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□この世も意外と悪くない
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※独歩の愛が少し重いので注意


「独歩くんかっこいいよねー!」

そんな声が人混みの中から聞こえてきて、つい周りを見渡してしまった。その声だけじゃない。あちこちから、先生や一二三君と並んで独歩の名前が聞こえてくる。
そうか。ディビジョンバトルで代表になり優勝するということは、こういうことなのか。嬉しいはずなのに、なんだか彼が遠い存在になってしまったような気がする。
さっきまでは軽かった足取りが、急に重りを付けられたように感じた。駅に向かってのろのろと歩いていると、バッグの中からメッセージの受信音が聞こえてきた。ディスプレイに映った名前に、心臓が跳ね上がる。

『もう帰ってるのか?』

彼らしい、シンプルな文面に口元が緩む。今から中王区を出ると返信すると、すぐに返事が返ってきた。

『会いに行けなくてごめん
今日は来てくれてありがとう
気をつけて帰れよ
いろいろと手続きがあるらしいから、また明日連絡する』

謝罪から入るところが彼らしい。今日の独歩かっこよかったよ、と途中まで打ち込み、考え直して分かったとだけ返す。
なんだろう。これが嫉妬心というものだろうか。正直独歩は会社でもモテるような部類ではなかったから、ライバルなんていたことがなかった。それなのに、いきなり全国レベルでファンが増えてしまうなんて、この感情をどう処理していいのか分からない。別に今日明日直接独歩に言い寄る女が急に増えるというわけでもないのに、言いようのない不安が胸の中で渦巻く。
なんだか、急に自分のことが醜い女に思えてきた。



目が覚めると、既に10時を過ぎていた。テーブルの上にいくつも転がる酎ハイの空き缶を見て、また自己嫌悪に陥る。自棄酒なんて初めてだった。
ヘッドボードに置いていたケータイを見ると、独歩からメッセージが来ていた。

『おはよう
今からみんなで中王区を出る
うちで打上げすることになったんだけど、終わったらなまえの家行ってもいいか?』

いつもなら喜んですぐにOKと返すが、今日は少し躊躇ってしまった。いいよとだけ送って、素っ気ない対応をしてしまう自分の幼稚さにまた苛立ちがつのる。
部屋を片付けないとと思うのに、なかなか布団から抜け出せない。SNSで独歩がかっこいいという内容がたくさん書き込まれているのを見て、さらに負の感情が湧き上がってきた。体の中が黒くて汚いもので満たされていくみたいだ。自分がこんなに独占欲の強い人間だとは知らなかった。
こんな物を見るから悪いのだとアプリを閉じ、ダルい体を起こす。いつもは起きてそのままの布団を綺麗に整えて、カーテンを開けた。雲の少ない澄み切った綺麗な青空が見えて、少しだけ気分が楽になる。一度深呼吸をして、部屋の掃除に取り掛かった。
部屋の掃除をして、冷蔵庫の中を確認し、買い物に出る。打上げということは一二三君のおいしい手料理をいっぱい食べているのかもしれないが、それでも用意はしておくのが彼女の意地だった。
折角だからいつもより豪華な物を作ろうと思い立ち、食材も奮発してカプレーゼにサーモンのカルパッチョ、鶏ハムを作った。そして、オシャレな料理達には似つかわしくないが、彼が好きだと言ってくれたほうれん草の白和えとおばあちゃん仕込みの煮物も追加する。
全てを終えて時計を見ると、午後5時を過ぎたところだった。タイミングよく、テーブルの上のケータイが鳴り始める。手を拭いて電話に出ると、少し息を切らした彼の声が耳に入ってきた。

『もしもし!遅くなってごめん!』

「お疲れ様。急がなくてもいいのに」

『いや、俺がその……早く会いたくて』

ああ駄目だ。1人でよかった。絶対に顔が緩んでしまっている。

『えっと、実は、もうすぐ着きそうなんだ。ごめん、出る時連絡しようと思ってたんだけどバタバタして』

「いいよ。待ってるから気をつけて」

見ていなくても、電話の向こうで彼が笑ったと分かった。

『じゃあ、また後で』

電話を置くと、急いで結んでいた髪をほどいて化粧が崩れていないかチェックをした。
煮物の具合を確認し、冷やしておいたワインを出したところで、インターホンが鳴った。本当にすぐ近くまで来ていたらしい。
はーいと返事をして玄関のドアを開けると、視界の下半分が赤いものに覆われた。それが、独歩が抱えている大量の薔薇の花束であることに気づく。驚きすぎて声を出せずにいると、薔薇に負けず劣らず耳まで顔を赤くした独歩が口を開いた。

「えっと……お待たせしました」

「……どうしたの?」

ようやく出てきた言葉は、色気も愛嬌もなかった。

「あっ、これは、その、一二三が店の提携先の花屋に頼んでくれて……すまん、俺のキャラじゃないよな……って一二三にも言ったんだけど……でも、ちょっとやってみたかったってのもあって……あの、受け取ってください!」

バサッと音がして、花束を差し出される。見たことの無い大きさの花束に気圧されたが、ようやく嬉しさが感情に追いついてきて、独歩の腕から受け取った。思っていたより重くてびっくりする。

「ありがとう……嬉しい。いい匂いだね」

そう言った直後、2つ隣の部屋から男の人が出てきて、怪訝そうな目でこちらを見てからエレベーターに入っていった。その人が見えなくなってから、独歩と顔を見合わせて、二人揃って吹き出す。

「見られちゃったね」

「すまん。部屋の中で渡せばよかった」

「いいのいいの。さ、入って」

「お邪魔します」

体でドアを押さえて、彼を招き入れる。

「いい匂いがする」

コートを脱ぎながら、独歩が鍋の中を覗き込んで目を輝かせた。

「あ、なまえの煮物だ」

「でも、もう食べてきてるよね。張り切っていろいろ作っちゃったんだけど、お腹いっぱいじゃない?」

「いや、食べる」

作っておいてよかった、とほっとする。しかし、この花束どうしよう。
水につけておいた方がいいだろうかとキッチンのシンクと花を交互に見て、やっぱりしばらくは目につくところに置いておこうとリビングに持っていくことにした。
先に部屋に入っていた独歩が、すごいすごいと呟きながらテーブルの上を眺めている。コートを受け取ってハンガーにかけながら、そんなにすごくないよと返す。

「すごいよ。俺今日一二三の料理手伝ったんだけど、本当に何もできなくて、野菜もまともに切れないし炒めようとしたら具材が飛び散るし……ああ、本当に駄目な男だな、俺は……」

「はいはい、いいから座って」

いつもの自虐が深みにはまる前に断ち切り、テーブルの前に座らせる。昨日ステージ上で力強いラップをしていた人とは別人のようだ。
花束をテーブルの端に置き、ワインのボトルを取る。手で引き抜けるコルクのタイプだが、捻ってもみちみちと音がするだけでなかなか抜けない。

「貸して」

すっとボトルが手からなくなり、隣からポンッと軽い音が聞こえた。

「ほら」

「さすが男の子。ありがと」

「まあ、これくらいは……」

と言いつつも、独歩の頬は緩んでいた。
グラスにワインを注ぎ入れ、独歩に渡す。

「えー、では、改めましてテリトリーバトル優勝おめでとうございます。それでは麻天狼の観音坂独歩さん、一言お願い致します」

「え!?そんな、急に言われても……」

エアマイクを独歩の方に向けると、独歩は視線を泳がせた。

「その、えっと……応援、ありがとうございました。これからも頑張ります……」

「はい、ありがとうございましたー。では優勝を祝してかんぱーい!」

グラス同士が当たる澄んだ音が響く。一口飲むと、ワインの香りが口から鼻へと通り抜けていった。

「おいしいね、このワイン」

「ああ。これ高かっただろ」

「お祝いなんだからそんなこと気にしないの。はい、じゃあどんどん食べてください」

カプレーゼやカルパッチョのお皿を独歩の方に寄せると、ちょっと待ってくれ、と急に彼が後ろを向いた。

「あの、これ……」

彼が後ろから出してきたのは、明るい水色で有名なジュエリーブランドの紙袋だった。薔薇だけでも驚いたのに、今度こそ何も言葉が出てこなかった。

「いつもなまえはいろいろしてくれるのに、俺全然返せてなくて……賞金が出たから、それで何かプレゼントしたくて……女の子が好きな物とか流行りとかよく知らないから、気に入ってもらえるか分からないんだが……あ、一応一二三には確認したから変なものでは無いとは思う!」

頭が上手く働かず、独歩の声を聞きながら、ぼんやりと袋から箱が取り出されるのを眺める。そっと開けられた箱の中には、ブランドの頭文字であるTを2つ繋げたような形のシルバーのネックレスが入っていた。小さなダイヤがいくつも連なっており、簡単に手を出せない値段であることが私でも分かった。

「俺本当に何しても駄目で他人に迷惑かけてばかりで人生いいことなんて何もないって思ってたけど、なまえと出会ってから、死にたいって思うことがなくなったんだ。仕事がしんどくてもハゲ課長に理不尽な理由で怒られても、なまえのこと考えてたらあんまり気にならなくなった。あ、あと、最近明るくなりましたねって会社で言われた。……かっこよくて稼ぎもいい男なんて他にいくらでもいるのに、俺のこと選んでくれてありがとう」

鼻の奥がツンとして、視界がぼやける。あっという間に涙が溢れて、次から次へと頬を伝い落ちていく。

「なまえ?どうしたんだ?もしかして、これ泣くほど嫌だったか……」

「違う……」

私は独歩が思ってくれているほど、いい女でもいい彼女でもない。表面で取り繕っていても、中身はタールみたいにどろどろとして汚い人間だ。

「ごめん……私、本当は、独歩達が優勝したこと全然喜べてない……」

「え……?」

「バトルを見た女の人達が、みんな独歩独歩って言い出して、それがすごく嫌で……なんか、昨日から独歩が違う世界の人になっちゃったみたいで……こんなことになるなら、テリトリーバトルなんて出て欲しくなかったって思う自分がいて……ごめん……彼女なら一番喜ぶべきなのに……私、醜い女だなって……」

これは嫌われても当然だなと思いながら顔を上げると、私を見つめる独歩は、何故か――笑っていた。私の視線に気づいたのか、独歩が慌てて手で口元を覆う。

「あ、いや、すまん……なんか、嬉しくて……」

予想してた反応と大違いで、急に涙が引っ込んだ。

「え、どこが……?」

「だって、なまえが嫉妬してくれるのなんて初めてだったから」

独歩は必死で真顔を作ろうとしているのだろうが、どう頑張ってもにやけてしまっているのが丸分かりだ。

「なまえはこういうの初めてかもしれないけど、俺はいつだって同じようなこと思ってる」

「同じことって……」

「なまえは誰にでも優しいし、社内でもみんなに頼られてるだろ。仕事ならいいけど、業務に関係ない話でなまえに話しかけてる奴のこと、割と心の中で呪ってるんだ、俺。コーヒーで火傷しろとか、階段踏み外せばいいのにとか、仕事で失敗しろとか」

柔らかい笑顔とは真逆の言葉が飛び出してきて、思わず眉間に皺が寄った。

「なまえと同期の高橋、やけになまえに馴れ馴れしいだろ?今回支配権が手に入ったから、アイツを支社に飛ばしてやろうかなって思ってたんだ。まあ、先生に止められたけど」

「……ごめん、私そこまでは考えてない」

独歩の脳内が暗いことはよく分かっていたが、そんなことまで考えていたなんて知らなかった。優しく仕事を教えてくれていた観音坂先輩はどこに行ったんだろう。

「え、そうなのか?まあとにかく、俺はなまえが嫉妬してくれることが嬉しいし、全然醜いなんて思わない」

「そう……なら、いいかな……」

一晩悩んでいたことがあっさり解決した。

「じゃあ、これ付けてるところが見たいから、後ろ向いて」

箱の中から、独歩がネックレスを取り出す。涙を拭って彼に背中を向けると、ひんやりとした感触が首元に触れた。こんなに高価な物を身につけることなんて初めてで、少し緊張する。
ネックレスに気を取られていると、髪を持ち上げた拍子に、首筋に温かくて柔らかいものが当たった。独歩の唇だと気づいた瞬間、強く肌が吸われ始めた。

「ちょ、独歩!そこは駄目だって!」

逃げようとすると、後ろから体に腕が回されて身動きがとれなくなった。彼の体温と、首の鈍い痛みと、彼の髪が肩を撫でる擽ったさに、心臓が早鐘を打ち始める。独歩は数回同じ所に吸い付くと、最後に満足げにキスを落とした。

「何があっても、俺はなまえのものだから」

耳元でそう囁いてから、独歩は体を離した。

「こっち向いて」

「うん……」

ネックレスの位置を整えて、体を彼の方に向ける。独歩はじっとこちらを見つめた後、目を細めて微笑んだ。

「思った通り、すごく似合ってる」

「ありがとう、大事にする」

「どういたしまして」

「袋も大事にとっとこ」

箱の蓋を閉じて紙袋に仕舞おうと手を伸ばすと、箱に指が触れる直前に腕を掴まれた。

「ごめんなまえ……せっかく料理作ってくれてたところ悪いんだが……」

「なに……」

前髪の隙間で揺れる物欲しそうな目には、見覚えがある。

「今すぐ抱きたい」

「えー……」

「ごめん、実はなまえが泣いてたあたりから我慢してた」

「嘘でしょ……」

私が返事をする前に、立ち上がった独歩に体を引っ張りあげられた。押されるがまま背後にあるベッドに倒れ込み、今回も逃げられないことを悟る。
覆いかぶさってきた独歩を受け止めながら、少し前に高橋君に告白されたことは絶対に彼にバレないようにしようと心に誓った。



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