others short

□I don't know
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彼は、私の知っている赤司征十郎じゃない。
ウィンターカップから戻ってきた彼を見て、直感でそう感じた。
声をかけたかったのに、足が竦んで近付けなかった。

「なまえ、行かへんの?」

友人達は早くバスケ部のところに行きたそうに、私の表情を窺っている。
他の部活も練習を一旦休止して続々とバスの周りに集まってきており、中にはわざわざ出迎えるためだけに来た女子のグループまでいる。まあ、私もそのうちの一人なのだが。
バスケ部のメンバーの方を見ていると彼と目が合いそうになり、慌てて友人達の方に向いた。

「ごめん、やっぱりうちはええわ。みんなで行ってきて」

「え、なんでなん?赤司君と話せんでええの?」

不思議そうに言及してくる友人達から逃げたくて、咄嗟に嘘を並べたてた。

「部室に忘れもんしてもたから取りに行ってくるわ」

「ちょ、そんなん後でもええやん」

「ごめん、みんなは行ってきてええよ!」

無理矢理会話を終わらせて、校舎に向かって走った。
本来は休みであるため、校舎の中は静まり返っている。下駄箱で靴を履き替えていると、外から拍手と歓声が聞こえてきた。出そうになる涙を抑えるようにお腹に力を入れ、茶道部が使っている和室がある4階までゆっくりと階段を登った。
先生から預かっていた鍵で部室に入り、締め切られていたカーテンを開けた。畳の匂いに包まれると、少し気分が落ち着いた。忘れ物なんてあるはずもなく、どうやって時間を潰そうかと和室を見回す。ふと、水屋にかかっていた布巾や茶巾が目に留まり、片付けでもするかと制服のブレザーを脱いだ。
本当に静かだ。自分が発する衣擦れの音しかしない。普段外から聞こえてくる野球部やサッカー部の掛け声も、遠くから響いてくる吹奏楽部の音もない。
布巾を畳み終わり、次はテーブルの上に積み上げられていた資料やプリントを片付けることにした。文化祭で使った挨拶文の原稿や、落書きだらけのルーズリーフ、着物の着付けの本、いろいろと出てくる。
いる物といらない物とに分けて並べていると、和室の入口が開く音がした。友人のうちの誰かが迎えに来てくれたのだろうか、と作業を続けながら頭の片隅で考える。
しかし、背後から聞こえた声で手が止まった。

「なまえ」

間違える筈がない。彼の声だ。

「ただいま」

「……おかえり」

背を向けて俯いたまま、なんとか声を出した。
どうしようかと考えていると、隣に彼が座るのが視界の隅に映った。

「……オレ、負けたんだ」

聞き慣れない一人称に、不安が的中したことが分かった。やはり、もう彼は私の知っている赤司征十郎ではないのだ。

「友達に、聞いた」

「そうか……。すまない……電話しようと思ったんだが、なまえに幻滅してほしくなくて、勇気が出なかった」

「幻滅なんか、せえへんよ……うちは別に、バスケが強いからっていう理由で征十郎のこと好きになったんとちゃうんやから……」

「……そうだな、ごめん。君がそんな女じゃないってことは分かってるんだ。でも、怖かった」

怖いなんて言葉を、彼が発するのは初めてだ。いつも堂々としていて、何も怖いものなんてないように見えたのに。

「優勝はできなかったが、これで一旦落ち着くことができる。休みもできたし、今度二人でどこかに行かないか?」

以前の私なら、すぐにでも頷いていただろう。でも、今はまったく喜びも嬉しさも湧き上がってこなかった。

「……ごめん。ちょっと、時間がほしい」

手の中で、紙が潰れる音がした。

「なまえ?どうかしたのか?」

左手に、彼の右手が重なった。触れた指先が冷たくて全身に鳥肌がたち、反射的にその手を払い除けてしまった。畳に持っていた紙が散らばる。思わず顔を上げてしまい、驚いている彼と目が合った。
押し寄せてきた後悔と鉛のように溜まっていた感情が飽和状態になり、徐々に視界が霞んでいった。

「どうして……」

「なんでって?それを言いたいんはこっちや……」

同じ顔、同じ声、同じ匂い。
なのに、まったくの別人のように見える。

「あんた誰よ……」

「……何を言ってるんだ?」

「分からへんねんもん……誰よあんた……あんたは、うちの知っとる征十郎とちゃう……」

どんどん離れて行ってしまう。
最初から、遠い存在だということは分かっていた。きっと3年間の高校生活が終われば、彼はいなくなってしまうと分かっていた。
それでも、この半年間は幸せだった。他の子のように、頻繁にデートに行ったり一緒に帰ったりクリスマスを一緒に過ごしたわけでもない。バスケを優先してもいい。ただ休み時間に一緒に話すだけでも私は幸せだった。あと2年、そんな生活ができればそれで良かったのに、こんなにも早く崩れてしまうとは思っていなかった。
私は、彼のことを何も知らない。一緒に過ごしてきた半年分の彼のことしか知らないのだ。

「……確かに、オレはなまえが知っている赤司征十郎じゃないかもしれない。だが……なまえへの想いは変わっていない」

再び彼の手が触れた。今度は重ねるだけではなく、しっかりと握られている。

「頼む、信じてくれ 」

懇願するような瞳に見つめられ、言葉が出てこなくなった。
“彼"はこんな表情をしない。
“彼"はこんな目をしない。
もしかしたら、これが本来の赤司征十郎なのかもしれない。しかし、頭では分かっていても、心が追いつかない。

「……ごめん……考える時間、ちょうだい……」

「……分かった」

彼は名残惜しげに手を離すと、立ち上がってスポーツバッグを肩に掛けた。
俯いたまま和室から出ていく彼の足音を聞いていると、不意にその音が止まった。

「アイツは口には出さなかったかもしれないが……」

顔を上げると、襖の前で彼は悲しげな微笑を浮かべていた。

「いつも支えてくれてありがとう。……君がいてくれてよかった」

それだけ言い残し、彼は和室から出て行った。
最後の言葉が、耳の奥に貼り付いて何度も頭の中で繰り返される。

「……なんで……勝手に行ってしまうんよ……」

“彼"は今、どこにいるのだろう。




2015.1.30
 

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