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□絶対的な関係
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ふと腕時計を見ると、ちょうど針が22時22分を指していた。
ニャンニャンニャンニャンと心の中で呟きながら、街灯があっても尚薄暗い裏通りを抜け、既に閉店しているであろう店を目指す。恐らく、彼も今頃ニャンニャンしている頃だろう。我ながら表現が古いか。
石畳の地面に降りると、ヒールによって鳴らされる音が変わった。軽快な音を聞いていると、自然と心も弾む。
窓は雨戸が閉められており、中の様子は外からじゃ分からない。Closedという看板が掛かっているドアの前に立ち、高鳴る心臓を落ち着けるように少し深呼吸をした。そして、ドアの取手に手を掛ける。鍵はかかっておらず、滑らかにドアは開いた。
「やーん、もう、くすぐったーい」
甘ったるい女の声が、ドアの隙間から聞こえた。しかし、ドアが開く音に気付いたのか、その声もすぐに途絶えた。
こういう場合、相手の反応は大きく二種類に分けられる。状況が理解できず驚きのあまり言葉を失うか、入ってきた邪魔者に怒りを顕にするかだ。
「ちょ……ッ、ちょっと!誰よアンタ!」
今回は後者のようだ。
服を乱した状態でウタの膝の上に乗っていた女が、さっきまでとは打って変わって鬼のような形相になる。
「遅かったね」
女を膝の上に乗せたまま、のんびりとウタが呟く。
「ごめん、イトリのとこ行ってた」
そう言いながら、後ろ手に鍵を閉める。
女はずり落ちていたカーディガンで体の前を隠しながら、ウタの上から飛び退いた。
「さっきからなんなのよアンタ!邪魔しないでよ!」
「はいはい、お待たせしました」
目と顔を真っ赤にして起こる彼女に向けてワンピースの下から赫子を伸ばし、しっかりと首に巻き付け、最後に先端を口に突っ込み喉まで塞いだ。店の物を壊さないように、天井近くまで女の体を持ち上げる。
声も出せず息もできず、赫子を出して抵抗することさえできない女を下から見上げ、徐々に首を締めていく。ある点で、骨が折れる感触が赫子から伝わってきた。暴れていた女の四肢が力なく垂れ下がったのを確認し、そっと床に下ろした。
もしかしたら、出せなかったのではなく、元々赫子を形成できないほど弱い喰種だったのかもしれない。求めていたものではないが、取り敢えずはお腹が満たされるのだから良しとしよう。
コードを巻き戻すように赫子を仕舞っていると、横から手が伸びてきて腕を引かれた。
「待ちくたびれた」
椅子に座ったまま、ウタは誘うような甘い声を出した。
「お疲れ様」
「ご褒美は?」
何がいい?と、答えは決まっているのに尋ねる。そして、いつものように同じ答えを返してくるウタの髪を撫でた。
「なまえがいい」
強い男に求められるのは、女として幸せなことだと思う。
ウタは、知っている者なら誰もが恐れる4区最強の男だ。だからこの女も、簡単に釣られたのだろう。
ウタに獲物を捕まえるための罠になってもらう度に、名前も知らない女に対して言いようのない優越感を抱いてしまう。
輪郭をなぞってピアスが光っている唇を指先で撫でると、ウタは嬉しそうに目を細めた。
「またいい獲物が見つかったら教えてね」
「うん、次はもっと強そうな子を探しておくから」
「ありがとう」
よくできました、と彼の唇に自分の唇を重ねる。腰を引き寄せられて、さっきまで女が座っていたウタの膝の上に腰を下ろした。ウタは、私が手にしていたバッグを取って作業机に置き、空いた私の手を自らの首に回した。されるがまま、抱きつくようにウタの首に両腕を巻き付かせる。
「お腹空いてる?」
「まだ大丈夫」
「じゃあ、先にご褒美ちょうだい」
言い終わるや否や、再び唇が塞がれた。
۞
微睡みの中、ベッドが軋む音が聞こえて脳が覚醒した。目を開けると、ウタがベッドの端に座って此方を見下ろしていた。
頬と引き締まった上体に、血の点がいくつかついている。
「ばらしてきたよ」
食べやすい大きさに切られた肉が盛られている大きな白い皿が、目の前に差し出された。眼球、肝臓、脾臓、大腿部、二の腕、小脳、全て私の好きな部位だ。
シーツにくるまりながら体を起こし、赫眼を1つ取った。視神経の場所から考えると、恐らく右目だ。
「ウタも食べる?」
「ぼくは人間の方がいいから」
ティッシュの箱を脇に退けてサイドボードに皿を起き、ウタもベッドに上がってきた。後ろから抱き寄せられ、されるがままにウタに凭れかかる。つくづく私は贅沢者だ、と頬が緩んだ。
眼球に付着していた肉片と血を舐めとりながら、頭の中では次の獲物のことを考える。イトリもおいしそうだけど、さすがに長年連れ添ってきた友人を食べるわけにはいかない。アサは簡単に捕まえられそうだけど、あんなにウタに懐いている子を食べるのは気が引ける。
だとしたら、残るは――
「リゼか……」
「ん?」
つい口に出してしまった。
どうしたの?、とウタが私の髪を耳に掛けた。
「いや、リゼっておいしそうだなあと思って」
「リゼさん?友達じゃないの?」
「友達って言えるほどの仲じゃないよ。最近、ちょっとやりすぎてるし、あの子」
私は人間をあまり食べないので特に白鳩に狙われるような状況ではないが、リゼが派手に動くと他の喰種にも被害が及ぶ。
「リゼさんか……」
「まあ、別にいいんだけどね」
一口で眼球を食べ、皿の隅に置かれていたフォークで肝臓を刺した。
「ねえ」
耳に吐息がかかり、ダイレクトにウタの声が聞こえた。
「なまえの血、ちょっとだけ飲ませて」
「……ちょっとだけだからね」
以前ちょっとだけと言いながらかなりの量を飲まれたことを思い出し躊躇ったが、私も食事中だしいいだろうと首を傾けた。
熱くてざらついた舌の感触がしたと思えば、首と肩の境目辺りに鋭い痛みが走った。突き立てられた歯が抜けていき、傷を舌で抉るようにして血を吸われる。
肝臓を口に入れ、胴に回されているウタの手に自分の手を重ねた。
恋人というよりも主従のようなこの関係を、私はひどく気に入っている。
2014.11.23
赤い公園/絶対的な関係