Stab

□he who touches pitch will be defiled
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リビングから顔だけ出してみると、案の定、この町のヒーローが玄関の前で仁王立ちをしていた。ドアは無惨に破壊されてしまっている。

「なんだ!いるんじゃないか!」

私の姿を確認すると、彼は倒れているドアを避けて中に入ってきた。

「最近姿を見かけないとみんなが言うから、心配になって見に来たんだ。夜逃げでもしたのかと思ってたよ」

ハハハハハ、と笑う彼に苦笑を返す。
そうか、心配されていたのか、と少し安堵した。

「私は元気だから……だから、その……」

「引きこもっていては体に悪い!元気ならば外に出ようじゃないか!」

そう言うなり、いきなり腕を掴まれた。頭が追いつかないまま横抱きにされて、太陽の光が燦々と降り注ぐ外に出た。

「ちょっと!」

「しっかりと掴まるんだよ。初めてでは少し怖いかもしれないが、なに、落とすようなことはしないさ」

混乱した頭では、掴まるという簡単な動作さえ、やけに難しく感じる。どうしようどうしようと考えているうちに、地面から離れた。
慌ててしっかりと彼の首に腕を巻き付け、どんどん小さくなっていく自分の家を見下ろした。命綱もなく、パラシュートもなく、本当にこの身一つで空中に浮いていると考えただけで、体の芯が冷えるような心地がする。しかし、慣れてくると、ミニチュアのような街の眺めを楽しめるようになってきた。
ある程度高度を上げたところで、スプレンディドは上昇をやめ、ゆっくりと横に移動し始めた。

「どうだい?いい眺めだろう?」

「ええ、まあ……」

「少しは気分は晴れたかい?」

頷き返すと、それはよかったと彼は笑った。

「何があったかは知らないが、塞ぎこんでしまうのは良くない。視野が狭くなってしまうからね。嫌なことがあった時こそ、外に出るべきだ。あくまでこれは私の人生観だがね」

空と同じ色をした彼の髪が、頬に当たって擽ったい。彼の言葉は、染み込むように心に入ってきた。

「……ありがとう」

「礼を言う必要はない。私はただ、素敵なレディと空を散歩したかっただけさ」

そう言うと、彼は暫くの間口を閉ざしていた。
聞こえてくるのは風の音だけで、遥か彼方まで続く地平線を眺めていると、自分の世界がとても小さく感じる。

「貴方はいつもこんな景色を見ているのね。羨ましい」

「ご所望とあらば、いつでもこうして連れ出してあげよう。昼もいいが、夜の飛行も格別なんだ」

「ありがとう」

また暫く景色を堪能すると、そろそろ降りようかと彼が言った。上がってきた時よりもゆっくりと、私の家を目指して下降していく。
ふと、うちに向かって歩いてくる見覚えのある姿が見えた。

「フリッピー……」

紙袋を抱えてやって来たフリッピーは、上空から降りてくる私には気付かず、無惨に破壊されている玄関のドアを見て慌てて走り出した。屋根が近づいてきて、家の中に向かって私の名前を呼んでいるフリッピーの声が聞こえるようになった。
スプレンディドは、家の前の道に着地した。

「フリッピー……」

私が背後から呼ぶと、フリッピーは振り返って安心したように笑った。

「クルーエル!よかった、無事なんだね」

しかし、フリッピーは私の背後に視線を向けてスプレンディドの姿をとらえると、急に表情を消した。

「やあ、フリッピー君」

「……ああ」

フリッピーの緑色の瞳に、絵の具を滴下したように金色が混じっていく。以前にも見た現象に、頭の中に嫌な予想が浮かんだ。

「フリッピー!」

紙袋がフリッピーの手から落ち、中からオレンジが転がり出てきた。視線をそっちに奪われていた一瞬のうちに、フリッピーは動いていた。
サーベルが空気を切る音と、スプレンディドが飛び上がった音が耳に届いた。

「テメェ、またクルーエルにちょっかい出しやがって……」

「おやおや、これは不思議だ。どうして君が出てきたんだい?」

「知るかよ!」

スプレンディドを下から睨みつけるフリッピーの腕を、慌てて掴んだ。

「フリッピー聞いてよ!彼は私を心配して見に来てくれただけで何も――」

「理由なんてどうだっていい!アイツに関わると禄なこと無ェんだ!」

フリッピーが私の方を向いてそう言った隙に、スプレンディドはすごい速さで飛び去っていった。やり場のなくなった怒りにフリッピーが悪態をつき、舌打ちをした。
地面に虚しく転がっているオレンジを拾い上げ、紙袋に入れ直す。フリッピーは、尚もスプレンディドが去っていった方向を睨んでいた。
家に入るためフリッピーを呼ぼうとした瞬間、ふと重要なことを思い出した。さっきスプレンディドも言っていたこと。

「……どうして、フリッピーが出てきてるの?」

フリッピーは私の言葉を聞いて我にかえったのか、驚いたように振り向いた。

「……それは……」

記憶を手繰り寄せるように辺りを見回し、自分の手を見下ろす。見たところ、引き金となるようなものはない。
そうだ。以前にもこんなことがあった。

「私……?」

あの時も、その場に私はいた。


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