others short
□バーミリオン
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「その日の夕陽は、街を燃やすように煌々と赤く輝いていた。どうして私はここにいるのだろう、と誰もいない教室の、クラスメイトの机に腰掛けて考える。誰が書いたのかも分からない手紙など無視して帰ってもよかったのではないか、と今更ながら後悔した」
見ず知らずの卒業生が残していった文集を読み始めてから10ページを過ぎたあたりで、胸に違和感を感じて視線を下げた。
文集と体の間に手が入り込んでおり、右の胸にそえられている。脳が次に何をすればいいのか考えつく前に、その手はゆっくりと動き始めた。
質感を確かめるように緩慢な動きをする指を見ていると、寒気が走った。
「やめろ」
手にしていた文集を、ちょうど真下にある博臣の顔めがけて落とした。
「いた……ッ!」
どうやら硬い背表紙が鼻頭に当たったらしい。胸から離れた手が、空で止まる。
「まったく、何をするんだなまえ」
自分で文集を顔の上から退かし、膝の上に頭を乗せたまま博臣が見上げてきた。
「それはこっちの台詞」
読むのも飽きたから音読してくれと言われ、貴重な昼休みを使ってまで付き合ってやっているというのに。
「聴く気がないなら、私教室に戻る」
「待て待て、聴く気はある。ただ、顔を覗かせていたなまえの胸に誘惑されただけなんだ」
「ああはいはい、言い訳は結構」
屋上のコンクリートの床に叩き落とそうと博臣の体を押したが、対抗するように胴に腕を回された。
「離、せ!」
「いや、俺は離れないぞ。今日の昼休みはなまえに密着して過ごすと決めたんだ」
「きもい!」
これが、下級生からも王子と呼ばれている男の真の姿だ。映像で撮って、全校集会の時に流したい。
足掻いたところで無駄な体力を使うだけなので、仕方なく落とすことは諦めた。
私がもう攻撃してこないと確信したのか、博臣は腕を離し此方側に体の向きを変えた。
綺麗に晴れ渡る空を見ながら、あくびをする。
「寝不足は肌に悪いぞ」
「余計なお世話です」
新しい服や本がほしくて、昨夜も遅くまで妖夢退治をしていたせいだ。博臣もそれを分かっているのだろう。
「張り切るのもいいが、ちゃんと休めよ?」
「分かってる」
「未来の名瀬家の嫁としてはなまえは十分力があイッ!」
無性に苛ついたため、髪を一本引き抜いてやった。
抜かれた箇所を撫でながら、博臣が溜息をつく。
「照れなくてもいいんだぞ」
「誰が照れてんのよ」
日頃からプロポーズ紛いの言葉を聞いていれば、これしきでもう照れることはなくなった。
それにしても、最近博臣がこういうことを言う回数が多くなってきた。しかも、やけに現実味が増してきている。
あと2ヶ月ほどで、博臣は18になる。それはつまり互いに結婚できる年齢になるわけで、もしかすると、本当に高校を卒業したらすぐに名瀬家に嫁入りすることになる可能性もでてきた。
今の時代にそんな馬鹿なとは思うが、相手はあの名瀬家のたった一人の息子だ。何故か近頃はお姉さんとも会う機会が増えたし、あり得ないこともない。
だが、私はまだまだ子供でいたい。
「なまえは温かいな……」
もぞもぞと私のブレザーの下に手を入れ恍惚とした表情をしているバカを見ていると、怒る気さえ湧いてこなくなった。が、脇腹と背中を這う手がやけに生々しくて気持ち悪い。
秋人が来れば解放されるのに、と階段の方を見ると、タイミングよく秋人の顔がひょこりと見えた。
「あ!あき……」
と思ったら、頬を引きつらせながら逆再生のようにそのまま後ろ向きで去っていった。
伸ばしかけていた手を、そっと下ろす。
「ん?どうかしたのか?」
「いいえ、なんでも……」
秋人に見捨てられた。部活の時に何かしら復讐しなければ。
早く昼休みが終わらないかと腕時計を見たが、まだ20分ほど残っている。
「このまま二人きりの午後を過ごしたいな」
「いや、そうでもない」
「いっそ二人でサボろうか。檻を張ってしまえば誰も来ない」
「無駄なことに力使わなくていい」
「俺はこの先のことがしたい」
「気持ち悪い」
まったく会話が成り立たない。私の投げたボールは一切キャッチしようとしないくせに、向こうからは絶え間なく投げてくる。
博臣は何がおもしろいのかふっと笑うと、しみじみと言った。
「気持ち悪い気持ち悪いと言いながらも引き剥がそうとしないとは……まったく、体は正直だな、なまえ」
この言動には殺意が湧いたので、マフラーの結び目をほどき力任せに首を締めた。
2014.09.28