Stab
□one scabbed sheep will mar a whole flock
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フリッピーの主人格に私達のことを知られてから、1週間が経った。あの日から、まだフリッピーとは会っていない。何度か出掛けたけれど、町でも店でもフリッピーを見かけることはなかった。
「もしかして、恋煩い?」
ぼんやりとペチュニアの家の庭園を眺めていると、ペチュニアが興味深そうに尋ねてきた。
冷めかけの紅茶を無意味にスプーンでかき回し、苦笑いを返す。
「あら、違うの?何か悩んでいるように見えるけど」
「まあ、悩んではいるけど……。恋煩い、なのかな……」
気が付けば、いつもフリッピーのことを考えている。でも、これは乙女チックな世界で終わる話じゃない。もっと複雑で、ドロドロとしている。
「私で良ければ、話を聞くけど?こう見えて、口は固いから」
膝の上に座るフリージアを撫でながら、ペチュニアがウィンクをした。
誰かに言えば、少しは楽になるのかもしれない。でも、もし裏のフリッピーのことを、良く思っていなかったら……。
「クルーエル?」
「……本当にいいの?」
「勿論」
琥珀色の水面を見下ろし、頭の中で話を整理する。ペチュニアは、私の準備ができるまで待っていてくれた。
「実は……私、今、付き合ってる人がいて……」
「うん」
「その……相手は、フリッピーなんだ……主人格じゃない方の……」
そこで言葉を止めて、顔を上げた。
ペチュニアは特に驚いた様子もなく、一口紅茶を飲んで、笑みを浮かべた。
「なんとなく分かってた」
「え?」
「貴女が来たばかりの頃にしたガーデンパーティーで、フリッピーとの様子がおかしかったから。その前にもう会ってたんでしょ?もう一人のフリッピーに」
小さく頷く。
ペチュニアはフリージアを足元に降ろし、テーブルに両腕を乗せた。
「それで?」
ペチュニアに、続きを促される。
テーブルの上で両手の指を交差させ、続きを口にした。
「この前、そのことが主人格の方にバレちゃってさ。それ以来、フリッピーの姿は見てないんだ。でも、なんとなく気まずくて、家に行く勇気も出ないし、どうしようかなって……」
「んー、確かに難しい問題ね」
ペチュニアはクッキーを一枚口に運び、右のこめかみ指で叩き始めた。
「でも、クルーエルの好きなフリッピーもフリッピーだし、主人格だってフリッピーじゃない。どっちにしろ、元は一人の人間でしょ?どちらもまとめて好きになるってのはどう?」
「そんな無茶な……」
フリッピーは、夢の中とはいえ、主人格を殺そうとしているのだ。いや、夢なんかじゃなく、もしかしたら意識の中なのかもしれない。普段の態度から見ても、フリッピーは主人格のことを毛嫌いしていると分かる。主人格の方を好きになるということは、裏切りを意味する。
「……私には、できない」
「でもね、クルーエル」
ペチュニアが、私の手を上から包み込んだ。
「貴女が好きなフリッピーは、主人格のフリッピーが作り出したものなの。性格はかなり違うけれど、少なくとも、フリッピー自身にも貴女が見ているフリッピーの要素がある筈よ。だからこそ、この町のみんなは、フリッピーのことを嫌いにならないんじゃないかしら」
「フリッピーの要素?」
尋ね返すと、ペチュニアは深く頷いた。
「いずれにせよ、一度フリッピーと話し合うべきよ。避けてばかりじゃ、前には進めないわ」
力強いペチュニアの声音に、反射的に首を縦に振る。
多重人格と戦闘神経症は違う。戦闘神経症は、窮地に陥った時、身を守る為にその人のストッパーが外れるようなものだと言える。つまり、普段は封じ込められて表には出ていない性格に変わるのだ。
人間には表と裏がある。普段のフリッピーは表のフリッピー、私が見ているフリッピーは、裏のフリッピーということだ。
「だから、貴女がどちらのフリッピーも受け入れてあげて」
ペチュニアが、まっすぐに私の目を見つめる。
「私は、応援してるから」
ありがとう、と言うと、ペチュニアは笑って首を横に振った。
「友達として当たり前のことをしてるだけ。また何かあったら、相談してね」
友達という言葉に、胸が熱くなった。
ペチュニアに言ってよかった、と肩が軽くなる。
いつまでも、待っているだけじゃ駄目だ。
今度は、私がフリッピーに会いに行こう。
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