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□空
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雨で近付く君との距離





「はー……」


いつになったら止むんだろう。
くすんだ雨空を見上げながら、僕は深い溜め息を吐いた。

人通りの少ない商店街の一角、シャッターの下りたお店の屋根の下。
学校を出るころ雲一つ無かった空はあっという間に激しい雨を降らせ、屋根から伝った雨粒はとめどもなく流れ落ちて、僕のローファーをじわりと濡らしていた。



「八尾、何しよっと?」


雨音の中で響いた、低く落ち着いた声。
頭一つ上に視線を向けると、クラスメイトの的山が僕の目の前に立っていた。

ひょろりと高い背。
広い肩幅には小さいビニール傘を差す的山は、いつ見ても、何を考えているのか分からない顔をしている。

きっと、変化の少ないこの据わった目のせいだ。
的山は思いっきり笑ってても、目尻がちょっとだけしか下がらないから。


「雨やどりだけど」
「傘持ってこんやったと?」
「そ、朝急いでたから忘れた」
「ああそういえば今日遅刻しとったね。アンテナ立っとったし」


的山は僕の髪を指差してニッと笑う。
意地悪なやつ。そういえばと言うくせに、覚えて欲しくないことをしっかり覚えているんだから。
今朝の出来事を思い出し、僕は顔が熱くなった。


「いいだろ。急いでたんだから」
「悪いとは言っとらん。けどすごい寝癖やったね。こんな感じやったっけ?」
「もう、その話はやめろって言ってるだろ!」


自分の髪を指でくるりとはねさせ、今朝の僕のマネをする的山からそっぽを向く。
まったく、なんでこいつの前の席になんてなったんだろうか。

先月の席替えで、僕は的山の近くを引き当てたクジ運の無さにうんざりした。
的山はクラスメイトの誰にでも話かける社交的な人間。対して僕は人に話かけるのを苦手とする非社交的な人間。

今までは席が離れていたから深く関わることがなかったのに。
席が近くなってから、案の定的山は僕に話かけてくるようになってしまった。
ほんと、ついてない。



「八尾。もう言わんけん、こっち向きぃ」
「……何だよ?」
「傘、入っていくやろ」


ちらりとだけ目をやると、返事も聞かないうちに的山は僕の方へ傘を寄せる。
人の気も知らないで、マイペースなやつだ。


「いい。ただの夕立ちだろうから、止むの待ってる」


手を振って断った僕に、的山は口の端を持ち上げて意地悪く笑った。


「そうね。でも朝の予報じゃ、これからどしゃ降りになるって言いよったけど」
「嘘だろ?」
「信じられんやったら、ここで待っとくね?」


どうしよう、的山と相合傘なんて居心地が悪すぎる。
だけど、雨音は一層激しくなってきていて、とてもすぐには止みそうにない。どっちを選ぶかなんて、考えるまでもなかった。


「……分かった」


近すぎない位置に一歩を踏み出すと、的山は僕の隣で楽しげに傘の柄をくるりと回した。
そんな的山を見て、僕は無意識に溜め息を吐く。
ああ、息がつまる。



歩き始めてしばらくすると、会話が途切れ、傘を打ち付ける雨音しか聞こえなくなった。
的山から話し掛けられることもなく、僕から話し掛けることもなく、お互い何も話さないまま、人通りの少ない道路を歩く。


いつもはよく喋るくせに、なんで黙ってるんだ。
的山のやつ、何考えてるんだろう?
頭一つ上、的山の横顔を見上げたけれど、やっぱり、考えは読めなかった。


「今日」


大粒だった雨が霧雨に変わると、的山がポツリと呟いた。


「え?」


今日、のことを思い出しながら僕は的山を見上げて聞き返す。


「八尾が来んかと思って」
「……うん」
「心配やった」
「は…?」


予想しなかった言葉に驚く僕を、的山の据わった目がじっと見つめ返した。
普段は冗談ばかり言って笑っているのに、なんで今、こんな近くにいるときに限って、真剣な顔でそんなことを言うんだ。

ただでさえ落ち着かないのに、顔が熱くなるし、どう返していいか分からなくなるじゃないか。


「やけん、お前のめちゃくちゃな寝癖見て、かなりホッとした」
「……何だよそれ!」


視線を逸らしかけると、的山はニッと笑って僕をからかった。
何事もなかったように笑う的山は、とてもさっきと同じ男とは思えない。

人をからかってばかりで、冗談か本気か読ませない的山。
だから僕は、よけいこいつが気になってしまうんだ。



「的山、送ってくれてありがとな。一応」
「うん。明日も雨になるらしいけん、寝坊せんようにね」
「二日連続でするかよ!じゃ、またな」


家の前。
玄関の軒先で短い言葉を交わすと、僕は急いでドアノブに手を掛けた。ドアノブを握る手が声と同じように震える。まったく、情けない。

かっこ悪いところを見せるくらいなら、緊張して冷たい態度をとってしまうくらいなら、離れたままでよかったのに。


ああ、また今日も寝不足になりそうだ。



「八尾」


玄関の扉を開けた瞬間、後ろから名前を呼ばれて振り返る。
的山は普段と変わりない表情でビニール傘の柄をくるりと回した。


「明日も傘忘れてこやんよ」
「は?」
「じゃあ、また明日」


口許だけ笑った的山は、僕に背中を向けて歩き出す。
残された僕は、くるくると回されるビニール傘を見つめながら、その場に呆然と立ち尽くしていた。



別れ際の言葉が、あいつの冗談か本気か分からなくて。
的山のせいで眠れなかった僕は、翌日もやっぱり遅刻してしまうのだった。


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