アガパンサス

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漂う緊張感。手に滲む汗。
深呼吸をし、掛け声とともに拳を前に出した。

「よっしゃー!」

クラスメイトの雄叫びが教室に響き渡った。
負けた。負けてしまった。何故グーにしたのかと己の拳を見下ろし、数秒前の自分を恨む。

「じゃ、いってらっしゃい」

机と椅子を移動させる音の中、にこやかに勝ったクラスメイトに手を振られた。
新学期初の大掃除に、屋上の花壇の草むしり要員を各クラス1名ずつ出せという上からのお達しが来て、運悪く私が選ばれてしまった。この暑い気温の中、日光を遮るものがない屋上で草むしりなんて誰が言い出したのだろう。仕方なく、箒を持って嘲るように笑っているブン太のお尻を一発叩き、屋上へと向かった。
屋上へと続く階段は涼しかったのに、扉を開けた瞬間温い空気が体を撫でてきた。最悪なことに日焼け止めを塗っていない。

「めんどくさ……」

思わず口に出すと、小さな笑い声が聞こえてきた。

「顔にもそう書いてあるよ」

声がした方に顔を向けると、扉の横の壁際に見覚えのある男子が立っていた。手には軍手をしており、私とは違ってやる気満々に見える。
確か、男テニの人だ。

「あ……幸村君、だっけ?」

「うん。話すの初めてだね」

「そうだね」

はい、と黄色い滑り止めが付いた新品の軍手を手渡された。

「ありがと」

「どういたしまして。早く来すぎたかな?」

まだ私達しかいない屋上を見渡し、そうかもと答えた。成程、花は綺麗に咲いているが、その根元には雑草まで元気よく茂っている。

「そう言えば、優勝おめでとう」

空を眺めながら、幸村君が思い出したように言った。

「うん、ありがとう。男テニの方もおめでとう」

「ありがとう」

照れ臭そうに笑った幸村君は、男とは思えないほど綺麗だった。仁王やブン太からなんとなくは聞いていたが、こんなに儚げな人が神の子と言われるほどテニスが強いとは想像できない。
なかなか次の話題が見つけられず、無言を誤魔化すように軍手をはめた。

「名字さんは、次の部長になるの?」

急に振られた話題に、反応が遅れてしまった。

「え、いや、推薦はされてるけど、私はあんまり……」

「乗り気じゃないんだ?」

「だって、私外部だし。高校からいきなり入ってきた奴より、中学のときから一緒の子がするのがいいかなって」

「へえ……」

壁に背中をつけて、私も幸村君と同じように空を見上げた。大きな入道雲が、ゆっくりと移動していく。

「俺はそんなの気にしないでいいと思うけどな」

柔らかい声が、すっと心に入り込んでくる。初めて話した人となんでこんな話をしてるんだろうと思いながらも、不思議と嫌な感じはしない。

「そうかな」

「そうだよ」

幸村君は壁から背中を離すと、影から出て行った。

「先に始めよっか」

誘われるがまま、私も日向に出て花壇の前にしゃがんだ。
草を引き抜き、軽く地面に叩きつけて土を払う作業をする幸村君を真似て、私も一番近い草をつまむ。草を抜く感触は意外と気持ちよくて、ストレス解消に良さそうだ。

「あ!」

幸村君がいきなり声を出し、驚いて顔を上げた。その横顔は、さっきとは違ってカブトムシを見つけた小学生のように輝いている。

「アガパンサスが咲いてる!遅咲きかな」

幸村君が指さす方向に視線を移すと、周りの花より少し背丈が高い紫色の花が咲いていた。

「アガ、パンサス?」

「そう。見た目も上品だし名前もいいでしょ?」

「うん」

縦に並んで咲いている花は、存在感がありつつも上品だった。

「花言葉はね……そうだ、恋の訪れだ」

「詳しいんだね」

花言葉を知っている男子高校生なんて絶滅危惧種だと思う。
幸村君は少し恥ずかしそうにはにかんだ。

「好きなんだ、ガーデニングが」

神の子のかわいい一面を見てしまった。
得した気分になって頬を緩めていると、扉が開く音がした。ほぼ同時に、本格的な掃除の時間の開始を告げるチャイムが鳴った。

「暑いなー」

こめかみに汗が流れるのを感じながら呟いた直後、「名前だー!」という声と共に背中に衝撃が走り、体勢が崩れて膝小僧を思いっきり花壇の角にぶつけた。
幸村君との爽やかな出会いが、痛みの思い出に切り替わった瞬間だった。


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