黒き影とともに
□愛欲恋慕
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「いい匂いだね」
キッチンに顔を覗かせた臨也が、皿に乗せて冷ましているスポンジケーキをつついた。
湯煎をしているチョコレートを混ぜる手を休め、でしょ?と得意気に笑う。
「初めてだったから心配だったんだけどね。なんとかできそう」
「名前なら大丈夫だよ。何か手伝おうか?」
「駄目だって!」
刻みかけの板チョコに手を延ばしかけた臨也を慌てて止める。
「臨也の誕生日なんだから、私がする」
臨也は驚いたように瞬きをし、腕を後ろに回した。
「じゃあありがたく、名前のエプロン姿を見とくよ」
軽いセクハラ発言が出た気がするが、今は目の前の作業に集中しようとスルーした。
しかし臨也は有言実行な人間で、横からひしひしと視線が突き刺さってくる。様子を見てみると、ニコリと微笑み返された。
「……」
暇なのだろうか。
そう言えば、ゴールデンウィークに入ってからというもの、臨也が学生の本業である勉強をしている姿を見ていない。普通宿題が出ている筈なのだが、私を気遣ってのことなら申し訳ない。
「臨也」
「ん?なに?」
「宿題は?」
その単語を口に出すと、臨也の表情が固まった。
私の予想が確信へと変わる。
「今のうちにしなよ。暇なんでしょ?」
「いいよ、宿題くらい。名前を見ることの方が重大なんだから」
「優等生ぶってるくせに」
「優等生だから、多少提出が遅れても特に何も言われないんだよ」
ああ言えばこう言う無限ループ。
臨也とは喧嘩らしいものはしたことは無いが、こういうことはしょっちゅうある。どちらかが折れるまで、この会話は終わらないのだ。
「私もあんまり見られてたらやりにくいし」
「だから一緒にするって言ったんだよ。ほら、少女漫画とかドラマでよくあるアレもやってみたいし」
「アレってどれ?」
「後ろから抱き締めるみたいにして、一緒に料理をつくるアレ」
「宿題しろよ」
まさか臨也がそんなことを考えていたとは。
やれやれと首を振り、どうなっても知らないからとだけ言っておいた。まあ、私には被害が及ばないことだし、臨也の問題だ。
そして私自身の仕事を思い出し、話している間に十分溶けていたチョコレートを見て火を止めた。
「ねえ、これってもういらないの?食べていい?」
箱の中に残っていた板チョコを指さして、臨也が尋ねてきた。
キッチンペーパーを広げながら、いいよと答える。
だが、暫し経ってから気がついた。
――臨也って、そのままの甘いチョコ食べるんだっけ……?
しかし、気づいた頃には時既に遅し。
横に顔を向けると満面の笑みの臨也が立っていて、すかさず後頭部に腕を回され口を塞がれた。突如口内に広がった甘さと息苦しさで、手からゴムベラが落ちる。
「誕生日なんだから、これくらいいいよね?」
顔を離してそう言った臨也がその後どうなったかは、言うまでもない。
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