黒子のバスケ

薄羽蜉蝣・陸
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その日、大奥を訪れたさつきは真っ先に花宮の部屋に顔を出した。

「京の天皇に、謁見することになったわ。
正式に文貴を次期将軍にするそのあいさつに伺うから、文貴は一緒に連れて行くわ。
でも、文貴の父親であるミドリンはもちろん、御台である大ちゃんも、京にいくなら征くんも行きたいと思うけど、連れて行くのは文貴だけだから。
筆頭老中は一緒に行くけど。
その準備もあって京に立つ前々日までは私は大奥には来ないけど、子供達の事、頼みます。
愛も習字と算術始めたし、藤也は剣の稽古も始めたよね?
ただ、見てる感じ、藤也には剣よりは弓があってる気がするの。
あの子、優しいから相手が痛い思いする事もあるかもしれない剣の稽古、好きじゃないみたいだし。
だから一度、弓の稽古をやらせてあげて欲しい。
藤乃は長刀でも剣でも、好きな方をやらせてあげて。
あの子はお兄ちゃんに似てるみたいで、剣の筋もいいよね。
武家の娘が剣や長刀が強いって、嬉しいよね。
それから、文貴は来週から中奥で私についてもらって、政務を覚えてもらうから。
朝餉が終わったら、中奥によこして。
あと、愛は藤乃と一緒に華とお茶の稽古も初めてくれる?」

花宮はさつきと話し合って、必須の習い事と、子供達それぞれに合うと思われる習い事を模索しているが、これから長期間、城を留守にするさつきが花宮にこれからの教育方針についてと、文貴の来週からの中奥での政務見習いについて話をしに来た。

さつきの来訪に水菓子を用意してから、花宮はさつきの前に座る。

「藤乃様に華を教えているのも、茶を教えているのも赤司様にございます。
愛様も一緒に赤司様に習うということでよろしいですか?」
そう聞くとさつきはふふっと笑った。

「うん、だって藤乃ってば剣も長刀も好きで、ちょっとおてんばなところあるのに、征くんに華とかお茶習ってる時っておしとやかで女の子女の子してて可愛いじゃない?
愛もそうなるといいなって思うの。」

藤乃を養育しているのは赤司なので、藤乃が剣や長刀が好きとは言え、立ち振る舞いが美しいのは赤司のおかげであるとは思う。

愛の方は自分と青峰が養育をしているので、全力での高い高いが大好きな、元気な娘に育っている。
今の愛と同じ年の頃の藤乃は、もう少ししとやかだった気がする。
だが、さつきも今の愛と同じ年の頃は、城の庭を走り回るおてんば娘だった。

「上様も、愛様と同じ年頃の時は、そうおしとやかだったわけでもありますまい。
愛様は、上様に一番似ているお子様にございます。
成長するにすれ、今の上様のように、しとやかなのに強うなられますでしょう。」

昔を懐かしみながら花宮はそう告げた。
あの頃は、さつきが将軍になるなんて思っていなかった。
一緒に庭を駆け回りながら、いつか、さつきが自分を好きになってくれてお嫁にもらえたらいいななんて思っていたのに。

それは、もう二度とかなうことはないのだ。

そして、さつきが愛したのは、自分でもなく、御台所の青峰でもなく、五人の側室でもなく、福井健介だった。
福井との間に生まれた、愛という名の姫君もいる。

それでも、自分のさつきへの想いは消えない。
京へ行くのに自分も一緒に自分も行きたいと言いたいのを我慢している。
さつきが自分に望んでいるのは、四人の子を無事に将軍家の子として養育していくことだと分かっているからだ。

好きな女が自分にそれを望んでいるのなら、それを叶えてやりたい、自分の望みを叶えることよりも。

「まこちゃんのそーゆーとこやだ。
でも私に木登り教えてくれたの、まこちゃんだったよね。」

しゃくしゃくと小気味よい音を立てて梨を咀嚼した後、さつきが花宮をじとっとした目で見る。

「さつきが、むつき様にもらった鞠を木の枝に引っかけて、オレが取ってやるっていたのに自分で取るって言い張ったからだろ。」

さつきが愛しているのは福井健介だけれども、それでも幼い頃を自分と共に過ごした思い出は確かにさつきの中にあるのだと思うと、花宮はそれを嬉しく思う。

「だって、大事な鞠だから。
お兄ちゃんが買ってくれた、大事な鞠だったから。
あの当時、私が気に入って着てた着物の柄にあった手鞠と同じ柄の手鞠をわざわざ作ってくれたんだから。」

さつきはそう言って目を伏せる。

さつきの兄のむつきは、妹も弟も大事にしていた。
本当に大事にしていた。
花宮の目から見ても、むつきは完璧な人だった。
学問はもちろん、どんな武芸もあっという間に指南役よりうまくなった。
囲碁も将棋も、和歌も茶も華も、何でもできた。

そして、五代目将軍である父親がいる頃から、政策の提案をしてきた。
農民の田畑の売買の禁止、商人からも金子で税を納めさせるなど。

それを踏まえた上で、さつきは不作の時は年貢の額を引き下げる、商人にはもうけによって納める税の額が変わる制度と、札差が金を貸す際に法外な金利を取らないように金利を定めることにした。

陰で法外な金利を取る札差には、発見し次第、正規の金利以上に取り立てた金額は幕府に納めさせることにしたため、法外な金利を取る札差は随分と減った。

さつきも名君であると思うけれど、その根底には、生きていたらさらに名君になったであろう、兄の政策がある。
その兄を失った傷は、永遠に癒えることはないのだろう。

うつむいたままのさつきは、きっと、失ってしまった、もう返る事のない日々を思い、涙を流すことを我慢しているのだと、花宮は思った。

「文貴様に、将軍職をいつ譲る気なんだ?」

だから、未来の話をすることにした。

まだ10才の文貴を天皇に次期将軍として紹介するということは、できるだけ早いうちに、さつきは文貴に将軍職を譲る気なんだろうと花宮は思っている。

大奥が男性から女性に移行する時に円滑にそれが行われるように、今から準備を進めていかないといけないという大奥総取締としての役割と、将軍という職からいつさつきが解き放たれるのかさつきを愛する男として知りたいという気持ちから、聞いた。

「文貴が元服したら、譲るつもり。」

うつむいてたさつきは顔を上げた。
その目に涙が光っている。
そしてそれは、ぽろっとこぼれ落ちた。
花宮はその涙を自分の指先で拭う。

「よく、頑張ってきたよ。
さつきが将軍になってこの国を治める事になるなんて、オレだって思っていなかった。
さつきなんか、もっと思ってなかっただろ。
それなのに、よくやったと思う。
財政難なんてほどでもないけど、余裕があったわけでもない財政を立て直しただけでもすごいのに、飢饉の際は城の米を分配して、一揆を起こさせなかった。
自ら東北まで足を運んだことで、東北地方の大名達がこんな遠くても将軍はこの地方を気にかけてくれていると忠誠を新たにしたし、豊作の年には前年に幕府からわけてもらった分の米を自主的に上乗せして年貢として治められたのも、桃井家がこの国を治めててよかったと民に言われているのもまちがいなく、さつきの政の手腕が優れてるからだ。」

花宮はそう言っていた。

「ありがとう……」

さつきは花宮の言葉に礼だけ言うと、後は堪えきれなくなったように、嗚咽を漏らして泣き始めた。

文貴が元服したら将軍職を譲るつもりであるという事は、早々に将軍職を辞するということだ。
七代目将軍までは、前の将軍が亡くなってから、将軍職を継承した。

しかし、さつきは違う。
そしてきっと、さつきは大御所として振る舞うこともしないだろうと花宮は思う。

そうなってから、さつきと恋をしたい。
互いに御褥滑りをするような年齢になってからでも、恋をすることはできるのではないか?
花宮はそう思いながら、さつきの目からこぼれ落ちる涙を拭い続ける。

「よくやったよ、本当に。」

「みんなが、支えてくれたからだよ……
ありがとう、まこちゃん、私の子供を育ててくれて……」

さつきに子供を産ませるために次々側室を送り込んだ自分に、さつきはありがとうという。

もう、我慢できなかった。
さつきが将軍職を文貴に譲ったらさつきと恋をしたい、そう思っていたのに。
気がついたらさつきを抱き寄せて言っていた。

「お前が好きだ。
いや、愛してる。」

「え……?」

花宮からの急な告白に、さつきは花宮の腕の中で戸惑って涙も引っ込む。

青峰に子供ができないと分かった途端、次々に側室を連れてきて、他の男に自分が抱かれる手はずを整えた花宮が自分を愛してるなんて、信じられない。

「まこちゃん、お兄ちゃんが亡くなって私が将軍を継ぐことになった時、言ったよね?
大奥総取締を自分にさせて欲しいって。
自分のこれからの役目は、桃井の血を絶やさない事だって。
男子が二人いても絶えるときはあっという間に絶える、それが分かったからこそ、桃井の血を絶やさないという大事な役目を自分に任せて欲しいって。
それがどういう意味か、私は分からない訳じゃなかったよ。
だから要するにたくさんの夜とぎをして、たくさん子供を産んでくれ、そういう事だよねって私聞いたよね。
その時、まこちゃん、そうだって答えたよ。
そうして生まれた子供は、誰一人欠けることなく、どんな陰謀にも巻きませず、辛い思いをさせずに自分が育て上げてみせるから、安心しろってそう言ったよね。
それって、私が他の人と結婚して子作りすることをすすめてきたって事だよね?
本当に私を好きなら、そんなことできなくない?
私なら、そんなことできないよ。
できないっていうか、したくない。
それをするまこちゃんが、私を好きなんだと思えないよ。」

福井に他の女性との結婚や子作りをさつきは進めたりできないし、福井家を継ぐのは弟に任せて、オレはさつきのそばにずっといるという、愛を授かったあの夜の福井の言葉はとても嬉しかった。

でも花宮は違う。
青峰が子をなせないと分かった時の、連続しての側室の奥入にさつきは内心でドン引きしたほどだ。

あれは青峰のことも傷つけたと思うし、側室となったら一生大奥から出られないのに、そんな人を五人も作り出したのだ。
それでも天下人である将軍に愛されて、求められて大奥に入ったのならまだ我慢もできるだろうけれど、決してそうではないのだ。

自分の心はいつだって、福井にあるのだから。
五人とも、自分の人生を大奥に捧げてくれたのに、さつきはそれに愛情を返す事はできないから申し訳なく思うが、花宮は決してそんな風に五人のことを思ってはいないだろう。

それに自分も、毎月違う男と夜を共にしなければならなかった。

文貴が生まれてしばらく経った時に、跡取りができたんだからもうそんな頻繁に大奥に行かなくていいでしょうと花宮に言ったことがある。

それに対して花宮は
「お子様は何人いても、問題ありません。」
と返してきた。

愛が生まれた後、大奥に渡っても同衾はしない事が増えた時も、
「新しい側室を迎え入れますか?」
と聞かれた。

新しい側室を迎え入れる気なんか、花宮にない事は知っている。
大奥の倹約に力を入れている花宮が、またお金のかかる事をしようと思うはずがない。
暗に、まだ御褥すべりをする様な年齢ではないだろうと言っていたのだ。
そんな男が、自分を愛してるなんて思えない。

「離して。」

何も答えない花宮に、さつきはそう言ったけれど、花宮は自分を離す気も、かといってこれ以上話をする気もないようだ。

「花宮。
離せ。
この後まだ、政務がある。」
だから、さつきは『将軍』の顔でそう伝える。

これで引いてくれるものと思っていたさつきは、そのまま花宮に押し倒されて目を丸くした。

「なにするの、まこちゃん!!」

自分を組み敷く花宮は、大奥総取締の顔ではなかった。

「まこちゃん!!」

思わず叫ぶさつきの唇を、花宮が自身の唇で塞ぐ。
すぐに花宮の舌がさつきの口の中に入ってくる。

もがくさつきを花宮はしっかりと押さえつけるから、さつきは軽く花宮の舌を噛む。
それで、花宮の唇は離れていったけど、押さえつける手の力は緩むことはなかった。

「止めてよ!」
そう叫ぶさつきをじっと見つめ、
「好きだ、愛してる。」
と花宮は言う。

「だから……」

「好きだ。
お前を、昔からずっと愛してる。
でも、お前が将軍になることが決まった時、もうさつきと普通に恋愛をして結婚をするなんてできないと思った。
基本的に桃井家の将軍正室は朝廷の関係者から迎えなければいけない。
でも正室との間に子はもうけてはならない。
となったら、子をもうけるために側室を迎えなければならない。
さつきはもう一人の人と愛を育んで生きていく事はできなくなったと理解したから、大奥総取締になることにした。
側室の一人になって、他の側室と同様にただ部屋に来るさつきを待ってるなんて事はできなかった。
お前を愛してるから、だから、側室とか正室とか、そんなのとは違う、もっと深くて特別な関係になりたかった。
さつきを他の男に抱かせる事になるとわかっても、その他の側室の一人になるよりはずっとましだと思ったんだ。
どんな気持ちでオレが総取締をしていたか……。」

さつきを見下ろしている花宮の顔が歪む。

こんな顔をしているんだから、きっと花宮の気持ちは本物なんだろう。

今まで花宮から好かれていると感じたことはなかったけれど、花宮が嘘をついているとは思えなかった。
だから、自分もちゃんと、その気持ちに応えることはできないと言わないといけないと思い、さつきは花宮の目を見つめる。

「総取締をしてくれていることも、子供達を育ててくれてる事も感謝してる。
子供達の養育に関しても、まこちゃんに任せてれば大丈夫だって思っている。
だけど、文貴に将軍職を譲ってもまこちゃんと恋をすることはな……」

言いかけた唇を、もう一度、花宮がふさいだ。

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