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□カニバリズム少女
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※非道徳的、非倫理的表現があります
昔から、生肉が好きだった。肉でも魚でも、焼くより生の方が好きだ。
血の味だって好きだ。小さい頃から、怪我をするとずっと傷口を舐めていた。塞がろうとする傷口を、何度も何度も舌で抉った。その度にお母さんに怒られていた。
「あ……」
講義の資料を纏めていると、プリントから出ているホッチキスの針で左手の人差し指を切ってしまった。
最初は感じなかった痛みがやってきて、ぱっと見ただけでは分からなかった傷口に血が滲む。
血で玉ができるまで待ち、そっと舌で掬う。
塩辛くて、ほんのりと甘い。
思っていたより傷口は深く、次々と血が溢れてくる。
傷口のある辺りを口に含んで右手で作業をしていると、店を閉めたウタが戻ってきた。
「指、どうしたの?」
細かなタトゥーが彫られている手が、私の手を包み込んだ。
「ここで切っちゃって」
プリントの束の裏を見せ、少し開いていたホッチキスの針を押しつぶした。
痛いという感覚に反し、傷口の周りを噛む。口の中で、またじわりと血が滲んだ。
「こら、またそんなことして……」
自分の力に逆らって、右手が離れていった。
「余計に傷が酷くなる」
テーブルの隅に置かれていたティッシュを取って傷口にあてるウタは、まるで母親だ。
「ねえウタ」
「ん?」
「私っておかしい?」
「なんでそう思うの?」
ウタの目が、指先から私に向けられる。
血のような、赤い目。
「喰種でもないのに、人が食べたくなる……」
ある時ふと生まれた小さな欲求がどんどん膨らんで、今では毎日そのことばかり考えている。
友人達でさえ、おいしそうと思ってしまう。上腕、胸、腹部、大腿部、どこもかしこも柔らかそうで、齧り付きたくなるのだ。
正直に言っても、ウタは表情を変えなかった。
「……喰種が人間を食べるのは、そういう生態だからだ。人しか食べられないから、人を食べる。でも、人間である君が同種の人間を食べたいっていうのは……なんて言えばいいのかな」
「危ない性癖?精神的な病気?」
ウタが言いたがっていることを感じ取り、先に口に出した。
ウタは暫く考えてから、少し首を傾けた。
「……性癖の方、かな?」
今、私は彼氏に変態呼ばわりされている。言い出したのは私だが、少しダメージはあった。
ウタは血が止まったことを確認すると、ティッシュを丸めて立ち上がった。
「まあ、なんとなく気付いてはいたよ」
「え?」
キッチンのゴミ箱にティッシュを捨て、ウタが冷蔵庫を開ける。
「ぼくの食料を見る時の君の目、喰種と同じだった。あまり外でそういう目はしちゃ駄目だよ」
喰種だと勘違いされて白鳩に目をつけられるかもしれない、と言ってウタは冷蔵庫を閉めた。
「私、そんなに分かりやすい?」
「まあね」
ウタは少し口角を上げると、戻ってきて私の前にプラスチックの容器を置いた。スポーツドリンクを入れるような、ストローがついたものだ。
白いその容器は、赤黒い中身が透けている。
何かと訊かなくても、すぐに分かった。
「飲んでいいよ」
私を試すように、ウタが見下ろしてくる。
容器を手にとって、両手で包み込む。
「冷たい」
冷えているのは嫌だ。体温と同じくらいに、温かい方がいい。
それでも折角もらったものなので、文句を言わずにストローの蓋をとって口をつけた。
口に広がった味に、思わず笑みが浮かんだ。いつもは少量しか感じられない味が、口いっぱいに感じられる。
やはり冷たいのは欠点だが、今の私には十分だった。
「おいしい……」
小学生の時に読んだ、人間の少年が吸血鬼になってしまうというストーリーの本に書かれていた。
血はバターのような味がする、と。
まさにその通りだ。
塩辛さを感じた後からふわりと甘味が来て、舌の上で馴染んでいく。
息を吐けば、独特の鉄臭さが鼻腔を通り抜けていった。
「はい、おしまい」
ウタに容器を取り上げられ、我にかえった。
気付けば、容器いっぱいに入っていた血液は、もう半分ほどになっている。
離れたところに容器を置き、ウタは元いた隣に座った。
「……なまえ」
「……はい」
「やっぱり……性癖の方だと思う」
「……私もそう思う」
「ぼくが喰種でよかったね」
「そうだね」
確かにその通りだ。
もし相手が普通の人間なら、なんとしてでも隠し通さなければならなかっただろう。
「でも……」
俯いてさきほどの傷を見下ろしていると、頬にウタの手が触れた。加えられる力に従ってウタの方を向くと、目元をなぞるように彼の指が動いた。
「すごくいい表情してたよ」
顔を近づけてきたウタの赤い舌が、私の唇を舐める。
至近距離で見るウタの目は、相変わらず透き通った赤をしていた。鮮血のような鮮やかな赤だ。
「なまえなら、ぼくとの子供産めるかもね」
そのウタの一言に、息が詰まった。
2014.07.13