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□二人、岐路にて
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シューズがワックスのかかった床を蹴る音と、肌とボールがぶつかる音。
レシーバーは、チームにとって一番重要なんじゃないかと私は思う。
レシーバーがボールを上げない限り、プレーは続かない。セッターへと綺麗にボールが回るように、攻撃へと繋がるように、レシーバーはボールを追いかける。
チームの一番後ろにいると、自分のコートだけでなく相手のコートも全て見渡せる。
レシーバーは壁とならなくてはいけない。
セッターやアタッカーが、安心して後ろを任せられるように。
絶対に上がると、信じてもらえるように。
「もう1本!」
額の汗を拭い、大地が構えなおした。
カゴからボールを取り、まずはオーバーでチャンスボールを上げる。大地が綺麗にセッターの場所にいる私に返すと、普段はしないアタックをライトの方向に打った。
さっきより強めに打つと、滑り込んで大地はボールをとった。
ならば、と心を鬼にし、戻ってきたボールを次はレフトの方向に打った。
すぐに体勢を立て直し、大地はボールを上げた。
これで最後だ、とコート中央に向けて腕を上げる。私の視線を見て、大地はすぐにセンターに走った。
だが、私は打たなかった。
ギリギリまで腕を振りおろし、そっとボールに触れる。
打たれることのなかったボールは、私のすぐ前にゆっくりと落ちた。少し遅れて、大地が滑ってくる。
「フェイント成功ー」
「完全に引っかかった……」
立ち上がった大地が、悔しそうに眉を寄せる。
時計を見れば、昼休みもあと15分ほどしか残っていなかった。次は生物だから教室移動をしなくてはいけない。
「はい、今日はここまで」
「ああ、ありがとな」
大地はボールをカゴに入れると、倉庫の方に小走りで仕舞いに行った。
体育館のステージに置いていたブレザーを羽織り、タオルを首に巻いて戻ってきた大地にスポドリを渡した。
「はい」
「サンキュ」
部長になったから、更に逞しくなったなあと、大地の横顔を見る。
1、2年に負けてられないと頼まれて始めた自主練は、ちゃんと役に立っているだろうか。
「なまえはさ、進路希望調査の紙、もう出したか?」
ふと、思い出したように大地がそう言った。
まだ書きかけのままファイルの中で眠っている紙が脳裏に浮かぶ。
「いや、まだ……」
「そっか」
小中高とずっと一緒だったが、きっと大地と過ごせるのはあと1年もない。進学してしまえば、離れ離れになる。
大地はステージに凭れると、私の頭に手を置いた。
「普段背高いやつに囲まれてるから、なまえといるとなんか安心するな」
「喧嘩売ってる?」
「ごめんごめん。でも、女子はこんくらいが一番いいって」
「私だってかっこよくバックアタック打ってみたいんですー」
「それはまあ、そうだけどさ、なまえがいきなり背高くなったら俺泣くぞ」
「勝手に泣いとけ」
まだ希望はある。
私でも伸びる。かもしれない。たぶん。
「お前はそのままでいいよ」
大きな手が、頭を撫でる。
駄目だ。私が泣きそうになってきた。
進路の話が出始めてから、嫌な想像ばかりが膨らんでしまうのだ。
別々の大学に行って、大地が別の女の子を好きになってしまって、私達が別れることになって、全然知らない人と大地の結婚式に呼ばれたり、子供ができたっていう報告を別の人から聞いてしまったり、そんな想像をしてしまうのだ。
こんな田舎早く出たいと、ずっと思ってた。でも最近、大学を卒業したら地元に帰ってきて、大地と一緒に暮らしたいと思うようになったのだ。都会に憧れていたのが嘘みたいだ。
本格的に涙が溢れそうになって、咄嗟に大地に抱きついた。
「おわっ、どうした!?」
「なんでもない……」
「いや、なんでもなくないだろ……」
最初は驚いていた大地だったが、観念したように私の背中に腕を回した。
「俺、汗くさくないか?」
「大地のは大丈夫……」
「ならいいけど」
大地に抱き締められると、小さい私はすっぽりと収まってしまう。この瞬間は、小さくてよかったと思える。
「なあなまえ」
「ん?」
「俺は、大学が別々になってもなまえと別れる気はないよ」
私の心を見透かしたようなその言葉に、驚いて顔を上げた。
優しく微笑む大地に、胸が締め付けられる。
「俺、なまえと付き合ってること親に言おうと思ってるんだ。なまえさえよければ、ちゃんとなまえの家にも挨拶に行きたい。まあ、何度も会ってるけどさ、ケジメとして」
「え……いいの?」
「ああ。ずっと考えてたんだけど、そろそろいいかなーと思って」
嬉しいような恥ずかしいような、あらゆる感情がごちゃまぜになってこみ上げてきた。
さっきまで渦巻いていた不安が、嘘のように払拭される。
「ありがとう、だい――」
「バカこら押すな日向ッ!」
突然、体育館の入口から複数の叫び声と扉が開く音が聞こえてきた。
驚いて見てみれば、扉の隙間から男子バレー部のメンバーが雪崩こむように倒れたところだった。その後ろには潔子までいる。
一瞬の静寂。
これはきっと、嵐の前の静けさだ。
「お前ら……」
地の底から湧き上がるような低い声が頭上からしたと思えば、男バレメンバーは縺れ合いながら慌てて立ち上がり始めた。
なんと騒がしい。
「スミマセンっしたーッ!」
「こら待てお前らァッ!」
叫びながら逃げていく部員達を追いかけて、大地も走っていく。
残された私と潔子は、顔を見合わせて笑った。
「騒がしいなあ」
「お邪魔しちゃってごめんね」
「いえいえ、とんでもない」
扉から顔を出して外を見ると、田中君と日向君と影山君がちょうど捕まったところだった。
「それにしても、暑いなー」
雲一つない空を見上げて呟いた。
夏がもう、すぐそこまで来ている。
2014.06.01