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□特効薬と約束
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お気に入りのカフェで作詞をしていると、翔から電話がかかってきた。
「はーい、もしもーし」
電話に出たのだが、翔からの返事はない。操作ミスだろうかと切ろうとした瞬間、悲鳴と破壊音が聞こえてきた。
「ちょっと翔ちゃん!?もしもーし!大丈夫ー?」
『なまえー!』
今度はちゃんと翔が返事をした。しかし、その声はかなり切羽詰まっている。
『なまえ今大丈夫か!?さ、砂月が出てきた!』
「砂月!?」
成程、破壊音の正体は砂月だったらしい。
肩で携帯電話を挟み、テーブルの上に広げていた物を急いで片付ける。
「今どこ?」
『え、えっと……うわァ!来たァ!』
破壊音と悲鳴の合間に聞こえてきたのは、近くにあるテレビ局の名前だった。
なんとか逃げ切れと伝え、カフェを出てヒールのまま走りだす。こんなに全力で走ったのは、中学の頃以来かもしれない。
運良く信号にも掴まらず、ファンだという女の子達の申し出もできるだけ丁寧に断り、テレビ局を目指した。
ようやくたどり着いたテレビ局の屋上に続く階段に、ST☆RISHのメンバーとはるちゃんがいた。
私を見るなり、みんなの顔に笑顔が広がる。
「やっと来たー!」
英雄のように讃えられ、次々に礼を言われる。まだ何もしていないのに。
「なまえさん、貴女だけが頼りです」
「アイツ、この後撮影入ってんだよ。できるだけ早く片付けてくれ」
翔に那月の眼鏡を渡され、屋上へのドアの前へと押される。
はるちゃんが荷物を預かってくれると、レンの腕が肩に回された。
「じゃあレディ、幸運を祈るよ」
「は?」
勢いよくドアが開かれ、レンに背中を押される。
よろけながら屋上に出ると、背後でドアが閉まった。中から頑張れという言葉が届く。
溜息をついて屋上を見渡せば、端の方に街を見下ろしている砂月がいた。
眼鏡をジャケットに仕舞い、そっと近付いてみる。
「砂月」
少し距離を空けて声をかけると、砂月が振り向いた。
相当機嫌が悪いようで、眉間にくっきりと皺が寄っている。
「なんだ、お前か」
「うん、久しぶり」
「ああ」
砂月の表情が少し和らいだ。
隣まで行き、柵に肘をつく。
「那月に何かあったの?」
「まあな」
砂月は街に背を向け、柵に凭れかかった。
「焦り、不安、恐怖……いろいろと渦巻いてる」
砂月を見上げれば、いつもレンズ越しに見る彼の瞳に私が映った。
「アイツはまだ、演じるってことに慣れてねぇ。この業界でやってくには、四ノ宮那月のまんまじゃできねぇ仕事もある。そのことを分かってるからこそ焦ってるんだろうな」
「そっか……」
「あとは……そうだな……お前のことか」
「え?」
何か那月にしたのだろうか、と記憶を遡っていく。思い当る節はないのだが、無意識のうちに那月を傷付けていたのだろうか。
「私、那月に何かした?」
私が尋ねると、砂月は肩をすくめた。
「何かしたっつーか、那月に何も言わなかったからだ」
砂月は空を見上げ、そうだなー、と続けた。
「今、お前ドラマに出てるだろ、お前が主題歌歌ってるやつ」
「うん」
「ドラマで、何回かキスシーンがあった。けど、オンエアを見るまで那月はそのことを知らなかった。ライブをすることも、海外にロケに行くことも、那月は後から別の人間に聞かされて知った」
砂月の言う通りだ。
でもそれは、二人でいる時はなるべく仕事の話はしたくなかったからだ。互いに忙しくなって、最近では二人でいられる時間もほとんどない。タイミングが合わなくて、何日も会えない日が続くことが当たり前のようになっていた。
けれど、これは言い訳でしかない。
「ごめん……ちゃんと、伝えるべきだった」
「それは、那月に言ってやれ」
砂月の手が延びてきて、頭を撫でられた。いつもは那月を撫でる側だから新鮮だ。
「んじゃ、那月によろしくな」
砂月は私のジャケットのポケットから眼鏡を引き抜くと、自らそれをかけた。
直後、纏っていた空気が変わった。
「あれ……なまえちゃん?」
瞬きを数回したかと思えば、那月の顔に笑顔が広がる。そして視界が塞がれ、体中に強い力が加わった。
「なまえちゃん、会いたかったです!」
「那月、苦しい」
那月の腕を叩きながら言うと、名残惜しげに那月は離れた。
砂月に伝えられたことが甦り、完全に離れてしまう前に那月の腕を掴んだ。
「ごめんね、那月」
いきなり謝ったものだから、那月は首を傾げた。
「どうしたんですか?」
「私、仕事のこととか、何も那月に言わなかったから……ごめん」
「ああ……そのことですか……」
那月は苦笑すると、私の手をとって上に重ねた。
大きくて温かい手に包まれる。
「正直に言うと、ちょっと悲しかったし寂しかったです」
視線を上げれば、那月は照れたように微笑んだ。
「我が儘を言ってもいいですか?」
「我が儘?」
「はい。……これからは、お仕事のこともプライベートのことも、僕に一番に教えてください。誰よりもなまえちゃんのことを知りたいんです」
那月の言葉に胸が締めつけられる。
惚れ直した、とはこういうことなのだろう。
「約束する」
那月の手に、指先を絡めた。
「これからは、何かあれば那月に一番に知らせる。新しい曲も、一番に那月に聴いて欲しい」
「はい、約束です!」
那月に促され、今となっては懐かしいゆびきりげんまんをした。
「ねえ那月、ちょっとしゃがんで」
そして最後に、初めて私から那月にキスをした。
2014.01.25