと言っていたくせに、白澤は早々に酔っ払ってしまった。止めようとしても、駄々をこねる子供のように飲み続ける。
「いい加減にしなさい」
仕方がないので、酒の入っているグラスを取り上げた。
気付けば日付が変わろうとしている。明日も仕事があるのに、貴重な睡眠時間が削られてしまう。
「名前ちゃーん、もうちょっと飲もうよー」
いくら振り払ってもくっついてくる白澤は、顔の筋肉が緩みっぱなしだ。
完全にできあがっている。
「はいはい、そろそろ帰るわよ」
「えーやだー!まだ名前ちゃんと飲みたいんだよお……」
横から腕を回され、白澤の頭が肩に乗る。何が楽しいのか、白澤は笑い声を漏らした。
「へへ……うへへへ……名前ちゃんだ」
「気持ち悪い……」
どうにか片腕を引き抜き白澤の額を数回叩くが、呻いたり身を捩ったりはするものの離れようとはしない。それどころか、抗えば抗うほど白澤の腕の力が強くなる。
「白澤、しつこい」
「名前ちゃん……羽衣伝説の話はもうしたっけ?」
「羽衣伝説?」
白澤の元に泊まりに行くと、必ず寝る前には彼から寝物語を聞かされる。白澤が今まで見聞きしたものだったり、和漢薬の豆知識だったり、中国の神話や伝説だったり。おかげで無駄な知識がかなり増えた。
「いや、それはまだ聞いてない」
「そっか……」
白澤はもぞもぞと姿勢を変え、今度は私の膝を枕にして寝転がった。
「中国にも、天女の羽衣の話があるんだ。一人の男が天女が水浴びしてるうちにこっそり羽衣を隠して妻にしちゃうってやつ。結局、3年後に羽衣を返して、天女は鶴になって飛び去ってしまうんだ。他にも、子供に衣の場所を探らせて帰っちゃうって話もある」
梅酒を飲みながら、白澤の話に耳を傾ける。
天女の羽衣。天女である証。
母のもとに置いてきたそれを、また纏うことになるのか。
「名前ちゃん?」
「……ん?」
気づかぬ間に、白澤の話は終わっていたようだ。
白澤を見下ろせば、彼の熱っぽい目と視線が合った。おもむろに伸ばされた白澤の指が、頬に触れる。
「……僕なら、絶対に羽衣は返さない……。一生隠し続ける……」
「白澤?」
「僕なら、いっそのこと、燃やしてしまうかな……」
「は?……って、ちょっと!」
腕が力なく落ち、白澤は欠伸をすると目を閉じてしまった。
「白澤!起きろ!寝るな!」
声をあげながら、頬を叩く。それでも、白澤は言葉にならない呟きを漏らして身を捩るだけだ。
「おじさん!おあいそお願い!」
カウンターにいた店主に頼んで急いで支払いを済ませ、お店の人にも手伝ってもらいながら白澤を支えて立ち上がらせた。まだ意識がはっきりとはしていないが、なんとか靴を履かせ、肩を貸しながら店を出る。
この様子じゃ、桃源郷まで帰るのは無理だろう。
煌びやかな灯りが連なる通りを見渡し、恰好の場所を発見した。
花割烹狐御前。
あそこならいいだろう。
「ほら、しっかり歩きなさい」
「うーん……」
ふらふらと心許ない足取りの白澤を連れて、妲己の店に向かう。
店に入ると、ちょうど妲己が客を送り出しているところに遭遇した。
「おやまあ、名前様じゃないの。ちょいとお待ちね」
妲己はそう言って客を見送り、急ぎ足で戻ってきた。
「あらあら、どうしたの?」
「白澤が酔い潰れちゃって。帰れそうにないから一晩置いてやって」
白澤を一段上になっている床に座らせる。
「あー……!やだぁ!名前ちゃぁん!」
「こら引っ張るな!」
袖にしがみついてく白澤の手を払い、疲れた肩を回す。
「いいの?今は名前様ご指名みたいだけど」
顎に手をあてて、妲己は困ったようにもがいている白澤を見た。
まるで、スーパーで駄々をこねている子供のようだ。
「私は明日も仕事なの。こいつに構ってられないから。女与えれば大人しくなるでしょ」
「まあ商売だからいいけど、一晩中別の女のことを聞かされるのはいくら遊女といってもきついものよ?」
「え?」
驚いて妲己を見ると、彼女は妖艶な笑みを浮かべて上にあがった。
「本当、素直じゃないんだから。白澤様も、あんたも」
すべてを見透かしているような妲己の視線に、居心地の悪さを感じた。
「それじゃあ、後はお願い」
「あ……ッ!名前ちゃん……!」
白澤の声を無視して、店を出た。
後ろ手に戸を閉め、深呼吸をする。
「……言えなかった……」
溜息をつき、足を踏み出す。
素直になんてなれない。彼に恋をしてはいけなかった。所詮私は、白澤にとって都合のいい女でしかないだろう。金はかからないし、無駄に気にかける必要もない。
だからこそ、私は白澤の気を煩わせるようなことはしたくないのだ。
次こそは必ず、と心に決め、手を握りしめた。
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