宵闇に隠れし君の心

□峰
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以前のように白澤が完全に酔っ払う前に引き上げ、すっかり助平爺になっている彼の背中を叩きながら桃源郷に戻った。桃太郎君やうさぎ達を起こさないように気をつけながら店に入り、一人笑い続けている白澤を寝室に押し込む。

「あーあ、楽しかったあ……」

寝台に寝転がり、白澤が嬉しそうに呟く。

「はいはい、寝るなら靴ぬいで」

足をばたつかせる白澤から靴を引き抜き、三角巾と白衣も脱がせる。白衣を畳んで机の上に起き、欠伸をする白澤に布団をかけた。

「あれ……名前ちゃん……泊まっていかないの?」

「うん。帰る」

「えー……もう遅いのに……」

伸びてきた手を掴み、布団の中に突っ込む。すると、白澤はまた頬が溶け落ちそうな笑みを浮かべた。

「それ……その簪、やっとつけてくれたんだね」

「……覚えてたんだ」

胸の中のわだかまりが、一つだけ消えた。
白澤はまた欠伸をして、今にも閉じてしまいそうな目を開けた。

「忘れるわけないよ。それ選ぶのに2時間くらいかかったんだから。……すごく似合ってる」

「……ありがとう」

礼を言うと、とうとう白澤の目が閉じた。
綺麗な黒髪を撫でて、一度深呼吸をする。

「白澤……私ね、結婚することになったの。結婚して、高天原に戻るんだ」

とうとう言葉に出したが、白澤は寝てしまったのか、何の反応も示さなかった。どんな反応をするだろうと考えていたが、これで良かったのかもしれない。少し、気が楽になった。

「今までありがとう。私も楽しかった」

思い返せば、酔ったところを介抱する際くらいしか、白澤の寝顔をじっくり見ることはなかった。泊まった夜は私が眠るまで寝物語を聞かせてくれて、朝起きると薬膳鍋やお粥を作ってくれていた。怒ったところなんて1度も見たことがない。女たらしでもお金にだらしなくても、私は彼のそういうところが好きだった。
たとえ、優しくしてくれるのは私だけじゃないと分かっていても。

「……私……白澤に恋してたんだよ……」

最初で最後の告白は、彼には届いていない。それでも、口に出したことで肩が軽くなったような気がした。
最後に頬を撫で、立ち上がった。足音をたてないように部屋の外に出て、もう一度だけ彼を見た。
神獣のくせに、相変わらずだらしない寝顔をしている。

「おやすみ」

そう言って、扉を閉めた。
薬草の匂いで満たされた店を出て、静かな夜道を歩く。今日も今日とて、ここから見る月は綺麗だ。
極楽満月から暫く歩いたところで、視界が揺らいだ。頬に温かいものが伝ったかと思えば、次から次へと溢れてきた。

「終わった……」

情けない声が出た。
我慢しようとしても、嗚咽が止まらない。小さな子供のように涙を零しながら、それでも振り返らないようにまっすぐ前を向いて歩く。
何度も涙をふいた。ハンカチが水につけたように重くなった。きっと明日は目が腫れて最悪なことになっているだろう。
地獄に入ったらもう泣かないから、今だけは許して欲しい。きっと、最初で最後の本気の恋だったから、こんなに苦しいのだ。今だけだ。明日になれば、いつもの私に戻るから。
誰に対してか分からない言い訳をしながら、悔しいくらいに綺麗な夜空を見ながら泣き続けた。


☁ ○ ☁


誰にも会いませんようにと祈りながら閻魔殿に戻ったが、門の前で今一番会っては駄目な人が待ち構えていた。

「貴女のことだからまだ酔っていないでしょう」

鬼灯様の手には徳利と猪口が提げられていた。風呂上がりなのか、少し髪が湿っている。

「今夜は私も飲みたい気分なんです。少し付き合ってください」

返事をする前に、鬼灯様は歩き出した。
中には入らず外をぐるりと回り、金魚草が植えてある庭まで来ると、鬼灯様は本殿に続く階段に腰掛けた。ほら、と隣を示され、大人しく腰を降ろす。

「今日、お父上と会いました」

「そうですか」

「今からでも貴女を嫁に貰ってくれないかと頼まれましたよ」

猪口を渡され、透明な清酒が注がれる。注ぎ返すため徳利を受け取ろうとすると、無言のまま手で制された。鬼灯様は自分の分も注ぎ、そのまま一口で飲んでしまった。

「貴女の小さい頃を思い出して笑うわ、かと思えば泣き始めるわで、結局あまり飲めませんでした」

「ご迷惑をおかけしました……」

「まあ慣れているのでそこは構いません。それに、昔は遊び人だった彼が立派な父親になっていて嬉しかったですよ」

鬼灯様は二杯目を注ぐと、今度は半分ほど飲んで手を止めた。

「今回の件に関して、名前さん自身はどう考えているんですか?」

突然の問いかけに、飲んでいた酒が気管に入りそうになった。数回咳き込み、熱が広がる喉を冷やそうと反射的に深く息を吸う。

「私、ですか?」

「はい。当事者である貴女の気持ちを、まだ誰にも言っていないでしょう?」

「……そうですね」

残っていた酒を飲み干すと、横から二杯目が注がれた。口紅が付いてしまった縁を、親指で擦る。

「結婚して家庭を持つことは、昔からの憧れでした。母の結婚相手も父の結婚相手も義理の弟達も皆分け隔てなく接してくれましたが、私にとっての本当の家族は揃ったことがありません。当たり前のことですが、私には叶わぬ夢です」

二杯目をいっきに飲み干した。胃が燃えるように熱くなる。

「今日4人で出かけて、本当に楽しかったんです。幸せな時間でした。私はやっぱり……白澤が好きです……」

鬼灯様は何も言わず、3杯目を注いできた。

「これまでは縛りのない関係でもいいと思っていました。でも、縁談の話が来て、結婚というものが現実味を帯びてきて、彼とはこれ以上がないと気づいてしまったんです。だから私は……家庭を持つという夢を叶えられる道を選択しました」

「成程……」

しんみりとしてしまった空気を払おうと、無理に笑ってみた。

「だから、もういいんです」

暫くの間、互いに何も発さなかった。ちびちびと酒を飲み、規則的に揺れる金魚草をぼんやりと眺める。
休憩時間に、ここで庭を眺めるのが好きだった。もう母の家や父の家で過ごした時間よりもはるかに長く、閻魔殿で暮らしている。やはり、ここを離れることがもっとも名残惜しいかもしれない。

「……鬼灯様……」

「なんですか?」

「結婚相手は、鬼の血が混じっている私のことを、愛してくださるでしょうか」

鬼灯様は金魚草を見つめたまま一杯飲み干し、深く息を吐いた。

「貴女はとても魅力的な女性です。もし何か言われたらすぐに知らせてください。殴りに行きます」

冗談なのか本当なのか分からない言葉に、今度は自然と笑みがこぼれた。


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